速さに加え、2021年は強さも兼ね備えた野尻智紀。勝ち方を覚え遂げた変身/大串信の私見聞録

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2021年10月28日 09:01  AUTOSPORT web

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2021スーパーフォーミュラ第6戦もてぎ 野尻智紀(TEAM MUGEN)
『レースは結果がすべて』とよく言われる。レースを戦うレーシングドライバーの評価は、過程はともあれ、チェッカーフラッグが振り下ろされたときにどこを走っているかで決まる、という意味だ。実際、極めて優れた能力を持ちながら、レースで結果を出せなかったためにそれ以上のステップアップができず、才能を本来の場で輝かせることができないまま消えていった若手選手を何人も見てきた。

 彼らのことを思い出すと、何かがどこかでほんの少し違う方向に働いていたら、その後トップドライバーになって国内はおろか海外でも大変な活躍をしていたかもしれないと、やるせない気持ちになったりする。ましてや自分の才能に自信を持っていたはずの本人は、自分の気持ちにどう折り合いをつけてその後の生活を送っているのか、想像するのもつらい。

 かと言って、結果が残せない選手の才能を信じて周囲がサポートし続けるにも、活動には多額の費用がかかるだけに限界があることもよく分かる。才能の育成にはどこかに残酷な線引きがともなう。それが、モータースポーツに関わる人間が突きつけられる厳しい宿命である。

 野尻智紀(TEAM MUGEN)は、こうした厳しさのなかを生き抜いてきた選手である。もちろん、本人にそれだけの才能があったからにほかならないのだが、その才能を見抜き、見守り、育てた周囲の人々が野尻の才能を信じて揺るがなかったからこそ野尻のレース生活は続き、とうとう全日本スーパーフォーミュラ選手権の頂点であるシリーズチャンピオンに王手をかけるに至ったのだ。

■評価され続けた才能
 2021年シーズンのシリーズチャンピオンを目前に迎えた第6戦決勝日の朝、野尻は2006年10月に同じツインリンクもてぎで開催された全日本カート選手権FAクラスで優勝して全日本チャンピオンとなったことを思い出し、緊張する自分の気持ちを解きほぐしたという。「2006年にカートで全日本のタイトルを獲って以来、タイトルを獲っていなかったのですが、それを思い出すと『大丈夫、ちゃんとやればたぶん(同じようにタイトルを)獲れる』と、自分の気持ちが楽になっていきました」と野尻は言った。

 野尻は、レーシングカート時代からその才能を高く評価されてきたが、2006年に全日本カートでチャンピオンとなり、名実ともにいよいよ期待を集める若手となった。当時、ともに全日本を戦っていた顔ぶれには、千代勝正や国本雄資の名が並ぶ。

 カート時代の野尻の才能を物語るエピソードがある。全日本タイトルと並び、ARTAカップFAクラスでもチャンピオンとなった野尻は、この戦果のご褒美として2006年末にマカオで開催されたマカオ・インターナショナル・カート・グランプリへ急きょ遠征することが決まる。

 このレースは、レーシングカート業界にとって大きなマーケットである中国直近のマカオで開催されることから、ヨーロッパの有力チームがワークスエンジン、ワークスシャシーを投入して参戦する大イベントである。しかし、急きょ参戦することになった野尻は急作りの体制で、カスタマーシャシー、カスタマーエンジンで戦わざるを得なかった。この時点で野尻は翌2007年にはSRS-F(鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ)に入校して4輪レースへ踏み出す予定だった。マカオでのレースはまさに『ご褒美&卒業記念参戦』だったのだ。

 ところが、野尻は最初のタイムトライアルで、大挙して参戦した有力チーム、有力選手を尻目にベストタイムを記録してしまった。これを見て驚いたのが本場ヨーロッパの関係者だった。突如として現れた日本選手が、吊るしのカートであっけなくワークス勢を破ってベストタイムをたたき出したのだ。「あいつはいったいナニモノだ」と騒ぎになり、その結果、野尻は「これだけの才能があるならぜひ本場ヨーロッパでカートをやるべきだ」と破格の条件で誘いを受けることになった。

 野尻にとってひとつの転機がここにあったかもしれない。結局、野尻はSRS-F入校を1年延期し、2007年はスポンサーの支援によってイタリアに渡り、名門トニーカートから世界選手権、ヨーロッパ選手権、およびイタリアンマスターズとワールドカップのKF1クラスで戦うことを決めた。だが、初めての海外で単身生活をしながらの活動は野尻の重荷になったのだろう。2007年は目立った成績を残せないまま帰国することになる。

 ある意味挫折した野尻ではあったが、翌2008年にあらためてSRS-Fに入校すると、再びその才能を輝かせ、高い評価を受けて主席で卒業、2009年にはフォーミュラチャレンジ・ジャパン(FCJ)に参戦し、本格的に4輪レースを始めることになった。

