“ローリング・ピアノマン” リクオが京都から届ける「心の風通し」が良い音楽

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2021年09月28日 17:32  マイナビニュース

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近年のエンターテイメントの世界では、東京以外を拠点として活動を続けているアーティストも珍しくない。“ローリング・ピアノマン” リクオもその1人だ。1990年代にデビューして以来、作品を発表しつつ、年間130本ものライブツアーや、主催イベント〈HOBO CONNECTION〉を行うなど精力的な活動を行っているリクオは、現在京都から音楽を発信し続けている。2021年9月10日に発売された、弾き語りアルバムとしては11年ぶりとなる『リクオ&ピアノ2』も、京都での人脈で作り上げた作品だという。今回、リモートで京都と東京をつなぎ、現在の活動の様子とアルバムの内容についてインタビューを行った。その話ぶりからは、今の世の中に必要な「心の風通し」の良さが伝わってきた。


この1年半ぐらいで地域発信するという意識がより強くなっていた



――『リクオ&ピアノ2』は現在拠点にしている地元・京都の人脈で作り上げたそうですね。京都出身ではあるものの、以前は関東に在住してツアー活動をしていたリクオさんですが、そうした人脈は長年培ってきたものなんですか?



リクオ:僕は大阪の大学に通っていた頃に本格的に音楽活動を始めて、プロになってからも1996年までは大阪に住んでいたんです。京都磔磔や拾得というライブハウスには、アマチュアの頃からお世話になり続けていたので、京都、関西に住んでいなくても、つながりはある程度途切れることなく続いてはいました。もちろん、住んでいたわけではないので地域との密接なつながりがあったわけではないんですけども。ただ、地域に密着したいという思いは、京都に引っ越す前に神奈川県藤沢市の鵠沼海岸という海辺の街に住んでいた頃からあったんです。藤沢で地元のフェスのお手伝いをさせてもらったり、地域の音楽好きな人たちとのネットワーク作りはかなり意識的にやっていました。11年前に弾き語りアルバム『リクオ&ピアノ』を作ったときも、家から自転車で5分ぐらいの江の島の海沿いにあるライブスポット「虎丸座」でレコーディングしたんです。だから、考えてみると11年前のアルバムも地元で作ってるんですよね。今回はコロナ禍ということもあって、この1年半ぐらいで地域発信するという意識がより強くなっていたので、その実践の1つとして京都の人脈を活かして、自分が暮らす街でアルバムを制作することを当初から大きなテーマの1つにしていました。


――京都のどんな方々と制作していったのでしょうか。



リクオ:自分が今暮らしている京都一乗寺で町興しイベントを積極的に開催している「一乗寺フェス」チームの人たちが多く関わってくれてます。レコーディング会場になっているのが、一乗寺にある「アン・シャーリー」という喫茶店なんですけど、このお店は一乗寺フェスの会場の1つでもあり、スタインウェイのグランドピアノが置いてあって、ママさんはクラシックのピアノ演奏者でもあるんです。そのママさんは、一乗寺フェスのリーダーの谷田君がやっている「Cafe&Bar OBBLi(オブリ)」という店の常連でもあって、そこで一緒に飲む機会が結構あったんですよ(笑)。そういう感じで本当にご近所付き合いをしていて。店の距離も近いこともあって、「アン・シャーリー」でライブをやるときに「オブリ」の方から機材を借りたりすることあったり。今回、ジャケットデザインワークも一乗寺フェス配信チームの1人であるコバヤシナオト君という非常に優秀な映像作家にコーディネイトとディレクターをお願いして、彼が連れてきた信頼できるカメラマン・五十嵐邦之、デザイナー・中家寿之の3人とアイディアを出し合いながら進めていきました。レコーディングエンジニアも、京都のレコーディング・スタジオ「music studio SIMPO」の運営者でもある小泉大輔君にお願いしました。彼は、くるりの岸田繁君の大学の同級生で、くるりの新譜のレコーディングにも関わっています。長年プロアマ問わず京都のミュージャク・シーンを支え続けてきた、地域密着のスタジオ経営者でありエンジニアです。



