“世界転校”繰り返し…ヤマザキマリと息子・デルスの濃密な思い出、一冊のエッセーに

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2021年09月26日 17:00  AERA dot.

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写真ヤマザキマリ/1967年、東京都出身。漫画家、随筆家。84年にイタリアに渡り、国立の美術学院で油絵と美術史を専攻。代表作に漫画『テルマエ・ロマエ』、エッセー『ヴィオラ母さん』など(撮影/写真部・張溢文)
ヤマザキマリ/1967年、東京都出身。漫画家、随筆家。84年にイタリアに渡り、国立の美術学院で油絵と美術史を専攻。代表作に漫画『テルマエ・ロマエ』、エッセー『ヴィオラ母さん』など(撮影/写真部・張溢文)
 AERAで連載中の「この人この本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。


 現在の夫であるベッピーノさんとデルスさんの関係について、息子と好きな映画を共有できた喜びについて……。漫画家、随筆家であるヤマザキマリさんによる『ムスコ物語』は、息子との思い出たちをいきいきと描き出す。表紙のイラストにもなっている「イルカと少年」は、「人生にはこんな素敵なことが起こるのか」という驚きに満ちている。息子であるデルスさんも、「これが表紙になるの!」と声をあげたという必読のエピソードだ。著者のヤマザキさんに、同著に込めた思いを聞いた。


*  *  * 


 第一話「ハワイからの電話」に綴られる、山崎デルスさんの言葉が忘れられない。


「全て解決したことだから、驚かないでほしいのだけれど。実は、車に撥ねられました」


 電話の相手はデルスさんの母、ヤマザキマリさん(54)。デルスさんは、これから起こるであろうことを予測したうえで淡々と言葉を繋いでいく。ヤマザキさんは言う。「『なんでいま言うの!』と、私なんて動揺するわけですが、それを見越したうえで電話をかけてきたんですね。“感受の経験”があるからか、諦観(ていかん)しているところがあるんです」


『ムスコ物語』は、ヤマザキさんが20代の頃、長く同棲したイタリア人詩人との間に生まれたデルスさんと、彼を通して見えた世界についての物語だ。文章からは、2人が出会う人々の表情までもが鮮明に浮かび上がってくる。


 写真を残そうと思ったことは、ほとんどない。だからこそ、凝縮され記憶の深いところに刻まれたエピソードだけが色濃く描き出されている。


 デルスさんについてのエッセーではあるが、それは同時に「いかに親以外の人間と交わりながら生きていくか」の物語でもある。ヤマザキさんの母が暮らす北海道へ、夫の仕事に伴いシリア、そしてポルトガルへ。デルスさんは“世界転校”を繰り返していく。


「私はどこへ行こうと家で漫画を描いていればいいわけですが、息子は引っ越しの度に学校が変わり、社会と接点を持たなければいけなくなる。一番シビアで容赦ない立場に立たされていたわけです」



 デルスさんは、ときに孤独や寂しさを味わう。でも、それが彼の心を強くし、世界を広げていく。「子どもは孤独と向き合った方がいい」とヤマザキさんは言う。孤独を知らずして、人間の持つあらゆる感性を機能させることはできない、と。


「私自身、なぜ絵を描いたり本を読んだりするのが好きになったのかを考えると、『誰かを頼っていても限界がある』ということがわかったから。自分を支えてくれる栄養を自ら供給していかなければいけないとなったときに、芸術は栄養素となる。孤独を自分のものにできていなければ、そういった逞しいパワーも稼働しないのです」


 あとがき「ハハ物語」の中で、デルスさんは内心では反発していたことも明かしている。それを知り、安心した。親はどこかで嫌われる覚悟をしていかなければいけない、と日々感じていたからだ。


「尊敬や憧れの対象になっていい。でも同時に、人間として批判の対象にならないと、子どもは自立して生きていけない」


 模範的な人間なんていない。そんな“社会のサンプル”として親を見てくれればいい。


 あとがきには、出産したときから抱いていた不安が払拭されるような一文もあった。


「『世界のどこに行っても一人で生きていける』。それは私にとって最高の賛辞です」


(ライター・古谷ゆう子)

※AERA 2021年9月27日号



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  • 親はいいけどさ、子供は他の人生を選べるわけじゃないから、他人とできるだけ比較しないで、人生は楽しいと思わないと生きていけないよね
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