 だが、注目の選手として走り始めたFCJで、野尻は初年度の2009年、2年目の2010年ともにシリーズ5位という戦績に終わった。本人の問題も少なからずあっただろうが、さまざまな巡り合わせも悪く本人が望む状態でレースができないという不運もあり、自分でも悩んで精神状態が落ち込み、その結果本来の走りができなくなるという悪循環に陥ったのである。また、あまりに繊細な感覚を持っているばかりに、マシンが自分の納得できる状態に仕上がらないと違和感を覚え、ベストのパフォーマンスを発揮できないという課題も抱えていたようだ。この過程で野尻は何度となく周囲に「もうレースをやめようかな」と弱音を吐いたという。

 しかし、結果は残らなかったものの野尻の才能は評価され続けた。2011年にはホンダ・フォーミュラドリーム・プロジェクト(HFDP)から全日本F3選手権Nクラスへステップアップ、翌年はチャンピオンクラスへ進出した。ここでもなかなか結果を出すことはできなかったが、これまで同様、レーシングカーの状態を感じ取るセンサー能力は飛び抜けていると、関係者の評価は続いた。

 F3での3シーズンで残した戦績は、Nクラスの2011年が3勝でシリーズ2位、チャンピオンクラス初年度の2012年が1勝でシリーズ5位、戸田レーシングに移籍した2013年は未勝利でシリーズ4位と、いまひとつ物足りない。それでも野尻は2014年、スーパーフォーミュラにたどり着いた。

 国内トップフォーミュラのシートを得ても、野尻のレースは必ずしも花開きはしなかった。初年度こそデビュー6戦目で優勝を飾り、タダモノではないことを証明したもののシリーズでは10位に終わり、それ以降、2015年は表彰台に2回上がりながらシリーズ7位、2016年は3位1回でシリーズ9位、2017年は表彰台なしの17位、2018年は3位1回のシリーズ7位。言ってしまえば『パッとしない』ままのシーズンが続くのである。

 この間、野尻がどんな精神状態にあったか、想像に難くない。それでも彼がトップフォーミュラで戦い続けられたのは、ときに見せる切れ味鋭い速さが周囲を驚かせ、おそらくは自分でも手応えを感じていたからだろうし、なによりその“速さ”を信じ“強さ”につなげようと尽力する人々が少なからず存在したからなのだろう。

■通算6勝のうち今季だけで3勝
 冒頭挙げた『レースは結果がすべて』という言葉と並んで、レース界では『勝ち方を覚える』という言葉も多用される。あえて言い切れば、“速さ”に加えて“強さ“を身につける、もっと言えば“運”を引き寄せられるようになる成長のことを言う。野尻はまさに速さが突出していて、勝ち方を知らない選手だったと言える。

 その野尻が今年、変わった。開幕戦の富士、第2戦の鈴鹿と2連勝し、その勝ちっぷりに僕はこれまでとは違う野尻を感じた。モータースポーツの世界には、こういう変身を遂げる選手がいるものだ。古くは、F1で世界チャンピオンになったヨッヘン・リントだ。「ペダルが3つあればタイヤが1個足りなくても速く走れる」とまで言われた“速い”選手だったが、F1では5シーズンに渡って勝てず、6シーズン目の1969年にようやく初めて勝つと、翌年のモナコGPで2勝目、1レース置いて自身3勝目から6勝目まで4連勝してワールドチャンピオンになってしまった。これなどはまさに『勝ち方を覚えた』典型例だっただろう。

 頭の古い僕は、通算6勝のうち3勝が今季という野尻を見て『リントかよ』と内心思っていた。そして『勝ちを覚える』というのはどういうことなんだろうと考えた。もちろん周囲が野尻を速く走らせるために万全のサポートをしたこともあったはずだ。でも、それだけではない。野尻自身に何かどこかで自信をつけたとか、精神的に強くなったとかいう変化が起きたに違いない。これまでなかなか噛み合わなかった歯車がついに噛み合って、相乗効果により無敵の状態になったということか。今回の戴冠は、本当にいろいろなことを考えさせられる。

 念のために言っておけば、リントはその勢いのまま他界してしまったので、野尻をリントに重ね合わせるのはいかがなものかとは思う。でも、ここまでしっかりと経験を積み、その意味を理解したうえで「みんなにもり立ててもらい、助けてもらいながらここまでたどり着くことができた」ことに感謝しながら、「過去にチャンピオン争いをしてきた人たちのすごさを、身を持って知ることができました。今回のタイトルは、ここから、さらに僕が速く、強くなるステップにつなげられるように活かしていきたい」と言える頭脳派の野尻に、余計な心配は必要ないと信じている。

※この記事は本誌『オートスポーツ』No.1563(2021年10月29日発売号)からの転載です。

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