『フォード・カプリRS2600』突如日本に来襲して見せた“本場”の力【忘れがたき銘車たち】

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2021年11月30日 10:51  AUTOSPORT web

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写真優勝した2号車のフォード・カプリ。ヨッヘン・マスとディーター・グレムザーのコンビがドライブした。決勝レースでは、トイン・ヘゼマンズも搭乗した。
優勝した2号車のフォード・カプリ。ヨッヘン・マスとディーター・グレムザーのコンビがドライブした。決勝レースでは、トイン・ヘゼマンズも搭乗した。
 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、『フォード・カプリRS2600』です。

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 1973年11月、前年まで繰り広げられていたマツダ・サバンナ対ニッサン・スカイラインGTR、通称“ハコスカ”の死闘がニッサンワークスの活動休止によって幕を下ろした。加えて、排気ガス対策によって自動車メーカーによるモータースポーツ活動が下火になりつつあった。

 そんな時代に開催されたレースが、富士ツーリスト・トロフィーレース(富士TT)。富士TT自体はツーリングカーによる耐久レースとして、それまでも開催されていたが、この1973年は、ある“出来事”から当時の日本のモータースポーツファンを大いに熱狂させた。

 その“出来事”とは、ヨーロッパツーリングカー選手権(ETC)を主戦場としていたフォードのワークスチーム、『ドイツ・フォード』の来襲だ。その時、フォードのワークスチームが富士に持ち込んだマシンが、今回紹介する『フォード・カプリRS2600』だった。

 これは、近代のファンもよく知るフォードのツーリングカー、シエラがグループAレースで大暴れし始める14年も前のエピソードである。

 フォード・カプリRS2600は、初代カプリをベースにツーリングカーレースのために仕立てられたホモロゲーションモデルだ。

 レーシングカーは、さらにこのRS2600をベースにETCなどのグループ2規定に合致するよう性能向上が図られている。エンジンは市販車では車名の通り2.6リッターだが、レーシングバージョンでは3.0リッターへとボアアップされ、320psを発生するユニットに仕立てられている。

 そのほか、サスペンションもフロントがマクファーソンストラット、リヤがリーフスプリングリジットというカプリ本来の基本形式を維持しながらも、より幅広なスリックタイヤの接地性、操縦性を改善するためのチューニングが施されていた。

 そして誕生したカプリRS2600は、1972年のETCにおいて9戦中8勝という強さを見せつけ、BMWを相手に完勝を果たした。

 富士TTにやってくる1973年のシーズンは、BMW3.0CSLの台頭によって前年の活躍から一転、苦戦を強いられたが、カプリは車重がBMWよりも200kg以上軽く、それでいてパワーもほぼBMWと同等と、まだまだ一線級の戦闘力を誇ったマシンであることに間違いはなかった。

 こうしてツーリングカーレースの本場、欧州での激闘を経て、いよいよ富士スピードウェイの舞台へとやってきたフォード・カプリ。レースでは、冒頭で記述したような理由もあり、自動車メーカーワークスの参加はなく、一部のサバンナ勢たちとの争いになり、カプリにとっては有利に展開が進むに思われた。しかし、カプリ勢に次々と苦難が襲いかかる。

 まず、車検の段階で持ち込まれた2台のカプリのうち1台が車検をパスできないというハプニングが発生。さらに、予選ではサバンナ勢が好走を見せ、1台はポールポジションを獲得したものの、もう1台は予選4番手に沈んでしまった。

 決勝でも変則ル・マン式が採用されたスタートで、1台がフライング。ピットストップで給油装置がうまく作動しなかったり、慣れない30度バンクの衝撃に耐えられず、2台とも左フロントのハブベアリングに不調をきたすなど、多くのトラブルに見舞われた。

 最終的に、サバンナ勢のなかでも有力視されていたマシンたちが脱落したこともあり、カプリは勝利を得ることに成功。1台はリタイアしたものの、初めての日本のサーキット、それも500マイルという長距離戦で本場の底力を見せつけたのだった。

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