スタッフ“総上がり”の危機に「お前が残るんだ」 須賀洋介が向き合う喪失と創造

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2021年10月24日 17:00  AERA dot.

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写真東京でいちばん予約が難しい店、と称される「SUGALABO」は、オープンキッチン型の設計。厨房はその名の通り「ラボ(実験室)」のような趣だ(photo 工藤隆太郎)
東京でいちばん予約が難しい店、と称される「SUGALABO」は、オープンキッチン型の設計。厨房はその名の通り「ラボ(実験室)」のような趣だ(photo 工藤隆太郎)
「フレンチの貴公子」として知られるシェフの須賀洋介さんは、コロナ禍にあっても、常に新しい道を開拓している。己を貫く信念は、長年師事したジョエル・ロブションから学んだものだ。いまも挑戦は続く。AERA 2021年10月25日号から。


【写真】開店前の厨房でスタッフに指示を出す須賀洋介さん
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――「京都 舞鶴 あおりいか」「千葉 大原港 器械根あわび」「北海道 噴火湾 毛蟹」──。須賀洋介が采配をふるう「SUGALABO」のメニューは、料理名ではなく素材が並ぶ。


須賀:いい食材がなければおいしいものはできません。産地と生産者に敬意を払い、その日の仕入れを第一にして、そこから料理を組み立てる。そのことを大切にしています。日本は食材の宝庫だけでなく、料理人のレベルも高い。でも、自ら発信するよりも、海外から見つけてもらうのを待っているのが現状です。「Japan to the world」を合言葉に、食材、料理を世界に発信したいと考えています。


――ルイ・ヴィトンとの協働で、同メゾン世界初となるカフェと紹介制レストランを手がけたことも「日本発」の挑戦だった。


須賀:大阪のオープンは、コロナ禍が本格化した2020年2月で、まさしく「失われた1年半」に突入したタイミングでした。世の中のスピード感が薄れてしまったからこそ、僕自身は勢いをゆるめず、予定通りにプロジェクトを進めていこうと決めていました。週日は東京、週末は大阪というリズムで動いて、今年3月には東京・銀座のヴィトンにカフェを出店しました。4月にはメゾン初のチョコレートラインも打ち出しました。ルイ・ヴィトン本社も注視する中、日本発をどれだけ極められるかが勝負です。


■新しいシェフ像に刺激


――チョコレートは稀少な材料を吟味して作り上げる。


須賀:甘さは抑え気味に、ピュアな味わいを最大限に引き出しました。やるからには最高峰を作る。それは料理の世界に入ってから、ずっと変わらない自分の芯です。


――背景には、21歳で出会い、17年にわたって仕えたフランス料理界の巨人、ジョエル・ロブションの存在がある。


須賀:ロブションと出会った時、彼は50歳を過ぎ、自身の三ツ星レストランをいったん閉め、食のコンサルタントに転身した節目でした。テレビで料理番組を持ち、カルフールやエールフランスでの食の監修や、グルメホテルのプロデュースなど、料理をクリエイティブなビジネスに発展させようと最前線を走っていた。僕はテレビ番組収録の時に下ごしらえを担当したり、レトルト食品の開発に携わったりしていました。厨房にこもるだけではない、新しいスターシェフ像を開拓するロブションの姿は、野心的で、刺激的でした。




――2003年、26歳の時に、六本木ヒルズに初出店した新業態「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」のエグゼクティブシェフを任された。


須賀:それをきっかけに、ラスベガス、ニューヨーク、台北、パリで、次々と新店の立ち上げに責任者兼総料理長として携わりました。ロブションの下で過ごした17年間のうち、14年は海外を転々と飛び回る日々でしたね。


■「お前が残るんだ」


須賀:強烈な体験として記憶に残っているのは、六本木ヒルズでの出店です。20代で日本人で、料理長の経験はない。フランスにはロブションの愛弟子がたくさんいて、候補はいくらでもいる。腰が引ける要因はいくらでもありましたが、僕には根拠のない自信もあって、「やるか?」と挑発されると「やります!」と、応えてしまう。


