色あせない名作『赤ちゃんと僕』の魅力 この約25年で変わったものと、変わらないもの

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2021年11月23日 10:01  リアルサウンド

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『赤ちゃんと僕(1)』

 1991年、「花とゆめ」(白泉社)に掲載されたある読み切り漫画が反響を呼んだ。タイトルは『お兄ちゃんと僕』。作者は、当時まだデビューしてまもない羅川真里茂である。


 同誌で『赤ちゃんと僕』とタイトルを改め連載が始まると「赤僕」ブームが巻き起こり、現在、累計発行部数1770万部を記録する大人気作となった。


 主人公は死んだ母親の代わりに2歳の弟・実(みのる)を育てる小学6年生(最初は小学5年生)の榎木拓也(えのき・たくや)である。二人の家族は父の春美(はるみ)で、息子たちを誰よりも大切に思っている。他にも拓也と実の友達や隣の家族、春美の部下など、個性豊かな人物がたくさん登場する。


 『赤ちゃんと僕』の大きな特徴は、タイトルや絵のイメージと異なり、切ない結末を迎えたり、シリアスな社会問題を扱ったりしているエピソードもあることだ。もちろん心あたたまる内容のものもある。


 1997年に完結した本作が今も多くの人に愛されているのは、各エピソードの深いテーマが私たちの心を揺さぶるからだろう。そんな「赤僕」の魅力を改めて振り返ってみたい。


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■主人公の兄弟を軸に描かれる人間ドラマ


 軸となる榎木家の三人はとても仲が良い。だが、大切な家族(晴美にとっては妻、拓也・実にとっては母)を失ったことが、三人の心に大きな影響を与えている。


 拓也は母親の代わりに、遊びたい気持ちをおさえて実を保育園に送り迎えし、学校にいるとき以外はほぼ実と一緒だ。拓也はやさしく温厚で、弟の実をとても可愛がっているが、まだ小学生で子供だ。育児に悩むこともあり、初期は「実のせいで」と拓也が思う場面も多かった。


 彼らを取り囲む周囲の人たちの背景も、やがて浮き彫りになる。


 拓也の同級生を例に挙げてみたい。拓也の親友・ゴンちゃんの家は酒屋を経営していて、ゴンちゃんも拓也ほどではないとはいえ、実と同い年の妹の面倒を見なければならない。


 クラスメイトの女の子・深谷は高齢の両親がいる。彼女はそれを恥ずかしく思い、「嘘つき」と周囲に言われても隠し続けていた。同じくクラスメイトの男の子・竹中は父親が仕事の関係でほとんど家にいない。性の悩みを異性である母には相談できず、拓也の父親の春海に相談しに行くくだりがある。


 他のクラスの広瀬は、父親が売れない漫画家で生活が不安定だ。彼の反抗的な態度の裏には「両親を幸せにしたい」という本心がある。


 子供たちは、「花とゆめ」を読む読者の年齢層と近かった。それぞれの家庭にいろいろな事情がある、自分だけじゃないと勇気づけられたのではないだろうか。


 深谷や竹中、広瀬など、榎木家、主に拓也と関わり、考え方の角度が変わって救われた人物も多い。


 一方、主人公二人と同じくらい人気を博したのが、藤井家の6人兄弟、特に次男の昭広(あきひろ)である。


■大人気の藤井家6人きょうだい


 藤井昭広(ふじい・あきひろ)は拓也と同じクラスで、一見クールだが、少年らしさも併せ持った少年である。彼は六人兄弟の四番目(次男)で、姉が二人、兄が一人、年の離れた弟妹が一人ずついる。多忙な両親のかわりによく弟妹の面倒を見させられている。


 拓也と昭広の関係は、時に得意なスポーツのライバル、時に育児仲間として描かれる。二人は性格がまったく異なるので、下のきょうだいへの接し方にも違いがあり、面白い。昭広の妹の一加が、拓也の弟の実に恋をしていることもあり、拓也と実はたびたび藤井家と関わる。


 自分たちは拓也と実のように仲良し兄弟ではないと昭広は言う。姉たちや兄は、青春期の真っただ中にいるので、視線が家族だけではなく、恋愛など外に向いていることも大きいのだろう。


 自分たちきょうだいのことを「プライバシーがない」と昭広は感じることがある。だが、あと5年、10年経てば、それぞれが自立して家を出ていく可能性が高いことも自覚している。


 そのことに対して昭広が「いなくなるのいやだなあ」と思わず本音を言ったり、一加が兄たち、姉たちのいなくなった家を想像して泣き出したりする場面もある。


 榎木家のようにはっきりと愛情表現をする家庭ではない。だが藤井兄弟には目に見えない形での絆がある。


 本作が完結して10年以上経った2009年、公式アンソロジー『赤ちゃんと僕トリビュート 花とゆめメモリアル』が発売された。さまざまなエピソードが他の漫画家によって描かれているのだが、藤井家のエピソードが多いのが特徴的だった。これはファンの多さも示しているだろう。


■現代に繋がる社会問題


 赤僕で描かれる社会問題は、1990年代を表しているものもあれば、「今も同じだ」と感じられるものもある。


 社会問題を扱ったエピソードのテーマは、いじめや虐待、親の離婚など子供が関係するものから、学歴差別やダブルインカム家庭の苦労まで多岐に及ぶ。


 1巻では、母を突然亡くしたばかりの拓也の心情が細かく描かれる。ヤングケアラーという言葉もない時代だ。「読んでいて辛い」と思いそこで本を閉じる読者もいるという。


 しかし、1990年代という時代背景を踏まえたうえで、読み進めてほしい。昔は、「上の子が下の子の面倒を見る」ということが風潮としてあった。だから母親を亡くしているということが前提としてあるとはいえ、実の世話をする拓也姿は、90年代以前、「兄」や「姉」と役割づけされた多くの子供たちの姿と似ているかもしれない。


 現代と異なるところ、現代と同じところをそれぞれ見つけてみると、この約25年で何が変化して何が変化していないのか、よくわかる。赤僕はそういった楽しみ方もできるのだ。


■愛され続ける『赤ちゃんと僕』


 1990年代に子供だった筆者は、今も赤僕の単行本全巻を大切に保管し、ときどき取り出して読んでいる。同じような人はたくさんいるだろう。


 また、赤僕の連載当時既に大人だった人や、まだ生まれていなかった人にもこの漫画をおすすめしたい。読みながらある人は自分の子供時代を思い出すはずだし、ある人はひとつの時代を赤僕から感じ取るだろう。


 男女問わず人気のある『赤ちゃんと僕』。その面白さ、興味深さの幅は、時を経てどんどんと広がるはずだ。


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