河北麻友子の人生の分岐点「ニューヨークで育って、死ぬと思っていた」

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2021年10月16日 11:30  AERA dot.

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写真河北麻友子 [撮影/写真部・高野楓菜、ヘアメイク/相場清志(eif)、スタイリング/池田直美(佐々木事務所)、衣装協力/ENFOLD アクセサリー:e.m.]
河北麻友子 [撮影/写真部・高野楓菜、ヘアメイク/相場清志(eif)、スタイリング/池田直美(佐々木事務所)、衣装協力/ENFOLD アクセサリー:e.m.]
 ニューヨークで生まれ育ちながらも、日本の芸能界で活躍する河北麻友子さん。作家・林真理子さんとの対談では、自身の転換期を語りました。


【林真理子さんとのツーショット写真はこちら】
*  *  *


林:はじめまして。まあ、なんてお顔が小さいんでしょう。背が高いんですね。もっと小柄かと思っていましたけど。


河北:ほんとですか? 163センチです。


林:あら、ふつうですね。お顔が小さいから背が高く感じるのかな。このたびはご結婚おめでとうございます。


河北:ありがとうございます。


林:どうですか、新婚生活は。


河北:何も変わらないんですけど、隠さなくてもよくなったという部分では、気がラクになりました。


林:コロナのときも、一人でおうちにいるよりは、二人でいるほうが楽しいですよね。


河北:はい、ほんとにそうだと思いました。コロナのとき家でずっと一人だったら、耐え切れなかったと思います。


林:今はご主人とお酒飲みながらネットフリックス見て楽しく過ごしているんですね。


河北:はい。今は「サイコだけど大丈夫」という韓国ドラマにハマってます。


林:お料理とかもするんですか。


河北:します、します。料理は私も彼も好きなので、二人で料理したりとか。


林:河北さんはニューヨークからの帰国子女ですけど、日本の男の人はアメリカの人に比べてもの足りないとか、そういうことはなかったですか。


河北:もの足りないとかいうことはないですけど、愛情表現が少ないなとは思いますね。だから「もうちょっと愛情表現してほしい」って要望を出しています(笑)。


林:芸能界広しといえども、ニューヨーク出身って河北さんくらいだと思います。ロサンゼルス出身はわりといらっしゃるけど。新田真剣佑さんとか。


河北:ああ、そうですね。確かにニューヨーク出身という方には、お会いしたことがないです。


林:しかも、マンハッタンなんでしょう? マンハッタンってニューヨークの中心部だけど、現地の学校に通ってたんですか。




河北:はい。ふつうの現地の学校に行ってました。


林:子どものときからブロードウェーのミュージカルとか見てたんですか。


河北:はい、見てました。


林:「キャッツ」とか「オペラ座の怪人」とか?


河北:「キャッツ」は、メチャクチャ繰り返し見ました。「オペラ座の怪人」も2回ぐらい見に行きました。


林:そのときから、私もああいう世界に行こうと思ってたんですか。


河北:ぜんぜんそんなことはないんです。たまたま11歳のときに、日本で「美少女コンテスト」(「全日本国民的美少女コンテスト」)というのがあることを知ったんです。それまでは将来何になりたいとかも考えないで、ふつうに学校に通ってたんですけど、「美少女コンテスト」というのに出会って、その年の夏休みは日本に行く予定がなかったので、コンテストに受かったら日本に行けるんだと思って、それで写真だけ送ってみたんです。落ちても何かを失うわけでもないし。


林:そうしたらトントントンッて行っちゃったんだ。


河北:まず10万人の中から書類選考で千人に絞られて……。


林:えっ、10万人も応募があるんですか。


河北:はい。「10万人の中の千人に選ばれました」って電話があって、家族で「それってすごくない?」「もう行くしかないでしょう」という話になり、日本に行くことにしました。その千人は対面式の面接があるんです、東京で。


林:ニューヨークからの旅費とか主催者側が出してくれるわけ?


河北:えーと、どこまで出してくれたか覚えてないんですけど、千人からどんどん絞られてきて、本選大会は21人なんです。その21人に選ばれて本選大会に出られることになったんです。


林:すごいじゃないですか。


河北:びっくりしました。私はそのとき、ニューヨークに帰るというのが絶対条件というか、そのまま日本に住むことはまったく考えていなかったんです。ところが、まさかと思っていたグランプリを取れてしまって、そこから日本に行くことを考え始めました。



林:そのとき11歳というと、小学校6年生ですよね。


河北:はい。「ニューヨークに帰って、レッスンをしてください」と言われて、そのあといろんなレッスンを受ける中で、芸能活動をやってみようかなという気持ちにだんだんなってきたんです。それで16歳のときに日本に来ました。


林:「美少女コンテスト」って、スターをいっぱい生んでいますよね。米倉涼子さんもそうだし、上戸彩さんもそうだし。そのグランプリを取って、お父さまもお母さまもびっくりですか。


河北:それはもう、全員がびっくりです。めちゃくちゃシャイで人見知りだったので、まさか私がグランプリなんて誰も思ってなかったと思います。


林:お友達もびっくりですか。


河北:いや、私の周りにも学校にも日本人はぜんぜんいなくて、日本人は自分一人だったので、ニューヨークの子たちはほとんど知らないと思います。


林:ニューヨークの友達には「マユ」と呼ばれてたんですか。


河北:「マユコ」(ユにアクセント)って呼ばれてました。


林:ニューヨークで、日本の雑誌やテレビは……。


河北:ぜんぜん入ってきていませんでした。ただ、ケーブルテレビでフジテレビだけは見られたんですよ。それで好きな番組を定期的に見てました。


林:当時のフジテレビってどんなのですか。


河北:「HEY!HEY!HEY!」とか「スマスマ」(「SMAP×SMAP」)とか。


林:ああ、その時代ですか。日本への憧れはあったんですか。


河北:すごくありました。


林:ニューヨークの女の子って、大学はどこに行くんですか。


河北:ニューヨークから出る人が多いかもしれないですね。私はニューヨークで生まれて育って、ニューヨークで死ぬと思ってたんですけど、この仕事をすることになって、日本に来たのが高校1年生のときだったんです。そして堀越高校に入ったんですけど、「堀越史上一のバカ」と言われて(笑)。


林:えっ、うそうそ! それは日本語がちゃんとできなかったっていうことでしょう?



河北:そうなんです。そう言われていたので、あまり説得力はありませんが、アメリカにいたとき、成績は悪くないほうでした。


林:じゃあ、将来は東部の有名大学に行こうと……。


河北:もしあのままニューヨークにいたら、あたりまえのようにそうだったんじゃないかと思います。


(構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木敏雄)


河北麻友子(かわきた・まゆこ)/1991年、アメリカ・ニューヨーク出身。オスカープロモーション所属。2003年、第9回全日本国民的美少女コンテストでグランプリ・マルチメディア賞W受賞。モデルや女優など、幅広く活躍。「世界の果てまでイッテQ!」「BeauTV〜VOCE」などのテレビ番組、「河北麻友子のマユコレ!」などのラジオ番組のほか、太田胃散「太田胃散整腸薬」、ライオン「Ban」、青山商事「ザ・スーツカンパニー2021春夏レディス」などCM出演も多数。


>>【河北麻友子、初対面の出川哲朗に「本番以外では、テッちゃんって呼ぶ!」】へ続く


※週刊朝日  2021年10月22日号より抜粋


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