東京から秋田に疎開、親戚からは理不尽な扱い…憤った娘がとった行動 「一つくらいバチはあたらないよね」

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2021年10月28日 07:00  ウィズニュース

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写真理不尽に耐えかねた少女の行動とは……。戦時中の一幕を描きました。=岸田ましかさん提供
理不尽に耐えかねた少女の行動とは……。戦時中の一幕を描きました。=岸田ましかさん提供

戦時中、貧しさのため、満足に食事をとれない人々が大勢いました。東京に住む80代の女性は、その一人です。芋も豆腐も貴重品となり、家族のため、野草や虫を手に入れ食いつなぐ毎日。やがて戦況が悪化し、地方の親戚のもとへ疎開することになるのですが……。誰もが生きるのに必死だった時代に、女性が体験した出来事について、漫画家・岸田ましかさん(ツイッター・@mashika_k)が描きます。

【漫画全編】アキコさん一家の漫画はこちら。食糧集めを頑張る子どもたちを襲った、驚きの出来事とは…

開戦後、みるみる貧しくなった食卓
主人公のアキコは、東京・足立に住む少女です。見る方向により本数が変わる、「お化け煙突」のそばで生まれ育ちました。その後、現在の東武線五反野駅周辺へと移り、父母と7人のきょうだいと一緒に暮らしています。

名家出身の母に代わり、長女のアキコは、家事や近所付き合い全般をよく担いました。食事の際は、秋田生まれの父が大好きな、当地産の一等米を用意。家族全員でほおばりながら、楽しい時間を過ごしました。

しかし10歳になった頃、生活が一変します。太平洋戦争が始まったのです。国民学校では、竹槍で敵兵と戦うための軍事教練が行われ、食糧事情もみるみる悪化していきました。

芋や豆腐は兵隊向けの供出対象となり、食べられるお米の量も減り、食卓は寂しいものに。そこで、授業で習った、食用可能な野草を摘んでくることにしました。

ゆでるとほうれん草と似た風味になるアカザ。ヨメナやセリ、芋のつるである「から」……。年子の弟・ハルちゃんと、試行錯誤しながら調理するうちに、段々と味の違いも分かるようになっていきました。

食糧確保に駆け回った子どもたち
それだけではありません。「竹の塚の砂地の川で、タナゴやシジミが採れるって!」。ハルちゃんに教えてもらったアキコは、魚捕りが得意な兄から手ほどきを受けつつ、調達に行きました。

他にも、ご近所さんにドジョウを譲ってもらったり、田んぼでイナゴを捕まえたり。農作業を手伝う授業で、「当たり」の農家から、芋をご馳走してもらうこともありました。

こうして子どもたちが入手した食材は、いつしか、家族の食事を彩るようになります。

ただ、日本の旗色が悪くなると、暮らし向きは更に傾きました。

アキコとハルちゃんは、徒歩で千葉の松戸の農家を訪ね、食糧を分けてもらうよう掛け合います。でも子どもだからか、なかなか首を縦に振ってもらえません。お金に着物やせっけんを添えて渡すと、やっと大根などの野菜をくれました。

学校では、若い教師たちが前線に次々送られ、残っているのは高齢者や病弱な大人たちばかり。状況は厳しくなる一方です。そして昭和20(1945)年5月、父の親戚がいる秋田への疎開が決まりました。

疎開先で憤った出来事
学校に通う長男とハルちゃん、そして父を残し、アキコたちは列車に乗り込みます。秋田に着くと家を借り、新たな生活が始まりました。

もっとも、周囲の親戚たちは、必ずしも一家を歓迎していたわけではありません。「あんなに子どもをたくさん連れてきて」「せいぜい畑を手伝ってもらわないと」――。そう口にする人もいたのです。

理不尽な扱いを受けることもありました。親戚のため、農作業をこなした母に、何の謝礼も与えられなかったのです。野菜の一つでももらえると当て込んでいただけに、アキコは憤りを隠せません。

「ひどい! お母さんは野良仕事したことないのに」「世話になるからって、お父さんがたくさんお金を渡しているのに……!」。不機嫌な姉の後ろを、三男のカズがついて歩きます。そして路上を移動するうち、何かに気付きました。

「姉さん」。カズに手招きされ近付いてみると、親戚の畑に、立派なカボチャがなっていました。

「……ひとつくらいで、バチは当たらないよね!」。何と、二人はカボチャを取って行ってしまったのです。生きるため、家族の幸せのため、子どもながらに行動した結果でした。

違和感こそ大切にして欲しい
一連のエピソードは、東京で暮らす女性(89)の実体験を基にしたものです。岸田さんは「戦争が進む過程で、生活がどんどん厳しくなっていく。臨場感あふれるお話でした」と振り返ります。

現代とは異なる価値観に基づき、人々が生きていた点も、記憶に残っているそうです。

女の子は、家事に取り組むものだ――。そんな考え方が一般的だったこともあり、家族を積極的に気遣い、サポートするアキコ。令和を生きる私たちからすれば、違和感を覚えるところかもしれません。

だからこそ、当時の状況を単に否定するのではなく、歴史の1ページとして知って欲しい。岸田さんは、そのように考えていると話しました。

「泥棒」と非難したくなるけれど……
ところで、親戚の畑から持ち去ったカボチャは、その後どうなったのでしょう。女性に尋ねてみると、「食べた記憶がない」との答えが返ってきました。「盗んで悪いことをした、と思った母親が、他の人にあげてしまったのかもしれない」

かくいう女性自身、自前の農作物をとられた経験があります。足立の空き地でジャガイモを育てていたところ、ある日、誰かに奪われてしまったのです。

「今だったら信じられないでしょう? でも、お金があっても何も買えないし、食べないと生きていけない。だから、近所中で『お互い様』と盗み合っていた。それを悪いことだなんて言う人はいなかった」

「カボチャの件も、『悪かったか』と聞かれたなら、『悪くなかった』と言っちゃうわね。いま同じことをやれるかと言われたら、嫌だけどね」

平和な現代に生きる者の感覚に照らせば、「泥棒」と非難したくなるのが自然かもしれません。しかし、誰もが食うや食わずの時代のことです。一人ひとりの命を賭けた行動だった事実は、忘れてはならないと思います。

大家族を養う上で、食糧確保がいかに大事だったかについて描いた、今回の作品。記事を通して、市民の暮らしぶりの一端が伝わるよう願います。

     ◇

※本コンテンツは、戦争体験者の記憶と関連史料に基づき、可能な限り過去の風俗を再現したものです。また現代の価値観に照らして、不適切と思われる描写も含まれますが、戦中・戦後の暮らしぶりを伝えるためそのまま掲載しています。

※野草を口にすると、食中毒などのリスクがあります。この記事を通し、積極的に推奨しているわけではありません。実施する場合、必ず専門家の指導を受けて下さい。

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