忘れてしまうくらい些細な、一回きりの出会いが誰かの人生を動かしていくーー青山美智子『月曜日の抹茶カフェ』インタビュー

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2021年09月26日 19:11  ダ・ヴィンチニュース

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ダ・ヴィンチニュース

写真青山美智子
青山美智子

先日、作家デビュー4周年を迎えた青山美智子さん。本屋大賞2位を受賞した『お探し物は図書室まで』に続く最新刊『月曜日の抹茶カフェ』は、累計23万部を突破したデビュー作『木曜日にはココアを』の続編だ。桜並木のある川沿いにたたずむ喫茶店「マーブル・カフェ」を舞台に織りなされる、人生の爛┘ストラ瓩燭舛侶価劇。ふたたび描くことで見えてきた景色とは?

取材・文=立花もも

出会いを重ねて育まれていく縁も大事だけど、
一期一会の積み重ねで人生は成っていく

――前作『木曜日にはココアを』は、東京とシドニー、ふたつの都市を舞台に、マーブル・カフェに縁のある人々を12の色をモチーフにしながら描き出す物語でした。今作の『月曜日の抹茶カフェ』では、東京と京都を往復しながら、十二カ月のうつろいのなか、物語が進んでいきます。

青山美智子(以下、青山さん) 正直に言うと、担当編集者の宇城さんから続編を書いてくださいと言われたとき「ついに来た!……でも無理!」って思ったんです(笑)。というのも『ココア』はデビュー作……作家になる前の、素人だった私が書いた作品。WEBで連載していた(※)からにはもちろん、誰かに読んでいただくことを想定していましたけど、まさか書籍化されるなんて思いもしなかった。書きたいように書いていたからこその、自由で独特なパワーが漲っているんですよね。今の私にはとうていそのパワーを生み出すことはできないし、あの作品を超えることができない、って及び腰になってしまって。それに、「木曜日」に続いて「〇曜日の××」って作品を出してしまうと、全7作にしなくちゃいけなくなるでしょう。それも途方もなさすぎて、やっぱり無理!って(笑)。

(※)シドニーの情報誌『月刊ジャパラリア』公式サイトにて2015年から連載したものを改稿して書籍化された。

――それなのに、書ける、と思ったのは何かきっかけがあったんですか?

青山さん 宇城さんから「シリーズにしようって思わなくていいんじゃないですか?」って言われたんです。「青山さんにとって節目にあたるようなタイミングで、マーブル・カフェの人たちに会いたくなったら書けばいいんですよ」って。なるほど、と納得したら、「超えようと思わなくてもいいのかも」とも思えました。それを決めるのは私じゃなくて読者のみなさんだよな、って。そこから何曜日の、なんのメニューにしようかなと考えはじめました。

――マーブル・カフェが定休日の月曜日を舞台に、抹茶カフェに決まったのは?

青山さん ココアと抹茶ってなんか似てるな、って思いついたんです。どちらもパウダーだし、もともとは苦みの強い飲み物なのに、甘くアレンジしたものが普及して飲まれているでしょう? 色のトーンも似てるし、調べてみたら栄養価も近くて、これがいいな、と。それで、抹茶を出すならやっぱり京都だろう、前回は洋のテイストをとりいれた作品だったけど、今回は和で統一しよう、という感じで決まっていきました。曜日は、何度か打ち合わせするなかで自然と決まっていきましたね。ちなみに打ち合わせでは、「月曜日のクロワッサン」なんて案も出ていました。

『木曜日にはココアを』『月曜日の抹茶カフェ』

――それも面白そうだし、おいしそう……ですが、定休日に催された臨時の抹茶カフェというのが意表をついていていいですよね。しかも、毎週月曜日にやっているのかと思いきや、一回きりだという。

青山さん 毎週やっちゃうと、その都度新たな物語が生まれてしまうし、マスターはそこまでマメな人じゃないよな、と。それに、行き当たりばったりの面白さもあるな、と思いました。たまたまの偶然が重なってそこにたどりつく、何かひとつでもずれたり欠けたりしたら出会えなかったかもしれないもの、を描きたかったというのもあります。

――睦月の東京から始まる第1話「月曜日の抹茶カフェ」の主人公・美保にマスターが言う〈人でも物でも、一度でも出会ったらご縁があったってことだ〉がよかったです。〈(一回きりで終わったとしても)それは縁がなかったんじゃなくて、一回会えたっていう縁なんだ〉っていうセリフも。

