『ニッサン R31型スカイライン』伝説のGT-R誕生に大きく貢献したエボリューションモデル【忘れがたき銘車たち】

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2021年09月28日 17:11  AUTOSPORT web

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写真1988年第2戦の西日本ラウンドからは全車がHR31型になった。このレースはアンデルス・オロフソン/鈴木亜久里組の駆るリコーニッサンスカイラインが制した。
1988年第2戦の西日本ラウンドからは全車がHR31型になった。このレースはアンデルス・オロフソン/鈴木亜久里組の駆るリコーニッサンスカイラインが制した。
 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、グループAレースに参戦したニッサンR31型スカイラインです。

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 1986年にグループAでタイトルを獲得しながらも、翌1987年にはフォード・シエラという強力なライバルの登場もあって、戦力が低下していたニッサンDR30型スカイライン。

 DR30型については、以前にこの連載でご紹介した通りだが、そのDR30型に代わる新兵器、それもニッサンとしては初のグループAを視野に入れたエボリューションモデルとして1987年のインターTECより登場したのが、ニッサンHR31型スカイラインGTS-Rだ。

 R31型の市販車の登場は1985年。この年は、全日本ツーリングカー選手権(JTC)の初年度であり、1986年頃にはグループAにR31型が投入されてもよさそうなもの。

 だが、R31型はDR30同様にレースを考慮した設計がされておらず、さらにR31型となってから販売上のライバル車を意識したこともあってラグジュアリーな方向へ傾いていたこともあり、レースでの結果が得られないと判断。DR30型を使い続けていた。

 しかし、DR30型の相対的な戦力低下、さらにインターTECでの外国車勢に敗北。これを受けて、1986年の半ばに追加された2ドアクーペのGTSをベースに同年の暮れからグループA向けのエボリューションモデルが開発された。

 こうして、1987年8月に発売されたのがニッサン初のグループAホモロゲーション車『GTS-R』であった。

 この『GTS-R』は、エンジンの吸排気やタービンまわりに変更を受け、エアロパーツが装着されるなどのモディファイが行われた1台だった。

 デビュー戦の1987年インターTECでは、トラブルなどもあり苦戦を強いられたが、1988年は全6戦中4勝をフォード・シエラに奪われるも、開幕2連勝を記録するなど健闘した。

 さらに1989年には、第3戦〜5戦まで3連勝したリーボック・スカイラインがトヨタ・スープラとフォード・シエラを破って、3年ぶりのタイトルを獲得。一定の成功をしたかに見えた。

 しかし、この『GTS-R』では、動力系こそ当時の最新となっていたものの、サスペンションやボディは旧モデルの延長であったためバランスが悪かった。

 さらに搭載されたRB20DET-Rもピークパワーを意識したチューンだったために中速域が犠牲となっており、ドライバビリティに優れたものとは決して言えなかったことなど、数多くの問題点を抱えたマシンであった。

 このR31で洗い出された課題の数々。これは大いなる糧となり、1990年、伝説の『GT-R』誕生に大きく貢献することになる。そう考えるとこのR31が成した役割は歴史上、非常に重要なものだったと言えるだろう。

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  • 昔、大学の後輩の兄貴が日産の実験部?にいたそうで、テスト用に作ったセダンのGTS-Rを譲り受けて乗っていた。事故で消えたけど。
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