ライバル→チームメイト→スタッフとして。榎下陽大が語る斎藤佑樹「野球の神様が味方についていた」

12

2021年10月18日 17:01  webスポルティーバ

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

webスポルティーバ

写真写真

 現役最後のマウンド──2021年10月17日、斎藤佑樹は札幌ドームで行なわれたオリックス戦にリリーフとして登板、1番の福田周平と対峙した。7球を投じた斎藤は福田をフォアボールで歩かせ、交代。バッターひとりだけと決められていた最後のマウンドを終えた。試合後にはセレモニーが行なわれ、挨拶に立った背番号1は「斎藤は『持っている』と言われたこともありました。でも、本当に持っていたら、いい成績を残して、こんなにケガもしなかったはずです。ファンのみなさんを含めて、僕が持っているのは、最高の仲間です。長い間、本当にありがとうございました」と静かに語りかけた。

 斎藤が「持っている仲間」。

 そのひとりが、高校時代に甲子園で投げ合い、大学卒業後に同じ年のドラフトで指名され、ファイターズのチームメイトとしてともに過ごした榎下陽大だ。

 2006年8月19日、夏の甲子園、準決勝。斎藤は鹿児島工を相手に被安打3、無四球、13奪三振というつけ入るスキを与えないピッチングを披露し、完封した。駒大苫小牧と引き分け再試合を含む2試合にわたった決勝での死闘を演じる直前のことだ。

 あの夏、県立として53年ぶりに鹿児島から甲子園へ初出場を果たした鹿児島工は、勢いに乗ってベスト4まで勝ち上がってきた。その原動力が甲子園で調子を上げたエースの榎下だった。榎下はその後、九州産業大学を経て、斎藤と同じ2010年秋のドラフトで、ファイターズから4位で指名され、プロ入りを果たす。榎下は7年間で35試合に登板、通算2勝1敗の数字を残し、2017年限りでユニフォームを脱いだ。現在はファイターズのチーム統轄本部国際グループに所属する榎下が、現役を引退する斎藤について話してくれた。




 僕ら88年世代が"佑ちゃん世代" "ハンカチ世代"と言われて、僕もこんなふうに注目してもらえたのは斎藤のおかげです。僕がプロに行けたのは、斎藤がいたからです。

 甲子園で斎藤のボールを間近で見て、こういうボールを投げる人がプロになるんだなと思いました。でも大学時代になんとか食らいついて、斎藤に刺激を受けたおかげで僕もプロに評価してもらえるまでになった。引退を決めた斎藤から「ありがとう」という言葉をもらったので、僕も「お疲れ様。ありがとう」と返しました。握手をして......それだけでしたが、長いつき合いですからそれですべてをわかり合える感じがしました。

 僕、あの夏の甲子園、準決勝の早実との試合には先発していません。準々決勝(福知山成美戦)で延長10回を一人で投げ切っていたからです。だから僕は、ウチとの試合に斎藤は投げてこないと思っていました。僕と同じで、前日までの試合をほとんどひとりで投げていましたから......でも現実は、僕が休んでいるのに斎藤は投げている。一塁側のベンチから斎藤を見ていましたが、どこにそんな体力やスタミナがあるんだろうと驚きましたね。そんなに大きく見えないあの身体で、よくこんなボールが投げられるなと思っていました。

 結局、4回から僕もリリーフで出て、1打席だけでしたが斎藤と対戦もしました。あの時、初球の甘い変化球を見逃してしまったんです。なぜか手が出せなくて、「ああ、今のを打てばよかった」と思っていたら、真っすぐがドーンと......今までに対戦したことのないボールでした。シュルシュルシュルってキレもあるのに、ベース上では重さも感じる。ベンチからの斎藤は小さく見えたんですけど、バッターボックスに立ったら大きく見えました。淡々と投げてくるのにオーラに圧倒されるというか、闘志をむき出しにせずに向かってくるんです。力負けでした。

