開発者の「記者イジメ」に遭いながらもそのマシンが欲しくなった、その背景にある熱い物語

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2021年10月23日 16:42  ITmedia NEWS

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写真GT-R nismo Special Edition
GT-R nismo Special Edition

 筆者は、コンピュータやITに関連した映像技術に関する執筆記事が多いが、実際のところ、結構なクルマ好きである。



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 といっても、スポーツカーにしか関心がなく、実際に所有した車もそっち方面ばかり。しかも、所有した1台をかなり長期にいじって研究する傾向だったため、その知識は、スポーツカー方面に偏ってしまっている。それゆえに、いわゆる自動車評論家的な活動についてはカバージャンルが限定的なものとなっている。



 筆者が書いている自動車関連の記事は、車両本体に関することよりは、ホイールやカーナビなど、アフターパーツ系が多めである。最近では、IT系に詳しいということから、自動運転技術に関連したAI系の話題を任されることも増えてきてた。



 たまには、やはり車両本体をテーマにした記事を書きたいと思っていたところ、うれしいことにITmediaからのゴーサインが。しかも、連載の形態で始められるということで、幸せ気分いっぱいである。



 それにしても、この突然の連載開始のきっかけはいったい何だったのか。気になる人も多いことだろう。これについては、記しておく必要があるかもしれない。



 実は、筆者は今夏、日産GT-Rの最終モデルの1つともうわさされている、日産「GT-R nismo Special Edition」をオーダーしてしまったのだ。



 当然「頭金+ローン払い」である。しかもローンはかなり長期の!



 ITmediaは、おそらく、筆者のこうした漢気あふれる挑戦精神を応援する意味もあって連載の機会を与えてくれたのだと思う。



 というわけで、何回続くか分からないが、今回から始まる「日産GT-Rとのシン・生活」をよろしくお願いいたします。



●西川善司の愛車遍歴



 この連載タイトルは、以前、他誌で持っていた連載の「精神的続編」の意味合いから付けてみた。



 初回は、このあたりの事情も含めて、筆者自身の自動車遍歴的な話もしたいと思う。



 筆者が初めて自動車を購入したのは学生時代の20代頭。1990年代である。きっかけは「友人たちが車を持ち始めたから」というシンプルな理由からだった。スポーツ系の車種を選んだのも、友人たちがみな「S13シルビア」「Z32フェアレディZ」などの2ドアクーペに乗っていたから。そう、周囲の影響を受けたというよくある話だ。今でいうと、人生最初のスマートフォンがiPhoneかAndroidか……どちらになるかのきっかけと似たような話である。



 さて、当時はスマートフォンもないわけで、実家住まいであれば衣食住の心配なし。月々に自分が支払うのは国民年金くらいのものだったので、当時の若者は親を説得して保証人になってもらえれば200万円台の車は比較的容易にローンで買えることが多かった。



 筆者はといえば、その頃、既にソフトバンク系のパソコン誌「Oh! X」(旧Oh! MZ)で執筆もしていたし、大学の夏休みなどの長期休暇は市販ゲームソフトの移植作業を個人で請け負っていたこともあって金回りはかなりよかったので、現金一括で購入した。ちなみに、ローンなしで購入できたのは後にも先にもその最初の車の時だけである(笑)。今思うと、実家住まいとは、偉大なひとときであった。若い人は、このモラトリアムなライフタイムを有効に生かしていただきたい(笑)。



 筆者が最初に買った車は、ホンダの「プレリュード Si VTEC」(BB1型)だった。ホンダ車となった最大の理由は父親の勤め先がホンダだったため。実家の車庫にホンダ車以外を停める許しが出なかったのである。



 車種としてプレリュードを選択した理由は、既に友人にインテグラ(DA8)、シビック(EG6)、CR-Xデルソル(EG2)などのオーナーがいたため。ホンダ縛りのスポーツ系車種だと、あとは800万円超(当時)のNSX(NA1)しかなく、さすがにこの価格帯は無理だったので、なかば消去法でプレリュードになったのである。