青山さん むしろ1回のご縁ほど強いものはないかもしれない、と思うときがあります。なんだろう、宅配便みたいな感じ? もちろん何度も出会って育まれていくものも大事なんだけど、その場所に運ばれていくためだけの繋がりって、実はすごく重要なんじゃないかな、と。

――『ココア』も本作も、そういう一期一会を描いた物語ですよね。たまたま居合わせた人たちの、なにげない言葉に救われたり、行動するきっかけになったり。そんなことがあったなんて数年経てば忘れてしまうような些細な出会いだけれど、出会わなくてもよかったかというとそうじゃない。それがなければきっと“今”にはたどりついていないんだ、ということを、青山さんはどの作品でも描き続けているような気がします。

青山さん そんなふうに読みとっていただけたなら、嬉しいです。でも、そうしたことをまるで感じず、さらさら〜と読み流していただくのでも、全然かまわないんです。読書体験もやっぱり出会いのひとつですし、いつ手にとるかによって同じ本でも印象がまるで違ってくるじゃないですか。必要としているタイミングで読んで胸に響くこともあれば、そのときはぴんとこなくても読み返してみたら驚くくらいハマることもある。なんとなく読んだ一文がその後の行動に実は少なからず影響している、ということもある。そうした一期一会の集結で人生は成り立っているんだ、ということが、私にとって大きなテーマかもしれません。

『月曜日の抹茶カフェ』

前作にも登場した、懐かしいあの人たちのその後

――今作では、懐かしの顔ぶれも何人か登場しましたが、キャラクターはどんなふうに決めていったんですか?

青山さん まず、たっくん(拓海)は絶対に登場させたかったんです(※『木曜日にはココアを』第2話「きまじめな卵焼き[yellow/Tokyo]」に登場した5歳の子ども)。ただ、書くにあたって時系列を考えたときに、現実と時の流れを重ねてしまうと、たっくんが9歳になってしまう。それはちょっと、成長がはやすぎる!!と思って。

――(笑)。もう少し、幼いときを追っていたいと。

青山さん 宇城さんとも「いきなり9歳というのは、ちょっと……」と意見が合致して(笑)、間をとって小学1年生、ということにしました。そうすると前作から2年後ということになり、ほかのみんながどんなふうに時を重ねていったか想像しやすくなったことで、登場人物も決まっていきました。この家族は今までも私の既刊にちょこちょこ現れていて、きっと彼らはこれからも私の作品に登場するだろうなという予感がしています。たっくんだけでなく、朝美と輝也もふくめた一家の成長を見守っていきたいんですよね。

――それはファンにとって朗報です。青山さんの小説は少しずつリンクしているというか、別作品の人物がさりげなく登場しているのも、読む楽しみなので。

青山さん 今回も、とある作品の人物が登場しています。が、わからなくてもなんの問題もないので、今作ではじめて拙著を手にとる方もご安心ください。「あれ? もしかしてこの人……」と気づく人もいる、くらいのリンクが面白いのかな、と思っているので。

――個人的には、前作の主人公の一人・理沙、ではなくて、夫のひろゆきさんの視点で書かれた第2話「手紙を書くよ(如月・東京)」に嬉しくなりました。ずいぶん熱烈な結婚を果たした彼女たちがその後どうなったのかは、ちょっと気になっていたので。

青山さん 2年経って、理沙がずいぶん我儘になってしまったような気もするけれど、家族になるってこういうことでもあるのかな、と思っています。いわゆる言った・言わない論で二人は喧嘩をするのだけど、どちらの言い分が正しかったのかは結果的にわからない。でもその、曖昧さを残す、ということがこの4年のあいだに私ができるようになったことの一つです。以前は、どうしてもすべての伏線を回収し、問題を解決していかなきゃいけないと思っていたのだけど、その余白を読者がどう受け取ってくれるのか、信頼して委ねることも必要だなと思えるようになったんです。

――言った・言わない論で大事なのって“本当はどうだったか”ではなく、それを言われた、あるいは言われなかったことで、どれだけ傷ついたかということだったりするじゃないですか。

青山さん そうですね。

――事実がどうあれ、いま目の前で怒っている理沙にどう向き合っていくか……という過程が描かれているのが、すごくよかったです。

青山さん そう言っていただけるとホッとします。先日、作家としては4歳を迎えたんですけど、いまこのタイミングで『抹茶カフェ』を書けてよかったなあと思うのは、改めて原点回帰できたような気がするからなんですね。これまで自分が書き続けてきたこと……先ほどお話した一期一会を積み重ねることであったり、ドラマでいうところのエキストラみたいな人たちを書き続けたいということであったり、自分のなかに変わらず存在しているテーマを再確認したうえで、デビュー作のころにはできなかった表現方法を得ていることにも気づけた。それはこの先、作家としてもっと大きくなりたいと思ったとき、とても重要なことだなと思います。

青山美智子

京都、紙芝居、和菓子屋さん……
書きたいモチーフは書けば書くほど湧いて出る

――今作で、書いていてとくに手ごたえを感じたり、印象に残ったエピソードはありますか?

