実は知らない? 秋元康が「美空ひばり」と「AKB48」のあいだにやった偉大な仕事

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2021年11月28日 11:30  AERA dot.

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写真秋元康
秋元康
 秋元康。芸能に疎い人でもその名前くらいは知っているほどの大物だ。最近はドラマの企画、原案などでも話題だが、本業は作詞家である。


【写真】秋元作詞のデュエット曲が大ヒットした藤谷美和子の貴重な写真はこちら
 その40年にもわたる作詞活動のなかで、大きな仕事といえるのが、美空ひばりの遺作となった「川の流れのように」であり、AKB48や乃木坂46などの作品群だろう。


 ちなみに「川の流れのように」は1989年のリリース。おニャン子クラブやとんねるずでの成功で時代の寵児になったものの、作詞家としては色物感もあった秋元が歌謡界の女王と組み、評価を高めた一作だ。


 一方、AKBを立ち上げたのは2005年のことだ(CDデビューは翌年)。おニャン子で培ったノウハウをさらに深化させ、大人数アイドルグループの魅力を追求して、ブームを超えた不動のスタイルを作り上げた。


 しかし、なかには、ひばりとAKBだけの人、みたいに思っている人もいるかもしれない。


 実際、日本レコード大賞での実績を見ても「川の流れのように」が次点に終わったあと、11年にAKBの「フライングゲット」で獲得するまで、大賞とは縁がなかった。


 また、彼はオリコンチャートにおいて217作というとんでもない数の1位シングルを作詞してきたが、その9割以上はおニャン子とAKB・坂道関連だ。おニャン子が解散した翌年の88年から、AKBの本格ブレーク前年にあたる08年までの21年間では、1位シングルは5作しかない。


 ただ、ひばりとAKBのあいだ、ともいうべき期間にこなした仕事がなかなか渋いのだ。時代としては平成前半、秋元が30代から40代にかけて残した作品を検証してみよう。


 まずは、93年の「ポケベルが鳴らなくて」(国武万里)である。不倫を描いた同名ドラマの主題歌で、当時最先端のコミュニケーションツールだった「ポケベル」が効果的に使われた。


 とはいえ、02年に編まれた作詞活動20周年記念盤「秋元流」の歌詞カードのなかで、彼はこう解説している。


「深夜に西麻布のバーで偶然見かけた女の子の、ポケベルを何度も何度も覗いている姿が、なんとも切なくてもどかしく映ったので、その様子を、昔でいう『手紙を待つ女心』を現代風にアレンジして書いてみました」




 つまり「ポケベル」自体は新しくても、そこにある感情は昔と変わらない普遍的なものだということだ。秋元は流行りものが好きだが、そうやって奇をてらったようでも、じつはベタな世界を展開することが多い。それこそ、人生を「川の流れ」にたとえるようなド直球な詞を照れずに堂々と書けるのである。


 続いて、94年には「愛が生まれた日」(藤谷美和子・大内義昭)がヒットした。彼はデュエットソングにこだわりがあるようで、前出「秋元流」にも「デュエット編」が設けられている。ニューミュージック編、女性アイドルポップス編など、6パターンあるうちのひとつだ。


 デュエットは歌謡曲の「遊び」を感じさせるものであり、あえてJポップの時代にもそれを残そうとしたのだろう。テレビ番組の裏方で作られたグループ・野猿の最大のヒット曲「First impression」(野猿 feat.CA 2000年)は女性のメインボーカルと男性コーラスという組み合わせだが、こちらも「遊び」っぽい面白さがあった。


 アイドル関連では、V6の「MUSIC FOR THE PEOPLE」(95年)やともさかりえの「エスカレーション」(96年)でそのデビューを華やかに演出。また、アイドル的人気を誇った猿岩石の2曲目以降を「高井良斉」名義で担当した。サードシングル「コンビニ」は隠れた名曲だ。


