抗議は絶対許さん! 選手に“恐れられた”伝説の審判、村田康一のハンパない威厳

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2021年09月26日 18:00  AERA dot.

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写真パ・リーグの“名物審判”としてファンからも愛された村田康一氏 (c)朝日新聞社
パ・リーグの“名物審判”としてファンからも愛された村田康一氏 (c)朝日新聞社
 プロ野球の珍プレーは、選手が主役になるパターンがほとんどだが、本来は脇役的立場の審判でありながら、「そこまでやる?」と思わず吹き出してしまうようなオーバーアクションと、「俺は村田だ!」(みのもんた氏の吹き替え)のセリフがピッタリのこわもての言動で、圧倒的な存在感を放った“伝説の男”が、パ・リーグの審判部長を務めた村田康一氏だ。


【写真】「平成で最もカッコいいバッティングフォーム」はこの選手! 


 出身は福岡県北九州市。1955年から近鉄の捕手として10年間プレーし、61年に正捕手になるなど、選手としても実績を残しているが、実は現役時代にも、57年9月11日の西鉄戦で、歴史的な珍プレーを演じている。


 0対0の4回1死、西鉄の先発・若生忠男に無安打に抑えられていた近鉄は、鈴木武が左前に初安打。次打者・伊香輝男も初球を左翼線に運ぶ。長打で1点入ってもおかしくないケースだ。


 ところが、左翼側ブルペンで投球を受けていた村田捕手が、目の前に転がってきた打球を、インプレーと知らずに「えい、邪魔だ!」と後方に放り投げてしまったから、さあ大変。


 故意妨害と見なした審判団はシングルヒットとして1死一、二塁で試合再開となったが、皮肉にも近鉄は0対1のサヨナラ負け。一方、西鉄は5回からリリーフした稲尾和久が勝ち投手となり、これがシーズン15連勝目。同年、プロ野球記録の20連勝を達成した稲尾はロッテ監督時代、審判になった村田氏と顔を合わせるたびに、「あの件があったからなあ」と感謝していたという。


 稲尾の連勝記録は、13年に田中将大(楽天)に抜かれたが、村田氏は「正直言って、寂しかった」と回想している。


 現役引退後、近鉄の2軍マネージャーを経て、67年にパ・リーグの審判部に入局した村田氏は、80、81年と2年連続で優秀審判員賞を受賞するなど、輝かしい実績を積み上げていくが、翌82年の日本シリーズ、西武vs中日で、これまた球史に残る珍プレーの主役となる。


 2勝2敗で迎えた第5戦、中日は0対0の3回2死、田尾安志が内野安打と悪送球で二進。次打者・平野謙の当たりもファースト・田淵幸一の右を抜き、先制の長打と思われた。



 ところが、打球は後方のライン際に立っていた村田一塁塁審の右足を直撃すると、大きくバウンドし、セカンド・山崎裕之の前に転がった。


 野球規則によれば、内野手を通過した打球がフェア地域で審判に当たった場合、審判は石コロと同じ解釈(イレギュラーバウンド)になる。直後、山崎は三塁に送球。打球が外野に抜けたと思い、すでに三塁を大きく回っていた田尾は、慌ててUターンしたが、タッチアウトになってしまった。


“幻の先制点”に泣いた中日は、1対3で敗れ、第6戦も4対9と連敗。28年ぶりの日本一を逃した。まさにシリーズの流れを変えた石コロだった。


 村田氏は二塁塁審を務めた第6戦でも、二塁のタッチプレーの際に山崎の落球を見落とし、一塁走者の平野にアウトを宣告。中日側の抗議で判定が覆ったものの、“石コロ事件”以来、自宅に怒ったファンから抗議の電話が相次ぎ、夫人が対応に苦慮したという。


 西日本新聞に13年11月8日から14年2月8日まで76回にわたって連載された回想録「オレが村田だ!」では、就寝中の夫を気遣った夫人が、夜中に目を覚まさないよう、電話機を座布団でぐるぐる巻きにした話も紹介されている。


 回想録によれば、村田氏はジャッジをする際に、無意識のうちにアウトやセーフのコールを何度もする癖があったという。


 選手や監督が抗議すると、「きさん(貴様)、出てくんな」などと九州弁で強気につっぱねたので、これらの言動が珍プレー番組の「俺は村田だ!」のセリフにアレンジされたという次第。


 そんな数々のパフォーマンスの中でも、ユーチューブでも話題になった事件が起きたのが、89年7月19日のダイエーvs近鉄だ。


 4対2とリードのダイエーは5回1死、山本和範が四球で出塁。次打者・伊藤寿文のときに二盗を試み、セーフになったが、捕手・山下和彦の送球が腹部を直撃したため、腹立ち紛れにボールを掴むと、地面に叩きつけた。


 すると、この行為にぶち切れた村田二塁塁審は、「こら、きさん、何をしよるか!」と怒りの形相で詰め寄ると、左手で山本の胸をバシッと突いた。


「審判を愚弄する行為だ」と息巻く村田塁審を前に、山本は明らかに自分に非があることなので、タジタジになるばかりだった。



 そして、もうひとつの珍場面、コーチに本塁ベースの掃除を命じる事件は、87年6月28日の南海vs近鉄で起きた。


 南海は1回2死一塁、5番・デビッドが三振に倒れた直後、ストライク判定に納得せず、面当てに本塁ベースに土をかけると、攻守交替で一塁へと向かった。


 無礼な態度に怒った村田球審は、ベンチに引き揚げる藤原満一塁コーチが目の前を通ると、有無を言わさず刷毛を手渡した。「ごめんな。村田さん」と謝りながら、素直にベースを掃き清める藤原コーチ。人柄の良さが伝わってくるような場面でもある。


 常に毅然とした態度で、たとえ誤審でも自信満々で自らのジャッジを押し通した名物審判も96年限りで退職。これほど個性溢れる愛すべき審判はもう現れないかもしれない?(文・久保田龍雄)


●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2020」(野球文明叢書)。


このニュースに関するつぶやき

  • このオッサン、今なら誤審で叩かれまくるぞ(笑)
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  • この村田さんとかセ・リーグには柏木さんとか名物審判がいたなぁ。もう40年くらい前になるのか。
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