車の真横を特急電車が走っていた? いまでは見られない「道路併用」高速電車

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2021年10月16日 07:00  AERA dot.

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写真木曽川に架かる道路併用の犬山橋を渡り犬山遊園に向かう名鉄特急電車。画面右端には趣のある石造りの橋柱が写っている。開通当初、犬山遊園の駅名は犬山橋で、1949年から犬山遊園に改称されている。新鵜沼〜犬山遊園(撮影/諸河久:1981年12月8日)
木曽川に架かる道路併用の犬山橋を渡り犬山遊園に向かう名鉄特急電車。画面右端には趣のある石造りの橋柱が写っている。開通当初、犬山遊園の駅名は犬山橋で、1949年から犬山遊園に改称されている。新鵜沼〜犬山遊園(撮影/諸河久:1981年12月8日)
 1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は特別編として私鉄の特急電車が街中の電車道を走るという珍しい話題を取り上げる。


【いまでは見られない道路を走る特急電車! 貴重な写真の続きはこちら】
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 大手私鉄にはその発足が路面電車で、時代の要請に応じて高速電車に進化していった路線が多く見受けられる。関東では京王電鉄や京浜急行電鉄の高速電車が路面区間を走る光景が昭和30年代まで散見された。


 筆者の学生時代には、さすがにこのような光景は減少していたが、名古屋鉄道(以下名鉄)犬山線、近畿日本鉄道(以下近鉄)奈良線、山陽電気鉄道(以下山陽電鉄)の一部区間には路面走行区間が残されていた。行き交う自動車を横目に特急電車が泰然と道路を走る情景を紹介しよう。


道路併用の犬山橋を渡る特急電車


 冒頭の写真は風光明媚な木曽川に架けられた鉄道と道路併用の犬山橋を渡る名鉄特急電車。特急「みはま」は岐阜県の新鵜沼から知多半島の河和を結ぶ座席指定特急(座席指定料金250円)で、名鉄のエースだった7500系パノラマカーが充当されていた。


 道路併用区間がある名鉄犬山線の犬山遊園〜新鵜沼は地方鉄道法に準拠して敷設され、1926年10月に開通している。地方鉄道法では道路上に軌道を敷設することができないが、木曽川に架橋する鉄道橋を鉄道道路併用橋とすることが愛知県、岐阜県、名古屋鉄道の三者で合意され、例外的な認可を受けて架橋されたのが犬山橋だった。


 優美な三連トラス橋の犬山橋は全長223m、幅員16mで、犬山遊園〜新鵜沼の駅間距離700mのうち橋梁部が三割強を占めている。「犬山橋上の複線線路中心間隔が3mしかなく、上下線電車の行き違いができなかった」という説があるが、橋上で電車が行き交っていた記録が存在することから確証はない。ただし、橋上の運行速度は対向列車との接触防止の観点から時速25キロに制限されていた。


 モータリゼーションや列車密度の進捗で犬山橋が鉄道と道路輸送のネックとなってきたことから、鉄道と自動車の通行を分離するため、新たに犬山橋の下流に並行する全長253.5mの道路橋「ツインブリッジ」が2000年3月に架橋された。これにより従来の犬山橋は鉄道専用橋に改修され、道路上を走る名鉄特急の姿は過去のものとなった。




奈良名物「油阪の併用軌道」


 路面電車が走らない奈良市内にも、近鉄奈良線の油阪〜近畿日本奈良(きんきにっぽんなら/現在は近鉄奈良に改称)に道路併用区間があり、愛好者からは「油阪の併用軌道」と呼ばれ、奈良名物になっていた。


 次のカットは油阪の併用軌道を走る近鉄奈良線の特急電車。併用軌道は大宮通りに敷設されており、奈良線特急が終着を目前にした高天交差点にさしかかるシーンだ。写真の820系は1961年に製造された車体長18m、車体幅2.45mの奈良線用高性能車で、同系の800系と共に上本町〜近畿日本奈良を30分で結ぶ特急(特急料金不要)に充当されていた。マルーンにステンレスの帯をきりりと締めた外観で、鹿のイラストを配した特急ヘッドマークがお似合だった。