 当時の筆者自身の本心でいえば、トヨタのスープラ(A70)が欲しかった。2000ccモデルであればプレリュードとほぼ同じ価格帯だったからである。



 プレリュードは、VTECエンジンは搭載されていたものの、どちらかといえばラグジュアリークーペ的な位置付けで、厳密にはスポーツカーとは言いづらく、実際、不人気車種となった。そのため、アフターパーツはホンダのワークス的な存在である「無限」からしか発売されず、これまた選択肢なしの状態。ただし、無限製のパーツは、地味ながらよいものが多かったので、オーナーになってからは、適当に無限のパーツでカスタムして人並みに自分のプレリュードを楽しんでいたように思う。



 その後、親元から離れたこともあり、ホンダ車縛りからも解放され、2001年にマツダの「RX-7」(FD3S/6型)へと乗り換えている。



 RX-7は、スポーツカーのカテゴリーではかなりの人気車種で、アフターパーツも非常に数が多く、ほとんど毎日、気になるアフターパーツのカタログを眺めては愛車に取り付けることを夢想していた。



 結果的には累計して車両価格分くらいを投資してカスタマイズ。足回り、吸排気、冷却系、エアロを一通りカスタマイズして、主に筑波サーキットでのスポーツ走行を楽しんでいた。馬力的には340馬力くらいのブーストアップ仕様だったが、エンジンを3基載せ替えるくらいには走り込んだ。



 このままずっとRX-7に乗り続けるつもりもあったのだが、2010年の10月頃に、とあるクルマと衝撃的な出会い果たす。



 それが日産GT-Rだ。



●日産GT-Rとの出会い



 筆者は、冒頭でも述べたように割合としてはIT系の取材依頼が多いのだが「車(ただしスポーツカーだけ)に詳しい」ということもあって、時々自動車メディアからの取材依頼が来る。その日、受けたのは「日産GT-Rの2011年モデルの発表会を取材してきてほしい」という依頼だった。



 そこで壇上に立って件の車の解説をしていたのが、当時の日産GT-Rの開発責任者の水野和敏氏だった。筆者はその時たまたま最前列に座っており、自分の間抜け面が水野氏の機嫌を損ねたのか分からないが、発表中にやたら指さされたのである。



 「はい。そこのキミ、なぜGT-Rの車重が1.7tになっているか分かる?」



 まるで中高の学校の授業である。



 突然聞かれても分からないので「わかりません」と答えると「結局、君たちは(記者たちは?)、『スポーツカーは馬力が大きくて軽ければいい』という視点だけで見ているよね」と、筆者はたちまち「ダメなジャーナリストの代表格」にされてしまう。その状況に「えっ」と驚いているうちに、すぐに2問目が。



 「もう一回、君に聞くよ。GT-Rのホイールが20インチになっている理由はなぜか分かる?」



 再び「わかりません」と即答すると、「ちゃんと考えようよ。大学とか出ているんでしょ」と水野氏。周囲の記者からは嘲笑……というよりは、「ああ、お気の毒に」という同情する雰囲気のクスクス笑いが。



 後で知ることになるのだが、日産GT-Rはほぼ毎年発表される年次モデルの発表会の折には、最前列に座った記者に対し、壇上の水野氏からリアルタイムクイズが出されることはザラだったのである。目を付けられると発表会の間、ずっといじめられるのだ(笑)。



 ちなみに、今の2つの問題の解答は、互いに関連しあったものになっている。



 結局、道路を走る全ての自動車というものは、路面に接地させたタイヤで路面を蹴って走っている。たとえ、どんなにエンジンの出力(馬力)が高くても、タイヤの路面への接地面が小さければ路面を蹴る力が弱まってしまう。であれば接地面を大きくするためにはどうすればいいのか。