 斎藤がなぜすごいのかって、よく投球術とか言われますけど、バッターボックスに立った人にしかわからないオーラがあるからだと思います。ポーカーフェイスで淡々と投げ込んでくるのに、あのオーラ、気迫......大事なところだけピュッときて、あとはスーッと投げてくる。疲れていたはずなのにそれができるんだから、すごいピッチャーだなと思いました。

 あとは、あの青いハンカチですよね。よく覚えています。さわやかに、涼しげに、灼熱の甲子園で投げながらハンカチを出せるんですよ。僕ら「何でハンカチで拭いてるんだ」って......夏の甲子園ってホントに暑くて、全身、汗でビショビショになるんです。だからポケットに入れていたらハンカチもビショビショになっちゃうし、汗で濡れた顔を汗で濡れたハンカチで拭いて意味あんのか、アイツ、東京だからってなにをオシャレぶってんだよって思っていました。鹿児島の僕がハンカチを持っていたら「なんだ、あの田舎者」って言われたと思います。だから、早稲田実業の斎藤だからこそのハンカチ、鹿児島工業の榎下は手で拭きます(笑)。

 甲子園の後、高校ジャパンに選ばれてアメリカへ行く直前に国内合宿があったんですけど、その時、斎藤と同じ部屋だったんです。智辯和歌山の橋本良平(元阪神)と、僕と斎藤の3人部屋。あの期間に初めてちゃんと話をしました。印象は、やっぱりオシャレなやつだな、みたいな(笑)。朝から晩まで、寝てる時も食べてる時も風呂に入っている時も、斎藤はいつもオシャレでしたね。

 僕らは甲子園に出ただけでも大満足のチームだったのに、そこで気持ちよく投げることができて、しかも準決勝まで勝ち進んで、鹿児島に帰ってもよくやったの大フィーバーですよ。で、高校ジャパンに選んでいただいて、今、日本中を一大フィーバーに巻き込んだハンカチ王子と同じ部屋にいる......本当に夢の中にいる感じでした。空港でもグラウンドでも、斎藤、田中(将大)が歩けばマスコミもファンもぶわーっと動くんです。いや、"榎下陽大"も鹿児島市内ではそれなり(にキャーキャー言われる存在)だったんですけど(笑)、斎藤は全国でキャーキャー言われてましたから、僕まで芸能人になったような気分でした。あのときは18歳でしたけど、もし今、同じ状況に身を置いたら、もっと違うインスピレーションを受けていたかもしれません。

 大学時代も接点はありました。僕が1年の秋、神宮大会に出て早稲田と対戦したんです。僕はリリーフでしたが斎藤は先発して......その試合の前だったか後だったか、一緒に食事に行ったのを覚えてます。相変わらずオシャレで、斎藤が選んだのはピザだった(笑)。

 早稲田からジャパンに入っていた斎藤、後藤(貴司)、船橋(悠)、大石(達也)も来て、僕は九産大の何人かを連れていって......その時、僕は東京に出たこともなかったし、電車の乗り方もわからなくて、「ここね」と斎藤に言われたレストランへ行きました。

 斎藤は高校を卒業してからもずっと騒がれていて、僕は地方の大学に進んで、でもあんなに騒がれていた斎藤が「陽大、久しぶり」みたいな感じで変わらず接してくれたのはすごくうれしかった。

 普通だったら天狗になってもおかしくないレベルの騒がれ方じゃないですか。でも変わらなかったし、普通に「ごはん、一緒に行こうよ」って斎藤から言ってくれました。九産大の友だちも大興奮ですよ。「斎藤佑樹とごはんだ」って......当時の斎藤はどんな芸能人よりも有名でしたからね。その後も全日本の合宿で1年に一度は会うって感じだったので、なんだか遠距離恋愛しているみたいでしたね(笑)。

 だからプロで同じチームになった時はうれしかったですよ。もちろん、やっかみのようなものを感じたこともありました。プロ野球はうまくいかなければ終わってしまう世界ですから、僕がファームで手応えを感じていた時に一軍へ上がれないとなると、斎藤はずっと上で投げているのに「なんで僕は......」って思ったこともあります。