――そういう人脈も、長年の活動で培われてきたものが、京都在住になってより強固になっていた感じですか。



リクオ:そうですね、京都に越してきた4年近くで、人脈は大幅に広がりましたね。

地元で感じた「良い街の在り方」

――一乗寺フェスやリクオさんの配信ライブを拝見すると、ライブハウスではなくてライブができる飲食店が多いみたいですね。



リクオ:一乗寺界隈には、所謂ライブハウスはないんですけど、バーやカフェに簡易なPAシステムやピアノが置いてあったりして、毎日ではなく月に1回など定期的にライブイベントを企画するお店が多いんですよ。一乗寺フェスというのはそういうお店が集まったサーキットフェスなんですけど、この10年でそういうお店が増えたんだと思います。それはとても良いことだと思ってます。



――それだけ生活と音楽が密接にある街?



リクオ:本当に小さな街なんですけどね(笑)。たぶん、そのコンパクトさがいいんだろうなって。大きな繁華街があるわけじゃないんですけど、曼殊院道(まんしゅいんみち)というストリート界隈にお店がそこそこ集まっているんです。その1つに「恵文社」という本屋プラス雑貨屋の大きなお店があるんですけど、そこは京都のサブカルチャー発信地とも言えるお店で、その周りにお店が集まっているような感じ。そうやって、1つの小さな通りにお店が集まってくるというのは、街の在り方として良い状況なんじゃないかなと思います。いろんなところにツアーに行っていて感じたことなんですけど、お店って一角にある程度集まっていないとその街が盛り上がらないんですよね。そうじゃないと横のつながりができにくいじゃないですか?小さな通りでもお店が一角に集中していると横のつながりができやすく、そのネットワークでイベント告知もやりやすくなるんです。



――今は地方に行っても、チェーン店ばかりで都市部と同じような光景のところもありますけど、お話を伺っていると一乗寺界隈は全然そんなことなさそうですね。



リクオ:ツアーで全国を回っていると、郊外にショッピングモールができて、商店街がシャッター街になってしまうという、日本全国共通の状況に気づきます。たぶんこの20年ぐらいで、その流れが急速に進んだと思います。大店立地法(大規模小売店舗立地法 / 2000年(平成12年)6月1日より施行)という、郊外に大型店を立てやすい法律に変わった影響も大きかったんだと思います。そのことによってドーナツ化現象が日本全国の地方で進んじゃって、どんどん街が寂れていくという状況なんですよね。だから、人が集まれるような社交場がなくなりつつあるんじゃないですかね。それはとても深刻な問題だと思いますし、「街がなくなっていってる」という実感があります。そういう意味では、僕が前に住んでいた藤沢や今住んでいる京都は、まだ街が生きているんですよね。



――だからそこに音楽もずっと息づいているということですか。



リクオ:そうですね、そう思います。


――『リクオ&ピアノ2』に収録されている「ランブリングマン」の歌詞にもあるように、日本全国を旅していたリクオさんが、以前のようにツアーができないというのは相当影響がありますよね。



リクオ:変化はもちろんあるんですけど、僕が日本各地を回って活動を継続できたのは、その地域地域に人のつながりがあったからだと思うんです。以前、藤沢に引っ越したときに感じたんですけど、それまで僕は東京に住んでいて、近くの下北沢に行っても、一緒に飲むのは音楽関係者ばかりで、それ以外のつながりがなかったんです。でも地方に行くと、業界の人以外といっぱい知り合うんです。僕がツアー生活を始めたのは、自分が選んだというよりは、それ以外の選択肢がなかったからなんですけど、ツアー暮らしを始めたら業界以外の多様な人とダイレクトに出会う機会が多くなって、そういう人たちの価値観、時間の流れ、その街の空気感とかに触れることによって「心の風通し」が良くなったんです。その体験が今の僕の原点になっていて、各地方で感じた音楽を通じた人との緩やかなつながり、コミュニティを自分が暮らす街でも実現できないかな、自分もそのつながりの中に参加させてもらえないかな、という思いが強くなったと思うんです。このパンデミック下で思うようにツアーに出ることができなくなったんですけど、自分が暮らしているこの京都の街で、自分がツアー暮らしで感じてきたことをより実現していくというか。そういう機会になればいいなという思いはありました。