 タイヤは丸い。丸いタイヤの円弧を大きくすれば接地面は広がる。まずシンプルにこの特性を利用するのだ。



 そう、地球は丸いが、あまりにも大きいため、われわれが立つ足元の大地は平面に見える。それと同じ理屈で、ホイールが大きければ大きいほど、タイヤの円弧は平面に近づき(≒曲率は下がり)、路面への接地面積が増えるのだ。



 日産GT-Rの型破りに大径のホイールはそうした理屈から選択された。当時としては常識破りな考え方だった。



 今でこそ当たり前となっているが、日産GT-Rがデビューした2007年当時は、スポーツカーの純正ホイールサイズといえば最大クラスでも18〜19インチだった。20インチのホイールといえばスポーツカー用ではなくSUVやオフロード車が履くサイズという認識だった。



 もう1つ、重さのクイズはちょっと難易度が高めだ。



 高出力なエンジンを搭載するスポーツカーには大きいホイールを履かせればいいとしても、限度はある。その最大限のサイズのホイールを履かせたとして、タイヤを通じて大きな馬力を路面伝えるためには、タイヤの摩擦係数を高くする必要がある。摩擦係数はタイヤの材質の改善で昔から比べれば向上はしているがこれまた限度はある。



 このため、高出力なスポーツカーは、停止状態から全開出力発進させるとタイヤが空転してしまうことが多く、発進直後の瞬間はもたつくことが多い。その後、車のボディーを通り過ぎる空気が生むエアロダイナミクス(空力)からの下向き力(ダウンフォース)が働き、タイヤが下向きに路面へ押しつけられることでタイヤが路面をつかむようになり、馬力が路面に効率よく伝わっていくようになる。



 GT-Rでは、500馬力(当時)前後の出力を、ゼロ速度状態から十分に路面に伝えるには一輪あたり400kgくらいの下向きの荷重をかける必要があると計算できたという。だから空力とは別に重力を味方に付けた……と水野氏は説明していた。



 ただ、車両重量が大きいと慣性質量が大きくなり、ブレーキングや旋回時の慣性モーメントが大きくなる。重量が大きければ大きいほどいいということではなく、バランスが大事ということにはなるのだが、レーシングカーではない公道を走ることが主体のロードゴーイングカーのGT-Rにおいては、空力が期待できない領域においても優れた発進加速/旋回能力/制動力を発揮するために、このような仕様を選択したということなのだろう。ちなみに、同じGT-Rにおいても、競技性を重視した、nismoの称号が付いたようなグレード/モデルでは車重を低減させている。



●ブランド力とそこに秘められたナラティブ性とは?



 発表会でいじめられた筆者ではあったが(笑)、水野氏がそこで語った話は相当に興味深く、大きな感銘を受けた。後に、同氏への単独インタビューなどもさせていただき、その衝撃はさらに強まっていく。このあたりの詳細は回を改めていずれお話しすることとしたい。



 さて、ここでちょっと話をあえて脱線させる。



 自動車に限らず、多様な商品を選ぶ際、決め手になるのはなんだろうか。



 その多くは「スペックと価格」のバランスということになるかと思う。



 実際、「値段の割には安い製品」は「コストパフォーマンスがよい」と判断され、売れる。



 しかし、世の中、「絶対的な価格」が高くなってくると「コストパフォーマンスの概念」が通用しづらくなってくる。「高価だけど、そのスペックを考えればお買い得」…というのはよく聞くキャッチフレーズだが、なかなかそれを聞いただけでは購入への踏ん切りはつかない。



 もちろん富裕層になれば「絶対的な価格」の評価軸の基準目盛りが上に上がってくるので、「コストパフォーマンスの概念」をそのまま高価格帯にスライドして判断できる可能性は高いが、多くの人にとってはそうではない。



