SUPER BEAVER渋谷龍太のエッセイ連載「吹けば飛ぶよな男だが」/第5回「この気持ちフロム塩化ビニール」

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2021年11月27日 19:11  ダ・ヴィンチニュース

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 永続する気持ちは存在するのか否か。なかなかに難しい。生きている分だけ出会い、生きている分だけ話し、生きている分だけ考える。なので自らが何もしないまま気持ちだけが同じ形で永遠に続いていくということは、多分あり得ないことなのだと思われる。

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 人に対してはもちろん、物にだって事にだって。大事にしたいと思うからこそ、慎重に伝えて、丁寧に向き合って、注意深く愛でることが必要なのだ。

 ただ終わりが来る可能性に怯えながら誰かと友達になったり、欲しいものに手を伸ばさなかったり、「愛している」という言葉を飲み込んだりしていたら、それこそ物事に始まりがなくなってしまう。だからその時思った気持ちと心をきちんと自分の表面に出すということは絶対に必要なことなのだ。その時の気持ちが嘘でないならば友達に対する「何があっても仲間だ」も、恋人に対する「死ぬまで一緒にいよう」も伝えて良いと私は思っている。覚悟して伝えたその後、本当に大事であれば、どうやって尊い時間を長く守るかを都度、自分で考えるべきなのだ。

 と、幼かった私はこれと真逆の心情に陥ったことがある。真逆というのは、どうやって尊い時間を早く壊すことが出来るのだろうという心情だ。この尊い気持ちが永遠に続いてしまったらマジでやばいと思っていたのだ。

 私は小さい頃塩化ビニールで出来た人形同士を戦わせて遊ぶのが好きな子供だった。ただその好きは程度が過ぎる好きで、長編映画一本分くらいの時間を掛けて遊んでいた。無論、遊ぶ前にそれぞれの人形の配役とその役柄の背景を周到に考える企画構成の時間は別にとっているため、トータルでざっと三時間近く。晩御飯を跨いで続きを遊ぶなんてことも少なくなかった。今思えば、人形を戦わせるということより、なぜ人形が戦うに至ったかの経緯を考えることの方に興奮していたのだろう。

 こういった遊びはきっと誰もが通る道だと思う。しかしおそらく長い時間を掛けて通る道ではないと思うのだ。

 遊び方は経年に従い、人形がボールになったり、テレビゲームになったりするものだと思う。あげたのは一例ではあるが、夢中になるものは出来ることの選択肢が増えるにつれて移り変わっていく傾向にあると思うのだ。

 しかし、私の場合、夢中になるものが移り変わっていくという経験をしながらも、人形で遊ぶことに関して飽きることがなかった。ボールも楽しい、ゲームも楽しい、ただ人形で遊ぶのはマジでずっと楽しい、といった心情であった。

 そして小学校の三年生くらいの時か。これちょっとみんなと違うな、というざわざわとした感じを覚え始め、取り止めもない不安に駆られた。しかしそんな不安を覚えながらも、昨日敵役を当てた人形に、今日は主人公の人形の父親役という真逆の配役を思いついてしまい興奮が止まらない自分もそこにはいたりしたのだ。

 このままいくと、大人になってもずっと好きだ。会社に勤めて、お嫁さんをもらって、子供が出来て、多分それでも好きだ。どうしよう。

 本能的なところで人と違っているということを恐れてしまったのだろう。どうして、「どうしよう」なのかはわからないが私は、人形で遊びたいという気持ちを滅する方法を日々考え始めた。しかし、一度頭を回し出すとどうにもやはり、一番お気に入りの透明の人形に登場シーンの極めて少ない配役を当てるという考えもしなかった奇策などが思いついてしまい、鼻息を荒くするような日々を長らく繰り返した。まア、終わりが来ることなど想像出来ない程に没入し、葛藤に葛藤を重ねたこの事案だが、きちんと終わりがきた。それは具体的にいつと明記できないほど華麗に、心配事項からフェードアウトしていった。

 あの日から、というきっかけもなく自然に。いつが最後なのかもわからないが、なんの変哲もないとある日を最後に、二度と遊ばなくなったということになる。

 心配事は一つ減ったし、無理矢理に断たねばならなかったという苦しい時間もなかった。ただ、やはり気持ちと心は変わっていってしまうものなのだなア、という一抹の寂しさを覚えてしまった。

 心配になるくらい好きだったのに、不安になるくらい夢中だったのに。何もしなければ薄れて掠れて自分からいなくなってしまうのだ。

 そもそも消えてしまうような気持ちなら、とも思うがこの先、一度でも伝えて、一度でも向き合って、一度でも愛でたのであれば、そんな尊い時間は長く守りたいと思うに至った。

 かつて宝物だった塩化ビニールの人形たちは多様にわたる配役を毎日きちんとこなし、いつの間にか私の前からいなくなった。でもきっとそれは数十年後、長く続く気持ちの尊さを私に説くために必要な別れを、彼ら自身が選んでくれたとしか思えない。それか母ちゃんがサラッと捨てたか。

 永続する気持ちがあるのか否か。きっとノーだし、多分イエスだ。

 ただどうやら曖昧な回答しか出てこないであろうこの類の問いには、永続性があることは間違いなさそうだ。

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