フレンチの貴公子・須賀洋介「今も闘いの最中」 宿命背負うスターシェフの葛藤

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2021年10月20日 11:00  AERA dot.

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写真シェフ・須賀洋介(すが・ようすけ)/1976年11月15日 愛知県名古屋市生まれ(撮影:蜷川実花)
シェフ・須賀洋介(すが・ようすけ)/1976年11月15日 愛知県名古屋市生まれ(撮影:蜷川実花)
「フレンチの貴公子」として知られる、シェフの須賀洋介さんがAERAに登場。「シェフの居場所は厨房だけじゃない。日本の食材と料理を発信したい」と話す須賀さんに、これまでの経歴や、現在の活動にかける思いを聞いた。AERA 2021年10月25日号から。


【写真】蜷川実花が撮った須賀洋介さんが美しく飾ったAERA表紙はこちら
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 その名を全国に広めたテレビ番組では、「フレンチの貴公子」と呼ばれた。満を持して開いた自身の店は、「東京で最も予約が難しい」と早くも伝説化している。昨年から今年にかけては、東西のルイ・ヴィトン大型店で、メゾン初の飲食店を出店した。


 名実ともにスターシェフの一人だが、撮影では華々しいイメージとは違い、フィルム・ノワールの主人公のような、苦みのある表情も浮かび上がった。


 実家は名古屋でフランス料理店とパティスリーを経営。3人兄弟の末っ子で、進学校に通っていたが、大学受験にモチベーションが湧かず、フランス留学を経て料理人の道に進んだ。




「やらされる、ということが昔から大の苦手。既定路線から逃げたい気持ちと、根拠のない自信もありました」


 そんな鼻っ柱の強さを買ったのが、21歳で出会ったフランス料理界の巨人、ジョエル・ロブションだ。ロブションがシェフから食のコンサルタントとして世界中にビジネスを広げていた局面で助手として採用され、めきめき実力を発揮した。26歳で六本木ヒルズにできた「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」世界1号店の立ち上げを任され、以後、ニューヨーク、台北、パリと世界各地で新店の出店を取り仕切り、猛者が集まる厨房で総料理長の重責を担った。


 独立は37歳の時。食を追究する場という意味を込め、店名に「ラボ」を入れた。「Japan to the world」を合言葉に、日本の食材と優秀な料理人を世界に発信したいと、多忙の中でも産地を訪ね歩く。


「常に第一線を疾走してきて、今も闘いの最中にいます。だからこそ、作り続けていける。ただ、あまりにも多くのことを抱えすぎている自覚もある。街の小さなビストロにシフトしてもいいじゃん、という自分と、今以上に集大成を求める自分の両極があって、そこを行き来している感じです」


 そのせめぎあいを宿命のように背負ったスターシェフの表情だった。(ジャーナリスト・清野由美)

※AERA 2021年10月25日号


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