 近鉄奈良線の出自は大阪電気軌道が1914年に上本町〜奈良30800mを開業したことに始まる。軌道法に準拠して敷設され、軌間は1435mm、電車線電圧は600V(1969年1500Vに昇圧)だった。大阪電気軌道は関西急行鉄道を経て、1944年に南海鉄道との合併で設立した近畿日本鉄道となり現在に至っている。関西急行鉄道時代の1942年に軌道から地方鉄道に切替えられた。奈良線は生駒山を貫通する生駒トンネルの掘削断面が狭かったため、1964年に新生駒トンネルが開通するまで、狭幅の車両で運行されていた。


 1969年に併用軌道区間の油阪〜近畿日本奈良を地下化する工事が進捗し、12月9日に油阪駅が廃止され、地下新線と新大宮駅が開業。新大宮駅の東方から近畿日本奈良駅までが地下線に移行し、半世紀を超える併用軌道の運行に終止符が打たれた。


神戸市内の路上を走る特急電車


 路面電車仕様の兵庫電気軌道を前身とする山陽電鉄には、兵庫〜西代、須磨〜東垂水、明石市内の一部に道路併用区間が存在したが、須磨地区や明石市内は1940年代までに専用軌道に切替えられていた。筆者が訪れた1964年には、山陽電鉄の起点である電鉄兵庫(1943年に兵庫から改称)駅から西代駅の手前まで、約2000mの併用軌道が残存していた。




 写真は長田駅を発車して電鉄兵庫駅に向かう山陽電鉄の特急電車。画面左奥の木造駅舎が長田駅で、下りホームには電鉄明石(現在は山陽明石に改称)方面に向かう820系電車が写っている。画面右先の電鉄兵庫方面交差点には神戸市電尻池線とのダイヤモンドクロスがあり、電車線電圧1500Vと600Vの異電圧が交差するデッドセクションの通過シーンはファン垂涎の見どころだった。


 特急(特急料金不要)に充当された2000系(2014編成)は1962年に登場した3扉仕様のステンレスカーで、当時の最新車だった。ステンレス無塗装車体の窓下と裾に巻かれた細い赤帯が印象に残る。


 最後のカットが電鉄兵庫駅を発車して電鉄姫路(現在は山陽姫路に改称)に向かう特急電車。この2006編成は同じ2000系でも普通鋼で製造され、山陽電鉄標準塗装のクリームとブルーの外観だった。駅に隣接した交差点には交通信号もなく、日傘を差した婦人が軌道敷内で電車の通過を待つ、長閑な光景が記録されていた。画面の背後が5線4面のホームを持つ電鉄兵庫駅で、山陽電鉄の起点とはいえ、神戸市の中心部を外れたマイナーなターミナルだった。



 山陽電鉄の歴史は、前述の兵庫電気軌道が兵庫〜須磨5900mを開通させた1910年に始まる。軌間1435mm、電車線電圧600Vで、軌道法に準拠して敷設された。後年神戸姫路電気鉄道を併合した宇治川電気と合併し、1933年に山陽電気鉄道となった。


 1968年、神戸高速鉄道東西線(阪急三宮・阪神元町〜高速神戸〜西代)の開業にともなって、4月6日限りで電鉄兵庫〜西代が廃止され、開業以来続いた併用軌道の運行が終了した。ちなみに、当時は電鉄兵庫〜電鉄明石が軌道法に準拠しており、専用軌道区間の西代〜電鉄明石は1977年に地方鉄道に変更された。


■撮影:1981年12月8日


◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。著書に「都電の消えた街」(大正出版)、「モノクロームの軽便鉄道」(イカロス出版)など。2021年4月に「モノクロームの国鉄情景」をイカロス出版から上梓した。


※AERAオンライン限定記事


このニュースに関するつぶやき

  • 特別 急行 列車 の 運用 は 激減 風前 の 燈火 だが 専用 軌道 の 名 を 遺す 區間 は 今 も 健在^^ https://photo.mixi.jp/view_photo.pl?photo_id=2554577857&owner_id=29498436
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