蜷川実花、自腹を切っても伝えたかった集大成と現在地 「『共に』前へ進む」ということ

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2021年10月16日 10:00  AERA dot.

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写真東京の展示のために制作したネオン作品。「Floating」「Layered」「Visions」という新たなキーワードがある(c)mika ninagawa, Courtesy of Tomio Koyama Gallery
東京の展示のために制作したネオン作品。「Floating」「Layered」「Visions」という新たなキーワードがある(c)mika ninagawa, Courtesy of Tomio Koyama Gallery
 全国を巡回した蜷川実花の個展「蜷川実花展─虚構と現実の間に─」の、東京での展示が始まった。フェイクがあふれ、コロナ禍で不透明な時代に、「虚構と現実」は「過剰と静謐」「生と死」に重なり、境があいまいに溶け合う。蜷川実花の現在地を聞いた。AERA2021年10月18日号から。


【写真】「蜷川実花展」の展示と作品の続きはこちら
*  *  *


 東京での展覧会は、2018年から3年をかけて、全国巡回したものの集大成だ。


 東京では展示作品を大幅に入れ替え、映像作品を加えたり、書斎を再現したり。ここから巡回が始まるのか!?ぐらいの勢いで構成を練り直しました。かなり自腹を切っているので、採算はもちろん合わないのですが、でも、中途半端にやってもしょうがない。コロナの時代に、リアルな空間に観に来てくださる方がいる。新しいものを出そう、ベストを尽くそうと思ったら、アップデートが止まらなくなりました。



■重なりあい見える未来


「Layered(重なりあった)」という言葉を配したネオン作品を新たに出展していますが、それが自分で変わったことの象徴かもしれません。ものを作る時は「私の表現」が最初にあります。その芯は変わらずとも、外部と関係を結ぶ時に、柔軟性が出てきました。人や風景と自分が重なりあった時、互いに影響を受けながら「共に」前へ進む。「共に」で重なりあって見える未来があることを、ここで発見できたことは大きかった。なるほど、そうか、と。



 それまでは、「共に」という意識は、私には特になかったんですね。作品作りはチームワークの賜物ですが、「共に」は耳当たりのいい言葉だけに、意識的に避けてきていた。でも、写真も映画も、誰かに観てもらいたい、誰かとつながりたい、という気持ちの表れ。今までの展覧会は強いイメージを打ち出してきたけれど、今回はその裏で繊細に揺らいでいるもの、誰かと共有できる感情を「共に」出していきたいと思いました。


 会場は、「Blooming Emotions」「Imaginary Garden」という極彩色の世界に、父、蜷川幸雄との最期の日々を淡々と撮った「うつくしい日々」や、「写ルンです」を使って撮影した半径1〜2メートルの「TOKYO」など、緩急をつけた構成になっている。



 各部屋には、テーマを読み解く文章も掲げました。以前は、受け取り方、観方を限定するようなことはしたくないと思って、ガイド文の類いは一切付けてこなかったんです。でも、こう観てもらえたらいいな、ということを、こちらから伝えてもいいなと思って。その方が親切ですよね。


 展覧会のタイトル「虚構と現実の間に」に込めた想いがある。


 一つに見えることでも、そこには相反するものが多様に重なりあっている。それはずっと私のテーマでした。たとえば「Imaginary Garden」は、お墓に手向けられた造花を撮ったシリーズです。造花は本物でないもの、美しくないものと見られがちですが、人の思いが重なった時に聖なるものに転化する。その二面性を突き詰めたい。




■散るからこそより輝く


 すべてが変化していく「もののあはれ」も、コロナ禍でより強く感じるようになりました。桜や藤が咲き誇って1週間後に散っていく。その姿を撮った「光の庭」では、手元にとどめておけないから、より輝く美しさを、いとおしさを持って表現しました。花だけでなく、ありとあらゆるものがそう。なくなってしまうことがわかっているから、美しさを感じる。それをより身近に感じた一年でした。