リクオから届いた手紙のようなアルバム『リクオ&ピアノ2』



――『リクオ&ピアノ2』には、今おっしゃった「心の風通し」の良さや、距離感の近さをとても感じましたし、離れたところにいるリクオさんから手紙をもらったような気持ちで聴かせてもらいました。



リクオ:それはうれしいですね。本当にそういうつもりで書いた曲が何曲もあるので。


――とても心地良く聴ける1枚なんですけど、1曲目の「イマジン」の日本語カバーは聴いたときに衝撃を受けました。ジョン・レノンのオリジナルとも、RCサクセションのカバー(日本語詞:忌野清志郎)とも違う、暗い曲調にアレンジされていますが、どのように考えてカバーしたのでしょうか。



リクオ:やっぱりこのパンデミックの状況が反映されたアレンジになってると思うんですけど、この状況になる前から世の中が不穏な空気に包まれていることを感じていたので、曲に緊張感を持ち込みたいなと思ったんです。ある種の緊張感や内省的な要素をより強く曲に持たせながら、最終的には希望を感じてもらえたらと思ってます。



――前作はカバー曲のみでしたが、今作ではカバー、既存のオリジナル曲、新曲で構成されていますね。



リクオ:前作では自分のルーツを感じてもらえるような作品になればいいなと思っていたんですけど、今作はカバーやオリジナルにこだわらずに作りたいなと思ったんです。普段のライブでもカバー曲を歌う機会が多いので、お客さんの前で演奏するのと近い感覚で、あまりカバーとオリジナルに強いこだわりを持たずにフレキシブルに選曲しました。


――Theピーズの「実験4号」は以前、〈HOBO CONNECTION〉でもハルさんと一緒に演奏されていましたが、リクオさんは今回スローテンポで歌い上げていますね。



リクオ:これは大好きな曲なんですよ。ハル君との共演で何回か伴奏させてもらったんですけど、いつか自分でも歌わせてもらいたいと思ってました。今回、「ニューヨークの場末のピアノマン」をイメージしてアレンジしました。この曲は僕にとっては“再生の歌”なんです。年齢もあると思うんですけど、“再生”というのが僕の近年のテーマの1つになっているんですよね。無意識のうちにそういうテーマが曲に盛り込まれるようになってきたと思っています。



――「実験4号」は、〈何かまたつくろう 場所は残ったぜ〉という歌詞にもあるように、最終的には希望の歌ですもんね。



リクオ:“49%のネガティブと51%のポジティブ”みたいな曲に感じるんですよ。2%ポジティブが上回ってればいいんじゃないかっていう(笑)。100%ポジティブってありえないし、そういう曲はあんまりリアリティがないなと思うんですけど、ハル君が書くギリギリポジティブっていう表現がリアルだし、人間のダメさ加減というか、誰でもボチボチな生き物なので(笑)。それがリアルに表現されているなと思います。この曲を聴いていると、ハル君の人に対するまなざしが優しいなって思うんですよね。



――これまで歌ってきたカバー曲で言うと、「満月の夕」は今回初めてレコーディングされていますね。この曲はいろんな方が歌っていますが、リクオさんはこの曲にどんな思いがありますか。



リクオ:この曲が生まれたときに自分も立ち会っているという意識があって。阪神淡路大震災が起きた数週間後から、作詞した中川敬君のバンド、ソウル・フラワー・ユニオンがチンドンスタイルで毎日のようにボランティアで被災地の避難所などに演奏しに行っていて、自分も時々同行して演奏に参加させてもらっていたんです。そういう体験の中から「満月の夕」が生まれているので、この曲が生まれる現場を体験しているんですよね。歌詞は中川敬と山口洋の2つのヴァージョンがあるんですけど、僕は当時、被災地に近い大阪に住んでいて現場に出向いていたこともあって、中川君のバージョンで歌わせてもらっています。

2人とは、それぞれと散々ツアーで全国を回ってきた仲で、彼らとはライブで必ずこの曲をやるんです。なので、今のところ僕の生涯の中で最もたくさん伴奏した人の曲です(笑)。