 さらに、カリスマシンガーの売り出しにもひと役買っている。01年に「STARS」でデビューした中島美嘉だ。ドラマ「傷だらけのラブソング」の主題歌で、中島は劇中でも新人歌手を演じた。フィクションと現実をシンクロさせるという売り出し方は昔からあるとはいえ、これが成功したのは秋元のプロデューサー感覚によるところが大きい。


 このほか、演歌に関しては08年の「海雪」(ジェロ)がある。初の黒人(ただし、母方の祖母は日本人)演歌歌手の出現として脚光を浴びた。意外性をヒットにつなげられたのは、1970年代に活躍したインド人演歌歌手・チャダを参考にしたのだろうか。低迷する演歌界には、明るいニュースとなった。




 日本的なものへのアプローチとしては「おーい、ニッポン」(NHK)の「県のうた」にも触れておこう。各都道府県の魅力を紹介する番組で、そのなかに毎回、地元でオーディションを行い、一般の人たちが地元にちなんだ歌をうたう企画があった。この詞を全49作、秋元が手がけている。


 とまあ、彼は「ひばりとAKBのあいだ」も、精力的に作詞をこなした。そのなかにはねずみっ子クラブ(93年)や湯川専務(98年)のようにコケたものもあるが、ヒットを生み出す打率はどの職業作詞家よりも高かった。というより、Jポップが主流になって多くの人が自作自演をするなか、職業作詞家は演歌やアニソンに追いやられ、対抗できたのは秋元くらいだったのである。


 これはもし昭和後期の一流作詞家・阿久悠が同時代に生きていたとしても、至難の業だっただろう。秋元はタイプの似た阿久に対し、自らを「遠くの弟子」と語るほど敬意を示しているが、ある才能において凌駕している。それは「代弁」という才能だ。


 前出の「秋元流」歌詞カードには、音楽評論家・近田春夫の秋元論も載っている。そのなかで近田は、


「詞によって歌い手のありようを批評的に浮彫にしてみせるという側面を持ちながら、表現自体はきわめて浅く済ませる」


 というところが、秋元の特徴だと分析。その結果「書きたいコトバを書くのではない、その人の口から聞きたいコトバを書く」という独特なスタンスができあがっていると指摘した。


 これはまさに、Jポップの時代にうってつけである。自作自演の魅力とは「その人の口から聞きたいコトバ」をファンがストレートに聴けることだからだ。そんなJポップ流の作詞を象徴するひとりが森高千里。彼女の書くポエム風の詞は等身大の女心がリアルに表現されているとして、ブレーク当時「プロの作詞家にはまねできない」などといわれた。


 が、秋元にはそういう詞が書ける。たとえば「恋するフォーチュンクッキー」(AKB48)において、その詞が初センターを務める指原莉乃にピッタリだといわれたように、自作自演をしない人に代わって「その人の口から聞きたいコトバ」を自在に紡ぎ出せるのだ。




 しかも、その「代弁」できる対象は極めて多岐にわたる。ひばりは「川の流れのように」について、


「この曲はすごくいいと思ってるの。でも私が死ぬときに流れる曲のような気がするの」


 と語ったが、その予感は発売から半年後に的中。おかげで国民的大ヒット曲となった。秋元は独特の感覚で、もう長くはないかもしれないと自分でも思っていたひばりに人生を振り返らせ、その気持ちを代弁したのである。それは見事に「女王の口から聞きたいコトバ」として、歌に昇華した。


 この稀有な才能が、Jポップ時代にも職業作詞家でいられる理由だし、40年間も第一線で活躍し続けるという歌謡史の奇跡をもたらしたのだ。


 ただ、この才能を自身がプロデュースするアイドルグループだけに使うのはもったいない。また、ドラマを手がけたりするのもいいが、できればそろそろ、AKBや坂道以外で渋いヒット曲を生み出してほしいものだ。


このニュースに関するつぶやき

  • とんねるずや野猿の楽曲の作詞も良いですし、明るいものから社会派なものまで幅広いです。漫画原作者の顔もあり、アニメ化もされたグルメものの「OH!MY コンブ」もありますね。
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  • 途中の広告が邪魔で読む気にならない…(# ゚Д゚)
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