 展示には女優や著名人を写した「I am me」、パラアスリートたちのポートレート「GO Journal」も加わる。テーマの幅広さは、自分の中でどのように統合されているのだろうか。


 私自身はいつも、とんでもない勢いで走っている人間で、それが生活までなだれ込んで、常にダムが決壊している状態なんです。子どものころからそういう性質で、50歳を前により悪化しています。人生の経験値の積み重ねと、あと、人から吸収する分量が多い。成長したい欲がすごく強くて、360度からインプットしたいし、吸収率も高いと思います。



■価値観が変わった


 そこには、焦りもあるんです。常に精一杯やってきてはいるけれど、何かをやり遂げた、という達成感は持っていない。今回の展覧会も一つの通過点だと思っています。ただ、どの時点でも「これ以上できない」というところまで、全力を尽くしたい。今は○○の時代だから、それを狙って発信したらいいだろう、という発想は私には皆無です。何に取り組むにも、自分にウソはつかない。自分がどれだけ好きになれるか。そこだけはめちゃ気を付けています。


 クールなパラアスリートは、自身が監修を務めたフリーマガジン「GO Journal」で主に撮影したものだ。


 日本財団パラリンピックサポートセンターから、数年前にパラリンピアンの撮影依頼をいただいた時、最初は小さな展覧会ができればいいという話だったんです。でも、興味のある方だけが観るのでは、アスリートたちが存在する意義が広がらないのではないか、と私から逆提案して、ファッション誌にシリーズを掲載しようと考えました。ただ、当時はどこものってくれなかった。だったら、自分たちでフリーペーパーを作ろう、と。フリーペーパーって、圧倒的なクオリティーでないと、手元に取っておいてもらえません。ただのゴミとして読み捨てられてしまったら、それがどれだけ罪深いことか。その緊張感はすごかった。



 東京2020を経て、パラアスリートに対する価値観が変わりましたよね。その流れが変わっていくことを、間近で見た感はあります。私がやったことがプラスに作用しているといいなと思います。


 東京2020組織委員会では理事の公職に就いていた。


 公のプロジェクトに関わったことで、自分の立ち位置に対する認識は改まりました。




■混沌から生まれるもの


 女性写真家が、身近な日常を切り取るブームの中でデビューした私は、ブームとは異質の作風で、「あんなのは写真じゃない」と言われ続けてきました。だから、意識はいつも挑戦する側。それがいつの間にか、挑戦される側にまわっている。槍を持っている方じゃなくて、持たれる方になっているじゃないか。長くやってきたんだなー、と。


 自分の実力を低めに見積もるクセが付いているんです。その方が仕事でがんばれる気がするので。そんな自分が、ある種の社会的な存在としてとらえられている。ちゃんとしないといけの終章は、モノトーンに近い幻想的な桜と藤の写真で終わるかと思いきや、カルトでキッチュな色彩が爆発する「Chaos Room」が待っている。


 子どもが2人いるから、生活もしなきゃいけないし、食事も作っているけれども、結局、私は混沌としたものの中から何かを拾い続けているんだと思います。今回の展覧会は、「もののあはれ」で終わってもいいかな?と思っていました。そないんだ、と考え直しました。



「虚構」と「現実」を行き来する展示れが普通の美しいやり方ですよね。でも、最後に赤い部屋の混沌としたノイズで、やっぱり蜷川実花だ、と思ってもらえる方がらしくていいな、と。実際、映画の小道具も含めて自宅にあるものも多くあって、あのエネルギーの塊のようなモノと色彩の中で私は落ち着くんです。最後にあのインパクトを出すことで、「なんかわからないけど、がんばろうね!」って、メッセージが伝えられるんじゃないかと思っています。


(構成/ジャーナリスト・清野由美)

※AERA 2021年10月18日号


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  • �ѥȥ���「Layered(重なりあった)」 という言葉を配したネオン作品を新たに出展����
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