青山さん 突出して好きな登場人物やエピソードというのは、どの本でもあんまりないんですけれど……卯月・皐月で書いた佐知と光都の友人コンビは印象に残っています。というのも、二人が一緒に行った両国の温浴施設は、私も大切な友人と一緒に行った場所なんですよ。私は佐知のように失恋したわけではなかったけれど、「なんで人間だけ服を着てるんだろう?」って会話は、実際にその友人とかわしたもの。天井に穴が開いていて、室内で全裸で雨に打たれる、というのもそのとき体験して「あ、これいつか書きたい」って思ったんですよね。それがこんな形で実現して嬉しかったですし、今作のなかで最初に書きあがったのも卯月のエピソードなので、始まりの一話という意味でも印象深いです。

――光都の職業が、紙芝居のパフォーマーというのもおもしろいですね。

青山さん 昔、マーブル・カフェのモデルとなった喫茶店で、紙芝居イベントをするおじいさんがいたんですよ。それもいつか書きたいと思っていたのが、結びつきました。葉月の章で書いた「下鴨納涼古本まつり」でも紙芝居イベントを毎年やるらしいんですが、そこでは登場させられなかったなあ。いつか、もっとちゃんと書きたいな、って思います。小説って、書けば書くほどテーマが湧いて出てくるので、不思議ですね。

――そして光都の実家が京都で老舗の和菓子屋さん。私は、彼女の祖母・タヅさんのエピソードが好きでした。ほっこりおばあちゃんじゃないところも、いいですよね。伝統を守り続けてきたゆえに、孫にも非常に厳しく、かくしゃくとしていて、素直じゃない。

青山さん 京都をもうひとつの舞台にしようと書き始めて気づいたのは、私が京都弁をまったく知らないということで(笑)。こばやしあきこさんという方に監修していただいたんですけど、彼女に、タヅさんがまさに京都人を体現している、というような感想をいただいたのが嬉しかったです。プライドが高くて、言葉もきついんだけど、情に厚くて、心は誰よりもふくよかだという。それを聞いて京都がますます好きになってしまったので、京都が舞台の作品もまたいつか描くと思います。

――親の心子知らず、ではないですけれど、光都もタヅさんも、そしてお嫁さんたちも、それぞれ愛情は深いのに微妙にすれ違うのが家族だなあという気がしました。あと、理沙とひろゆきもそうですが、喧嘩したあと仲直りして大団円!ではなく、「実はあのとき……」という相手の想いをなんとなく汲みとって、言葉にはしないけど向きあい方を変えることで、関係性も良い方向へ培われていく、というのが好きです。そういう登場人物たちの姿を通じて、読者はほんの少し、世界の見方を変える力をもらえるのかもしれないな、と。

青山さん うれしいです。私、めちゃくちゃネガティブで被害妄想も激しい人間なんですよ(笑)。相手が機嫌悪そうだと「私のせい?」と思ってしまうし、すぐに嫌われたんじゃないかと心配してしまう。1話の美保ちゃんが抹茶カフェの若旦那のぶっきらぼうな態度にしょんぼりしていた、みたいに。でも、実際は若旦那のようにただ緊張していただけかもしれない。おなかがすいているだけかもしれない。そんなふうに発想を転換することを、選択肢のひとつとして覚えていたら、ちょっとはラクになるかな、って。嫌われた、と一度思ってしまったら、真実がどうあれ、その人にとっては一生嫌われたままの人生になってしまう。そんなの悲しすぎるから、「もしかしたら」と視点を変えてみることは大事かな、と思います。

『月曜日の抹茶カフェ』

私たちはみんな未完成だからこそ、
歩む道を選んでいける

――1話で美保が抹茶カフェで言った〈スマホって、そもそも最初から最後まで未完成なんです〉という言葉は、本作の肝ですよね。〈どんどん変化していく環境に適応していくために、スマホもちょっとずつマイナーチェンジしていく必要がある〉。この小説に登場する人たちもみんな、大成長は遂げていないけど、その人なりにマイナーチェンジをしている。前進ではなく、横道にそれただけかもしれないけど、それはその人にとって偉大なる一歩だ、っていう。

