ポールが涙目で口にした「ビートルズ解散」と最後の挨拶

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2021年11月30日 11:00  AERA dot.

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写真デビュー時(奥)と、1969年5月(手前)の4人。どちらもロンドンのEMI本社で撮影されたものだ。ドキュメンタリー作品「ザ・ビートルズ:Get Back」はディズニープラスにて全3話を独占配信中。加入すればいつでも好きな時間に視聴できる<br />(c)2021 Disney (c)2020 Apple Corps Ltd.
デビュー時(奥)と、1969年5月(手前)の4人。どちらもロンドンのEMI本社で撮影されたものだ。ドキュメンタリー作品「ザ・ビートルズ:Get Back」はディズニープラスにて全3話を独占配信中。加入すればいつでも好きな時間に視聴できる
(c)2021 Disney (c)2020 Apple Corps Ltd.
 ドキュメンタリー作品「ザ・ビートルズ:Get Back」3部作の配信が、11月25日からディズニープラスで始まった。一足先に視聴したビートルズファン歴45年のライターが、レビューする。


【写真】かつて見たことのない、半世紀ぶりによみがえる4人の姿はこちら
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 50年前の出来事を、当時撮影した映像を編集してよみがえらせた計3部、8時間の大長編が、こんなにスリリングなドキュメンタリーになるなんて、やはりザ・ビートルズのマジックなのだろうか。


 ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター。英リバプール出身の若者4人で結成され、1962年にレコードデビュー、自作自演の斬新な楽曲と言動でポピュラー音楽の歴史を変えた奇跡のバンド。70年4月に解散したが、半世紀たつ今も、怪物的な人気を持つ。


 ことの始まりは、妻のシンシアと別れヨーコ・オノと愛し合うようになったジョンのソロ活動がバンドの枠を越え、「解散説」が飛び交うほど活発化、それにポールが危機感を持ったことだった。「ヘイ・ジュード」のプロモーションビデオを制作したマイケル・リンゼイ=ホッグ監督と組み、69年1月18日にビートルズが新曲を披露するテレビショーを企画、新曲を練り上げる様子も盛り込むことにし、撮影班がスタジオでメンバーに密着することになった。


 セッションは69年1月2日に始まり、テレビショーはジョージの大反対で中止されたものの、撮影は最終日の31日まで続けられた。「ゲット・バック」「レット・イット・ビー」「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」などのリハーサルやレコーディングを撮影した映像は57時間、音源は150時間。これを素材にリンゼイ=ホッグ監督がつくったのが70年5月公開の映画「レット・イット・ビー」(80分)だ。


「ロード・オブ・ザ・リング」で米アカデミー賞を受賞した、筋金入りのビートルズファンであるピーター・ジャクソン監督が、この膨大な映像と音源を使って新たに編集したのが今回の「ザ・ビートルズ:Get Back」である。前の映画「レット・イット・ビー」の映像はほとんど使われていないようだ。




 前書きが長くなったが、ビートルズものの本や映像をあさってきた長年のファンとしては、「こんな宝の山が残されていたのか」と驚きだ。


 順調にスタートしたかに見えたセッションだったが、映画撮影用のスタジオで朝から新曲に取り組むことになったジョンやジョージは不満を募らせる。セッション3日目の4日、ギターの弾き方を指示するポールにジョージが激怒、「君が弾けというようにやるさ、弾くなというならプレイしない」と怒りをぶつけた。10日には、自分の曲がまともに取り上げられないことなど積年の不満が爆発、スタジオを飛び出してしまう。


 ジョンは「ジョージが戻らないならエリック・クラプトンを後釜に入れようぜ」と皮肉るが、4人がそろってこそのビートルズ。だが週末にジョージの家で行われた話し合いもうまくいかなかった。


 ジョンとポールの心のうちが赤裸々に描かれる。


 13日、ポールはジョン不在のスタジオで、リンゴや恋人リンダ(2カ月後に結婚)、リンゼイ=ホッグや親しいスタッフらに疲れた様子で語りだす。グループそっちのけで、スタジオでも片時も離れないジョンとヨーコのことだ。


「ジョンはヨーコとずっと一緒にいたいんだ。ヨーコとビートルズのどちらを取るかと迫ればジョンは彼女を選ぶだろう」


 ツアーでいつも一緒だった時代はジョンと曲を熱心に共作していたが、ツアーをやめて離れて暮らすようになると、親密さが失われたとポールは言う。


「ジョンとヨーコはやりすぎだが、もともとジョンは極端だろ。分別を取り戻せと言っても無駄さ。口をはさむことじゃない。たぶん僕らには(規律を正してくれる)父親のようなまとめ役が必要なんだ」


