氷川竜介とサンキュータツオが語る庵野秀明展 「エネルギーの蓄積を未来につなげた」

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2021年11月28日 11:00  AERA dot.

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写真「メカもロゴも配色まで格好よくて、デザインを人の心に響くものにした点も画期的でした」(氷川)「僕世代のアニメ好きの人間からみると、ヒロイン像も画期的でしたよ。レイ、アスカというのは超巨大な存在です」(タツオ)(写真:庵野秀明展実行委員会提供)
「メカもロゴも配色まで格好よくて、デザインを人の心に響くものにした点も画期的でした」(氷川)「僕世代のアニメ好きの人間からみると、ヒロイン像も画期的でしたよ。レイ、アスカというのは超巨大な存在です」(タツオ)(写真:庵野秀明展実行委員会提供)
 東京・国立新美術館で開催中の庵野秀明展を、アニメ・特撮の研究家である氷川竜介さんと自他共に認めるアニメ好きで日本語学者のサンキュータツオさんが語り合った。AERA2021年11月29日号から。


【写真】氷川竜介さんとサンキュータツオさんはこちら
*  *  *


――庵野秀明展には、原点となった「アニメ」「特撮」作品の原画やミニチュアをはじめ、アマチュア時代から現在まで、直筆のメモやイラスト、脚本、設定、イメージスケッチ、画コンテ、レイアウト、原画やミニチュアセットなどが展示されている。


タツオ:すばらしかったです。


氷川:企画のコンセプトとして、庵野秀明というクリエイターを形作ったもの、たとえば幼少期の山口・宇部の風景まで含めて、外部化して、立体的に見せていこうという提案をしました。


 最初のエリアには200画面以上、1954年の初代「ゴジラ」から83年「科学戦隊ダイナマン」まで99もの作品が投影されています。テレビや映画で映像文化が目覚ましく進化していた時期、当時の庵野さんが吸収した頭の中の栄養を感じました。


タツオ:この時代の人は、すべての映像作品をおいしくいただいている感じがします。アニメや特撮、SFの第1世代というか、作品を共通体験としてリアルタイムに浴びてきている。


氷川:2012年開催の展覧会「館長 庵野秀明 特撮博物館」出品のものも展示しているので、その体験の解像度が上がったのではと思います。僕は庵野さんの3学年上ですが、実は僕の頭の中にあるものと7割がた共通しているんです。時系列でみると、1年、2年経つたびに作り手の側も成長して、作品が高度化しているのがわかります。それを見ている子どもたちも年を重ねて体も心も成長するというシンクロがあった時期でした。現代は各ジャンルそれぞれ成熟した後なのでなかなか起こりづらいことですが、たとえばゲームでもファミコンが出てからさまざまな進化があったでしょう。


タツオ:それは僕の時代ですね。大衆文化として蓄積があって、かつての受け取り手がクリエイターになるまでの循環みたいなものも見える、おもしろい展示でした。僕からすると、その世代の方たちは、DAICON FILM(80年代前半に活動したアニメ・特撮の自主映画の制作集団)時代のメンバーとか、氷川さんも含めて、ものすごくおもしろいんですよ。


氷川:おもしろいって(笑)。




庵野さん自身の個性


タツオ:同じものを受け取っていても、分岐や進化の仕方が全然違いますよね。クリエイターになったり、マスメディアの側にまわったり。時代を追って見ていくのもおもしろいですが、氷川さんが図録で書かれていた、作家性、庵野さん自身の個性も強烈に感じました。宇部出身ですから、船も巨大建造物も身近にあって、それが庵野さんがつくってきた映像の中にも入っている、と思いましたね。


氷川:宇部のコンビナートには、現場に立たないとわからない迫力がありますよね。工場の中を通る輸送鉄道用の線路と車道が交わる箇所に踏切があったりしてね。


タツオ:自分が好きなものを炸裂させているようにも感じました。少年期から青年期にかけての庵野さんの写真がいきいきとして、楽しそうなんですよね。


氷川:アニメや特撮を自主制作するとき、いまはスマホで簡単にできてしまうことも、当時は難しいことがたくさんありました。そうした不自由のある時代に、一コマずつ写真に撮って紙焼きして、その上にまた合成するようなことをやっているんです。大阪芸術大学在学中に撮った「ウルトラマン」での写真は、展示の序盤で、仮面ライダーのマスクを持っている時の写真と、同じ表情ですよね。



アニメ史変わっていた


タツオ:そう。「好き」というものを突き詰めて、保ち続けているのかな、と感じました。


氷川:最初に刺激を受けたものに共鳴して、やむにやまれぬ表現の衝動を覚えることを初期衝動というんですけど、それを貫いている感じがしますね。


タツオ:そうして生まれた作品が商業として成り立つのは、稀有なことだと思います。いまの時代、ヒットを作るために最新の魚群探知機で網をかけてマグロを釣る、みたいなところがあるじゃないですか。だけど、そういう作り方とは明らかに違う。


 DAICON4オープニングアニメの爆発の映像からしてすさまじかった。若いエネルギーの爆発とも重なりあっているようで、かなり興奮しましたよ。


 庵野さんはアニメや映像作品のターニングポイントに必ずいるんですよね。





氷川:「(風の谷の)ナウシカ」にも参加しています。宮崎(駿)さんに自分で会いに行ったそうです。宮崎監督も庵野さんにナウシカの「巨神兵」を任せたわけですから。もしも巨神兵がいまとは違う形だったら、アニメ史も変わっていたと思いますよ。


――「トップをねらえ!」「ラブ&ポップ」「シン・ゴジラ」、アニメから実写まで、関わった作品の数々が並ぶ。


氷川:平成初期、幼女連続誘拐殺人事件の影響で、オタクという言葉がネガティブに捉えられていた時期がありました。「エヴァ(新世紀エヴァンゲリオン)」が放送された1995年、その圧迫感もある中で、逆に激しく盛り上がりました。


後の時代の型を作った


タツオ:当時、僕は大学1年生でした。


氷川:シンジ(主人公)より少し年上ですね。主人公と同年代で作品に巡り合った人にとっては、特別なものになったはずです。残念ながら、僕はそこまで体験できなかったけれど。


タツオ:ただ、リアルタイムで作品を体験させてもらえたことは、すごく幸せですよね。


氷川:そうですね。95年10月から毎週、未知の扉が開いた。最終回も何か大変なことが起こっているのはわかりましたよ。


タツオ:そういう視聴体験の肌感覚は失われつつあると思います。アーカイブや配信で一気に見られるから、学校で「昨日、あれ見た?」とはなかなかならない。ただ、「シン・ゴジラ」を見て、「初代『ゴジラ』を見た時と肌感覚が同じだった」と言っている人がいました。庵野さんの持つ肌感覚のセンスはすごいものがあると思います。


氷川:二十数年間作品が見られ続けているのも、初めて見る人を開拓してきたからですよね。


タツオ:僕は、落語という古典芸能が好きですけど、たとえば「エヴァ」は三遊亭円朝に匹敵するというか、その後の時代を形成する型を作り上げたところがあると思います。共通言語として、フォーマットを作り上げたのは大きいですね。


氷川:庵野さん自身も、古典が伝えてきたエネルギーを蓄積して、再生して、未来につなげていっているように見えますよね。そこに自身も連なり、大きなムーブメントになったと。


タツオ:この先もきっとエポックであり続けるんでしょう。


氷川:そしてそれは、非常に稀有で貴重なことなんです。


(構成/編集部・熊澤志保)

※AERA 2021年11月29日号


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