 では、なぜ、同じ機能を果たす安い製品が別にあるのに、人々はあえて高価な製品を買うことがあるのだろう。



 著名ブランドのバッグや腕時計などはその最たる例だろう。



 そのブランドのバッグや腕時計を持つことで「他の人に自分が所有していることを自慢できる」「憧れのブランド品だから手に入れたい」などなど、細かい理由には「人それぞれ」かもしれないが、ひっくるめていえば「所有することで心が満たされるから」ということに集約されると思う。もちろん、商品が提供する機能自体にも納得のいくレベルの高さが伴っている必要はあるだろうが。



 では、その「ブランドとは一体なんなのか」という話になってくると思うのだが、筆者の私見だが「そこに物語性があるかどうか」が判断基準になっていると考えている。



 最近流行の言葉でいうならば「ナラティブ(Narrative)かどうか」という感じだろうか。



 物語性……より具体的にいえば「作り手の思い/こだわり」「歴史や伝統」「開発にまつわる逸話」といった辺りになるだろうか。



 人気の著名ブランドにはだいたいそういうナラティブな要素があるものだ。



 筆者のかつての愛車、RX-7の基幹部位であるロータリーエンジンには、まさにそうした物語性が詰め込まれていた。ロータリーエンジンの話は始めると長くなるので本稿では軽く流すが、通常のレシプロエンジンとはメカニズムも素性も異なるロータリーエンジンの量産化に漕ぎ付くまでには、マツダの開発陣の興味深い「挑戦と克服」の物語がある。筆者がRX-7を購入した要因の1つは、まさにそこにあった。



●日産GT-Rにもあった熱いドラマ



 日産GT-Rについては、2007年暮れにデビューしたことは知っていたが、値段は高いし、もう、1990年代に一世を風靡したスカイラインGT-Rとは別モノだし……で、あまり身近に感じてはいなかった。むしろ自分に関係のない車種という認識だったといってもいい。



 しかし、この2010年の出会い(というか「いじり?」)をきっかけに、さらには後の水野氏とのインタビューを通じて、日産GT-Rという車に、強い物語性を感じるようになってしまったのだ。



 一連の騒動で、今でこそあまりイメージのよくない当時の日産の社長、カルロス・ゴーン氏だが、2000年代初頭に立ち上がった日産GT-Rの開発に関しては、このゴーン氏主導の肝いりプロジェクトとして立ち上がった。いわばゴーン氏自身がプロデューサーの立場を務めていた。



 水野氏によれば、最初、ゴーン氏から直接「日産GT-Rはお前が作れ」と命令されたそうだが、その時「お断りします」と応えたという。意外な返事に驚いたゴーン氏は「なぜだ?」と聞き返したそうだが、「今の日産の体勢で作ったとしても世界に通用するスーパー(スポーツ)カーなんて作れるはずないからです。やるだけ無駄です」と返答したらしい。



 普通ならばゴーン氏からエヴァンゲリオンの碇ゲンドウばりの「じゃあ、もういい。出ていけ」の一言で終わりそうな話だが、ここでゴーン氏から意外な提言が出たそうだ。「だったらお前が好きなようにやれ。不都合が出たら、俺の名前をふんだんに使え」といったそうだ。ゲンドウとは大違いである。



 この他、水野氏から聞いた開発秘話的なエピソードは、いずれ本連載で紹介していくこともあるかとは思うが、今回はここまでとする。



 その後、水野氏は、GT-R開発に着手。以前より暖めていたアイデアを具現化していくことになるのだが、まるでドラマのような話が続く。前述した馬力、タイヤ、車重などはそのほんの一部のエピソードになる。ボディー、エンジン、足回り、駆動システム、あらゆる車両の構成部位においてそうしたエピソードがあることを知らされた筆者は、以降、「一体どんな車なんだろう?」と興味を沈めることが出来なくなってしまったのである。



 そこから約2年後、筆者は、最初の日産GT-Rを手に入れることになる。



(西川善司)


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