青山さん 実は、私の頭にあったのはコロナ禍のことだったんです。新しいウィルスが出てくる、電波状況が安定しないとか、スマホについて書いたけれど、それは同時に今の私たちのことだなと思っていて。もちろん専門家が、状況をよくするために、ウィルスを撃退するために、日々がんばってくれてはいるんだけれど、私たち個人がスマホの不具合をどうすることもできないように、今の私たちは状況をひどくしないように気をつけながら、やり過ごしていくことしかできない。そういう苦難を乗り越えるために必要なのは、抗ったり戦ったりすることだけでなく、柔軟性なんじゃないかと思ったんです。

――柔軟性というのは、先ほどおっしゃった、視点を変える、ということ?

青山さん そうですね……。未完成であるということは、ひとつの強みでもあると思うんです。たとえば、炊飯器がどれだけ優れた機能をそなえていても、それで完結された商品はテレビを観たり音楽を聴いたりすることはできないでしょう? 用途の決まった完成品の美点や利点はもちろんあるけど、それ以外の何者にもなれない、という弱みでもある。私たちは未完成であるからこそ、道を選ぶ自由を与えられているし、アンラッキーだと思っていることを、ラッキーに変える力も持っているんじゃないのかな、と。そのために必要なのは、攻めの姿勢よりも受け身をとる方法かもしれない、って思います。物事を受け入れていく柔らかさ、というのかな。

――たしかに青山さんの書く小説は、闘って何かを乗り越えようとするのではなく、自分なりの方法でいなしていく方法を見つける、ということが多い気がします。

青山さん 私自身、闘うことがあまり得意なタイプじゃないんですよ。もちろん、ときには気合を入れて立ち向かわないといけないこともあるんだけれど、闘うための力を誰もがそなえているとは限らないし、闘うことで生まれる周囲との軋轢や、誰かを傷つけてしまうかもしれないことを、見過ごせない人だっているでしょう。道徳を説くつもりはないし、どうするのが正しいかなんて誰にもわからない。わからないからこそ、まずはちょっとだけ体の向きを変えてみるといいんじゃないかな、って思います。そうすると「こっちの道ならまだ進みやすい」っていう新しい景色が見えるかもしれないですし。

『月曜日の抹茶カフェ』

――そうして進んだ先で見つけた人との出会いが、また新しい道を切り開いてくれるかもしれない。

青山さん そうだといいな、ということの積み重ねですよね、人生は。本屋大賞をきっかけに私の小説を読んでくださる方が増えて、ポプラ社さんは(『お探し物は図書室まで』に)読者はがきを挟みこんでいるので、SNS以外でも感想を目にする機会があるんです。下は小学生、上は90歳近い方まで、男女問わず幅広く読んでいただけて本当にうれしいんですが……ときどき「明日も生きようと思えた」というような、切実なお言葉をいただくこともあるんです。誰かに生きる希望を与えられるような小説を書きたい、なんていうのはおこがましいし、私はただ、自分が書きたいと思う小説を書いているだけだけど、日々を懸命に生きている人たちがふとくじけそうになってしまったときに、もうちょっと頑張れるかもしれないって思えるような作品になれているとしたら、本望です。

――とくにこのコロナ禍で、青山さんの小説に支えられる読者は多いと思います。

青山さん 今、みんな、本当にがんばっているじゃないですか。自分には何もない、何もできていない、ってつい思ってしまうけど、生きているだけでえらいよ、今日を生き延びただけで自分をほめてあげよう、って心の底から思います。

――〈一番素晴らしいのは、遠いところで手を繋いできた人たちが、自分がどこかで誰かを幸せにしてるかもしれないなんてまったくわかってないことだね〉というマスターのセリフがありました。忘れてしまうくらい些細な出会いに自分が導かれることがあるように、自分も知らないうちに誰かの力になっているかもしれない、というのはきっと、生きる希望になると思います。

青山さん マスターはちょっといいこと言いすぎたけど(笑)、でも本当にそうですよね。本屋大賞2位になったことで、私の名前を知っていただき、作品にも一斉重版がかかり、本当にありがたいと思う一方で、作家と読者はひとつの作品を通して常にマンツーマン、一対一なんだ、ということを忘れずにいたいな、と思います。どんなタイミングでどの作品を手にとっても、読者一人ひとりにとって大事な出会いとなるような作品を、これから先もずっと書き続けていきたいです。

『月曜日の抹茶カフェ』


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