 やっぱり斎藤だけ特別扱いされてるとか、周りからも言われていて、それは本人の耳にも絶対に届いていたと思うんです。でも、斎藤はいつも変わらなかった。1年目から一軍で投げて、2年目に開幕投手をやって結果を出して、そういう斎藤とは僕もユニフォームを着ている間は枠を奪い合うという意味でライバルでしたから、悔しい思いもしました。

 でも僕が引退してからは僕の気持ちがスッキリしたのか、心から頑張ってほしいと思えるようになったんです。そこは斎藤が変わったんじゃなくて、僕が変わったということなんだと思います。

 ここ数年は、斎藤も苦しかったはずです。150キロを投げていたピッチャーが120キロ、130キロの真っすぐしか投げられないって、どれほど悔しいか......それでも何とか相手を抑えようと最後まで頑張っていた姿を僕は間近で見てきました。

 昔の速い真っすぐは投げられない、そのなかでどうしたら抑えられるかということを考えて、チームのアナリストと一緒に相手バッターの傾向をものすごく時間をかけてチェックしていたんです。そうじゃないと抑えられないということはあったと思いますけど、1イニングの中継ぎだったら投げるのは3、4人じゃないですか。それでも全選手について、どこが得意でどこが打ち取れているのかという傾向をアナリストから聞いていました。今の自分の球で抑えるにはどうしたらいいかということをとことん考えて、最後まであきらめなかったあの姿は忘れられません。

 斎藤は、いい意味で18歳の時から変わらなかったと思います。あれだけ騒がれて持ち上げられて、でもケガをしてからはネットでも叩かれて、それでも斎藤から弱音は一度も聞いたことがありません。「うまくいかないな、なんでうまくいかないんだろう」って野球のことで突き詰めようとしていたことはあっても、落ち込んだり愚痴をこぼしたりということは一度もありませんでした。きっと、誰に対してもそうなんでしょうね。肩を痛めて、ヒジも痛めて、僕が「大丈夫なの」って聞くことはあっても、斎藤はいつも周りに対しては笑顔で接していました。

 きっと斎藤には野球の神様が味方についてくれていたんでしょうね。甲子園で野球の神様に選んでもらった人なんじゃないかな。そうじゃないとあんなピッチングはできないし、周りもあんなフィーバーにはならないでしょう。だから斎藤は、周りがつくり上げた斎藤佑樹と自分自身の2人をうまく合体させていた。それができたのは野球の神様が味方してくれたからなんだろうな、と僕は思っています。

 その分、彼は斎藤佑樹であり続けるために愚痴や人の悪口を言わなかったり、そういうところはあったのかもしれません。野球界のスターですから、周りが期待しない斎藤佑樹であってはならないみたいな......だから最後までああいう笑顔で野球をやり続けてこられたんじゃないかな。

 斎藤って年上、年下にかかわらず、支配下だろうが育成だろうが、スタッフだろうが選手だろうが、誰に対しても同じように接して、よく話を聞くんです。早実で斎藤のチームメイトだった船橋とついこの前、電話で話をしたんですけど、彼も「斎藤は高校の時からベンチ外、メンバーかかわらず、誰とでも同じように接していたよ」と言ってました。

 そうやって聞くと、周りがつくった斎藤佑樹じゃなくて、もともとの斎藤佑樹がそうだったのかなと思います。だとしたら育ちのおかげなのか、その人間性ってすごいですよね。ただ、斎藤、たしかに話はよく聞いてくれるんですけど、それを覚えてないことが多い(笑)。だから「おい、ホントに聞いてたのかよ!」と思うことはありますね(苦笑)。

このニュースに関するつぶやき

  • 持っていたものをどこに落として来たんだい?���դ�
    • イイネ!0
    • コメント 0件
  • 斎藤佑樹、甲子園での姿をよく覚えています。あまりに爽やかで。大学に進んだときは驚きました。この記事からは、彼の内面の良さがよく伝わり、読んでいて晴れやかな気持ちになりました。
    • イイネ!0
    • コメント 0件

つぶやき一覧へ(4件)

ニュース設定