史上もっとも汚い言葉で書かれた小説? ロシア文学の沼へ誘う『ヌマヌマ』

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2021年11月27日 10:01  リアルサウンド

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ロシア文学の沼へようこそ『ヌマヌマ』

 雄大な山脈をバックに草原を仲良く歩く、熊とマトリョーシカ。本書『ヌマヌマ はまったら抜けだせない現代ロシア小説傑作選』は、ロシアという国に対して、そんな表紙のイラストにあるようなふんわりとしたイメージしかない人でも大歓迎。読めば「好き」ともどこか違う感情に導かれながら、現代ロシア文学の沼にはまること間違いなしの一冊だ。


 収録されているのは、1980年代末から現代ロシア文学を紹介してきた「ヌマヌマ」こと沼野充義と沼野恭子翻訳による、選りすぐりの小説12篇。冒頭を飾るニーナ・サドゥール「空のかなたの坊や」は、人類初の有人宇宙飛行に成功した宇宙飛行士ガガーリンの母である〈私〉が主人公となる。


 宇宙へ行って〈神様なんてどこにもいない〉と悟った息子は、地球に戻ると自暴自棄となり、最高指導者ブレジネフの顔に唾を吐きかけて行方知れずとなった。それ以来、〈私〉はアパートで一人暮らし。宇宙のこと、地球のこと、〈地球の中心、地球の心臓部、マグマの深奥〉のことについて、ひたすら考え続けた。そして考えに考えた結果、〈私〉はアパートの住人たちにこう宣言する。〈よく聞いて!みんな準備をするのよ!地中に降ります!〉。地中に一体何があり、どうやって行くというのか?


 ヴィクトル・エロフェーエフ「馬鹿と暮らして」もまた、ロシアの超有名人が出てくる摩訶不思議な話である。タイトルにある馬鹿とは、なんとソ連の初代最高指導者レーニンのこと。解説によると旧ソ連時代の1980年に書かれたが出版できるはずもなく、1991年になりやっと発表されたという。


 文学者の〈私〉は何か罪を犯したらしく、刑罰として馬鹿と暮らさなければならなくなる。どの馬鹿にするかは選択が可能。地下室に100人ほどいる馬鹿の中から〈私〉の選んだのが、あご髭と鼻の下にちょび髭を生やした、見た目は明らかにレーニンの「レーちゃん」だった。〈えい!〉としか言葉を発しないレーちゃんは、冷蔵庫に入っている食料を貪り食い、床板や家具をナイフで切り刻み、オナラをする。〈私〉は家を荒らされて困り果て、妻は〈よくもまあ、あんなのを選ぶなんて〉と呆れ、夫婦仲はギクシャクする。


 ところがある出来事を境に、レーちゃんは突然大人しくなる。すると〈私〉も妻も愛着を抱くようになり、それぞれがレーちゃんと一線を超えた仲に。家庭内で生まれた奇妙な三角関係は夫婦のモラルを崩壊させ、とんでもない惨劇を引き起こすことになる。


 本書には「ロシア文学史上もっとも汚い言葉で書かれた小説」と称される作品も登場する。その小説とは、1979年に発表されたエドワルド・リモーノフの自伝的長編『ぼくはエージチカ』。本書では第9章にあたる「ロザンナ」のみ収録となるが、1章分だけでも充分にロシア文学トップクラスの汚さではないかと思わされる。


 ニューヨークへやってきた亡命詩人が、失業中の元教師ロザンナと付き合い離れていくまでの経緯を語るこの物語。冒頭からいわゆる“Fワード”が出てくること実に32回。男性器・女性器の名称やスラングも各所にちりばめられている。


 だが下品な話で終わりではなく、〈いつだって連中は他人の問題を恐がっている。アレン・ギンズバーグも恐がっている。そういう彼らがここでは—自分の国アメリカでは—強い人々なのだ〉〈アメリカ人は自分の仕事の話、自分がいかに沢山働いているかという話をするのが大好きときている〉など、アメリカに対する辛辣な批評も飛び出すから油断ならない。「ロシア文学史上もっとも汚い言葉で書かれた小説」の全貌がどうなっているのか気になりだした頃にはもうきっと、沼に下半身が浸るほど現代ロシア文学にはまって抜け出せなくなっているはずだ。


 このように現代ロシア文学はぶっ飛んだ小説ばかり、と一括りにはできない。一家でスイカを食べる何気ない場面から、彼らに訪れる死や暴力の気配が浮かび上がるザハール・プリレーピン「おばあさん、スズメバチ、スイカ」。オンボロ学生寮の汚さや悪臭の描写が、寮の部屋で密通する男女の淫靡な雰囲気や堕落を象徴するアサール・エッペリ「赤いキャビアのサンドイッチ」といった作品は、物語世界のイメージを喚起する精巧な文章が魅力。独特な語り口の一人芝居で人気を博し、小説に映画に音楽にとマルチに活躍する作家エヴゲーニイ・グリシコヴェツ。彼の話術の一端を垣間見ることのできる「刺青」は、〈俺〉が左手の親指に刺青を入れた顛末を語る中でのユーモアとペーソスの按配が絶妙だ。


 こうした様々な作風が同居するごった煮感も味だと思えた時には、沼を飛び出して、熊とマトリョーシカと一緒に草原を歩くぐらい現代ロシア文学と親密になっているに違いない。


■書誌情報
『ヌマヌマ はまったら抜けだせない現代ロシア小説傑作選』
編訳:沼野充義/沼野恭子
出版社:河出書房新社


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