広島・今村猛で思い出す「投げすぎた」リリーフ投手たち。活躍期間は短くともその輝きは色あせない

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2021年10月20日 11:12  webスポルティーバ

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 10月14日、広島が来季の契約を結ばない選手が発表し、長くブルペンを支え続けた今村猛がチームを去ることになった。

 清峰高校時代、2009年の春のセンバツで長崎県勢初の全国優勝。同年のドラフト1位で広島に入団し、2年目の途中で先発からリリーフに転向すると勝ちパターンの一角を担うようになる。一度は調子を落とすも、2016年には67試合、翌年はシーズン途中までクローザーも務め68試合に登板するなど、2016年からのリーグ3連覇に大きく貢献した。




 しかし2019年からは糸を引くようなストレートが鳴りを潜め、出場機会が減少していき、今シーズンは1軍登板なし。21勝30敗、36セーブ、115ホールドという輝かしい成績を残しながら、プロ12年目の30歳で戦力外通告を受けた。今後に関しては「未定」で他球団が獲得に動くかもしれないが、カープファンは大きな衝撃を受けただろう。

 今村が急激に力を落とした原因のひとつとして、登板過多が挙げられることが多い。特に2016年からの3年間は、優勝を争うプレッシャーの中で回跨ぎもしながら178試合でフル回転。その後に大きなケガをしたという情報はないが、体に無理がきていた可能性は否定できない。新しい環境を見つけ、状態を上げてまた快投する姿が見たいところだ。

 今村のほかにも、プロ野球では上位チームの「勝利の方程式」として大活躍したあと、急激に調子を落としたりケガで離脱したりするケースは少なくない。2000年代に阪神で"鉄腕"と呼ばれた、久保田智之もそのひとりだ。

 2002年のドラフト5位で常磐大学から阪神に入団した久保田は、今村と同じく2年目の途中で先発からリリーフに転向した。最速157kmのストレートを武器に活躍し、2005年にはジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田による必勝のリリーフ「JFK」が完成。3人が揃って登板した48試合の勝率は8割5分を超えるなど、チームをリーグ優勝に導いた。

 2007年は藤川がクローザーに回ったことで、セットアッパーを担った久保田はNPBのシーズン最多登板記録を更新する90試合、108イニングを投げきった。防御率も1.75と抜群の安定感で、当時の日本新記録となる46ホールド、勝利数は他の先発陣を差し置いてチーム2位の9勝をマークし、最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得している。




 翌年も69試合に投げて31ホールドを記録し、2年連続の最優秀中継ぎ投手に選ばれたものの、防御率は3.16と前年に比べて下落した。2009年には先発再転向を目指した春のキャンプ中に肩を故障。1軍での登板は7月に先発した1試合のみとなった。2010年はセットアッパーに戻って28ホールドを挙げたが、その後はケガが続いて球速が130キロ台に落ちることも。そして右肘を手術した2014年に現役引退を発表した。

 久保田は引退会見で「未練や悔いが残っているが、ケガとつき合いながらやれるような世界ではない」とコメントし、首脳陣、支えてくれたファンに感謝を伝えた。引退後は球団の打撃投手やスカウトを経て、今シーズンから2軍の投手コーチを務めている。投手として酸いも甘いも嚙み分けた久保田が、どんな投手を育てるのかに注目したい。

 その久保田のホールド記録を塗り替えた元中日の浅尾拓也も、短く強烈な光を放ったリリーフ投手だった。

 高校時代、チームに投手が不足していたことで捕手から投手に転向すると、日本福祉大学へ進学後に才能が開花。130キロ台後半だった球速を150キロ台まで上げ、エースとして活躍すると2006年に中日からドラフト3位指名を受けた。

 入団3年目までは先発とリリーフを兼務していたが、2010年にセットアッパーに固定されると、球団記録となる72試合に登板。久保田を上回る日本記録の47ホールドを記録した。同年の日本シリーズでは4イニングを投げることもあるなど、まさに"大車輪"の働きをみせた。

 さらに2011年は、前年を上回る79試合に登板した。自責点わずか4、防御率0.41という驚異的な成績で45ホールドを記録。リリーフ投手として初のゴールデングラブ賞を獲得し、リーグ優勝の胴上げ投手になるなど、2年連続で最優秀中継ぎ投手に輝いた。

 しかし2012年、右肩の故障もあって開幕から調子が上がらず、5月には選手登録を抹消された。翌年以降も肩の状態は完全に戻ることなく、2016年には1軍での登板がゼロに。2年後の2018年に現役を引退して、現在は中日の2軍投手コーチとして指導にあたっている。

 リリーフ投手の「酷使」「投げさせすぎ」問題が取り上げられる際、真っ先に名前が出るのがこの2人だ。ケガをする前の快投を目にしていれば、それぞれの球団のファンだけでなく他球団のファンの中にも、思うように投げられない姿に寂しさを感じていた人も多いだろう。

 一方で、最多通算セーブ数記録保持者(407セーブ)である元中日の岩瀬仁紀、9年連続で60試合に登板した元巨人の山口鉄也、13年連続で50試合登板を記録している日本ハムの宮西尚生など、長きにわたって活躍をするリリーフ投手もいる。浅尾は今年1月に出演したラジオ番組(『若狭敬一のスポ音』CBCラジオ)で、自分のケガについて「たぶん自分の調整不足。(79試合登板した2011年も)そんなに投げた感覚はなかった」と話したように、コンディションの調整が重要なのは確かだろう。

 しかし体の強度は人によって違うだろうし、肩などに異変があっても気づかない、もしくはレギュラーを掴むため、異変に気づいても投げ続けてしまうこともあるはずだ。かつて巨人のリリーフエースとして活躍した條辺剛も、46試合に登板した2001年の途中から右肩に痛みを感じながらマウンドに上がり続け、翌年に47試合に登板したあとは肩の状態が悪化。2005年に24歳の若さで引退した。

 2008年、埼玉県ふじみ野市に「讃岐うどん 條辺(現在はひらがなの"じょうべ")」をオープンした條辺は、引退時の久保田と同じように、起用してくれた首脳陣には感謝の思いがあるという。プロ入り2年目から、巨人に欠かせない戦力として2年間プレーできたことはすばらしく、選手としての価値をどこに置くかは自分次第の部分もある。

 それゆえ、長く現役を続けるために体の痛みを伝える、休むことを選択した選手に対しても、周囲がしっかりとサポートをしたいところだ。今年も多くの若い投手たちが1軍で活躍したが、彼らの投球を1年でも長く見られることを願っている。

このニュースに関するつぶやき

  • 中継ぎは使い捨ての印象が強い。 長生きできるかどうかは本人のケアは勿論、監督やコーチが使い方を配慮できるのかも大きい気がする。
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  • 最近は先発よりリリーフの方が投げすぎでつぶれる選手多いなぁ
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