 でも、現実は厳しかった。フランス料理店というのは伝統的に大箱です。六本木の店は席数60で、メニューもアラカルトとコースのフルバージョン。厨房ではオーケストラの指揮者のような統率力が求められます。外国人も含んだスタッフは、みんな年上で百戦錬磨で、普通にしていたら、僕の言うことなど、聞いてはくれません。だから常に緊張して、怒っていました。


――ギリギリの状態で楽屋裏を回す中で、ある時、恐れていた破綻が起きた。


須賀:業界で「総上がり」というスタッフの離反です。「須賀が辞めなければ、自分たちが辞める」と詰め寄られて、実際、数人を残して、20人以上が一度に辞めました。それでも、店を閉めるわけにはいかない。残ってくれた人と共に不眠不休で踏ん張りましたが、「挑戦する」とはなんてつらいことなんだろうと、身に染みて感じました。


――そこで頑張れた理由は何か。


須賀:責任を取るつもりで「僕が抜けます」と運営会社に伝えたら、ロブションが「何言ってるんだ、お前が残るんだ」と、きっぱり言ってくれたことです。


 ほかならぬロブション自身が、総上がりを乗り越えてきた人でした。彼は28歳で「オテルコンコルド・ラ・ファイエット」の総料理長に就任し、1千人のスタッフを統率していましたが、一気に辞められたことがあった。地獄だったと思います。でも、そんな経験があったからこそ、彼一流の料理とビジネス哲学が磨かれていった。シェフには「この人のために働きたい」と思わせる迫力が絶対に必要です。修羅場を踏み、覚悟を決めていないと、その迫力は出ないんです。



■ショコラトリーの夢


――「アイアンシェフ」への出演は、世界中の店を飛び回り、多忙を極める中でのものだった。


須賀:日本のテレビ局から依頼をいただき、ロブションに話したら、「さすがにムリだから断れ」と言われました。それで余計に「やってやる」となった(笑)。僕がロブションから薫陶を受けたことは確かですが、それ以上に「あいつなら俺の思うように動いて、この先10年、20年と使っていける」という計算が彼にはあったと思います。その通り、僕は彼の掌の上で踊らされ、踊っていました。


――そのロブションは18年、73歳でこの世を去る。


須賀:先日、夢を見たんです。フランスの田舎の小さな村で、僕がショコラトリーを営んでいる。店は古いアトリエのような建物で、アンティークの家具に囲まれていて、懐かしいような、悲しいような。目覚めた後も余韻がずっと後を引いて、あ、自分は疲れているんだな、と思いました。でも、そこに次の挑戦を見た気がしたんです。


■答えはわからない


須賀:11月で45歳になります。料理の世界は40歳までは修業。そこから60歳を照準に、自分の世界を極めていく。そう考えてきた僕は、10代からずっと気を張り詰めて闘ってきた。今もそう。でも、その状態に疲れ果てている自分もいる。もう、いち抜けた!でもいいじゃん。小さなビストロで、ゆるくやるのもいいじゃん。そんな声が心の奥から聞こえる。そうかと思うと、集大成を求める気持ちも、どんどん大きく膨らんでいく。


――昨年、妻が闘病の末、他界した。大きな喪失と痛みがある。


須賀:ロブションとの日々も含めて、すべてが幻のように思えることがあります。何のために生きているのか。何をモチベーションに、仕事を続けているのか。


 考え続けていますが、答えはわかりません。ただ、自分の料理では、力みや雑味をできるだけ消していきたい。


 妻を失った時に、人は孤立しては生きていけないということを痛感しました。


 その意味でいうと、僕にとって料理と直結する生産者の方々は、なくてはならない存在です。店を完全紹介制にしているのは、排他的な高級店にしたいからではなく、素材も含めて料理と真剣に向き合いたいから。店名の通り、ここを「ラボ(実験室)」として、とらえているのです。


 コロナ禍の制約はまだ続いていますが、その中でも、料理の可能性を広げ、最高の形で世界に発信していきたい。その思いだけは、この先もずっと変わらないと思います。


(構成/ジャーナリスト・清野由美)

※AERA 2021年10月25日号


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