――もうオリジナルと同じぐらい、演奏してきたわけですね。今回、改めてレコーディングで歌ってみていかがでしたか。



リクオ:改めてむずかしい曲だなって思いました。2人の歌を聴きすぎているので、自分はどう歌うかという着地点を見つけるまでの道のりがあったし、イメージがある程度できて、そこにまだ自分が近づけていないもどかしさもあったり。ちょっと神経質過ぎるかもしれないけれど、それぐらい自分にとっては思い入れのある曲だったので。やっとこのレコーディングを通して、自分なりの「満月の夕」を、完璧じゃないにしろ表現できたんじゃないかなと思います。



――これはもう、民衆の歌ですよね。



リクオ:本当に、みんなが歌うべき、歌ってほしい歌なんですよ。僕が勝手に敷居を高くしてしまってるだけで(笑)。

今の自分の思いと、社会の状況が自然にリンクした作品



――新曲の「短編映画」で〈前と少し違う歌に聞こえるけど〉というフレーズがすごく印象に残りました。これは世の中の状況の変化と共に歌ってきたリクオさんならではの表現ではないでしょうか。



リクオ:ありがとうございます。僕もそのフレーズが好きなんです。振り返ってみると、年代ごとに書いている曲が随分変わってきているなと思っていて。この曲はたぶん、50代以前には書くことがなかったと思うんですよ。この歳になって過去のことを振り返ったりする時間が増えてきたんですけど、そのことは決して悪いことだと思っていないんです。自分が過去の記憶と共に生きているような気がしていて、その過去とのつながりの中で今の自分があるという意識が強くなっている気がします。この曲も、そういう意識が反映されているんじゃないかなって、今話していて思いました。



――歌だけでなく、ピアノにも年齢を重ねたからこその円熟味があるというか、素晴らしい演奏を聴くことができます。「バータイム・ブルース」がすごく好きなんですけど、これは20代、30代の頃にはなかなか弾けないピアノなんじゃないですか。



リクオ:そうですね。これは、酔っぱらって体が横揺れしてるイメージをリズムにしたんです。「バータイム・ブルース」はピアノと自分の歌が一体化しているような感じでレコーディングできたかなと思っていて。それも一発録りの良さですね。



――「かけがえのない日々」は聴く人にとっての大切な人を思い浮かべるような、とても感動的な曲です。



リクオ:これも年齢だと思うんですけど、年を重ねてあの世とこの世の距離感が近づいてくるような感覚があるというか。もう会えなくなった人とか、過去の記憶と共に生きている自分に気付くときがあるんです。この曲は、自分でも何が歌いたいのかよくわからないままに曲を書いていたんですけど、僕なりのレクイエムなのかなと思っています。



――この1枚が出来上がって、リクオさんにとってどんな作品になりましたか。



リクオ:今の自分の思いと、社会の状況が自然にリンクした作品になったと思います。弾き語りというスタイル自体が、僕の表現のベーシックなので、装飾の少ない正直な表現ができたんじゃないかなと思います。



――2021年10月16日に京都信用金庫QUESTIONビルで、『リクオ&ピアノ2』発売記念イベントを開催するとのことですが、これはどんなイベントなんですか。



リクオ:新しい試みで、屋上と8階のキッチン付きのホールで2元中継のライブを行います。京都信用金庫QUESTIONビルは京都の市街地の中心にあるんですけど、ロケーションが最高なんですよ。初めての試みが多いので、ワクワクどきどきという感じです。音楽そのものを楽しんでもらうだけじゃなくて、京都の街の空気感とか景色も一緒に味わってもらえるイベントにしたいと思っているので、是非楽しみにしていてください。



岡本貴之 おかもと たかゆき 1971年新潟県生まれのフリーライター。音楽取材の他、グルメ 取材、様々なカルチャーの体験レポート等、多岐にわたり取材・ 執筆している。趣味はプロレス・格闘技観戦。著書は『I LIKE YOU 忌野清志郎』(岡本貴之編・河出書房新社)」 この著者の記事一覧はこちら(岡本貴之)
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