 テレビショーは延期したいというポールは、ショーの新たなアイデアとして、ビートルズの曲の合間に最新のニュースを放送することにし、最後に「ビートルズ解散」を速報で流すのはどうかと言って笑った。


 ポールは目を潤ませていた。


 ジョンが電話に出ているというので、ポールは席を立った。




 その日(1月13日)の昼食時、スタジオに遅れて来たジョンは、食堂でポールと二人だけで話す。映像はないが、花瓶に録音マイクが仕掛けられていた。


 ジョンが舌鋒鋭く言う。


「ジョージは(ビートルズでは)満足感が得られないと言っている。僕らが彼の傷が膿むのに任せ、さらに傷つけたからだ」


「君は僕にも指示する。後悔してるのは、君が曲を違う方向にもっていくのを許したりしたことだ」


 それに対しポールは、


「そこが問題なんだ。君は自分の曲で指示できる時も何も言わない」


 と反論。


 ジョン「君の提案を断る自由をくれ。いい提案は頂くから。曲のアレンジもそうだ。嫌なんだ。うまく言えないが」「君はポール様だからな。正しいときもあるが、間違える時もあった。みんなも同様だ。もうビートルズはただの仕事になっちまった」


 ポール「僕はジョージが戻ってくると思う。もし戻らなければ新たな問題発生だ。年を取れば、みんなで歌えるさ」


 2人はまたジョージと話し合うことにし、15日に会合を持った。ジョージはテレビショーの中止とアルバム制作を復帰の条件に挙げ、他のメンバーはそれを受け入れた。


 このころ、ジョンがひどいヘロイン依存になっていたことが、今では知られている。ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソンらロック史に残る多くの面々が薬物で命を落とした。薬物が原因かはわからないが、ジョンがカメラの前でおかしな言動(「マスターベーションをやれば近視になる」などと口走る)を見せ、ポールがハラハラした様子で「君はまともじゃないぞ」とささやく場面も。


 もともとビートルズの実質的なリーダーはジョンだった。ジョンはポールより二つ、ジョージより三つ年上(最年長のリンゴはデビュー直前に加入)で、10代半ばのジョンのバンドにまずポールが、次にジョージが入り、バンドとして整っていく。ビートルズと名付けたのもジョン。下積み時代、


「俺たちはどこまで行くんだ?」


 とジョンが叫ぶと、


「トップのトップだよ、ジョニー」


とポールやジョージが応じて励まし合った。何と言ってもジョンは頼れる兄貴分だったのだ。デビュー初期はジョン主導で作られた曲や、ロック歌手として抜群の力を見せつけた曲が多かった。


 ところが中期になると弟分のポールが才能を開花させ、一方でジョンは曲作りに苦しむようになる。後期のシングルの大半はポールの曲で、69年1月のこの映像でも、スタジオに来たポールが毎日のように新しい珠玉の楽曲の数々をピアノで披露している。この時期、彼は質量ともに恐ろしいほどの、創作力の絶頂にあったのだ。




 何より音楽が好きなキュートな仕事師と、その思うようにやりたがる傾向を押しつけがましいと感じるようになったカリスマ的兄貴分。二人の関係は強いきずなで結ばれつつも、微妙で難しい水位に達していたのだ。


 20日、ビートルズはだだっ広くて寒そうだった映画撮影スタジオを離れ、本拠地アップルビルの地下スタジオに移り、レコーディングに着手する。バンドは一気に活気づき、ジョンのはつらつぶりは見違えるようだ。メンバー個人が作ってきた曲がスタジオに持ち込まれ、みんなでやりとりしながら歌詞やメロディーを仕上げていく。見ているだけで心躍る光景だ。


 自分の意見を通して復帰したジョージも積極的に関わる。28日、自身の代名詞となる名曲「サムシング」を披露。思いつかなくて半年も苦労しているという歌詞の一部をジョンとポールに相談した。29日にはジョンに、


「曲がたくさんできたので、ソロアルバムを出したい。ビートルズとしての活動も、その方がやりやすくなる」


 と意欲を伝えた。ソングライターとして大きく開花しようとしていたジョージ。ジョンとポールの弟分に甘んじることは難しかったようにも思える。


 グループ解散に決定的な影響を及ぼす人物の影を、ピーター・ジャクソンの編集は忘れない。ニューヨークのビジネスマン、アラン・クライン。22日夜に会い、深夜まで語り合ったジョンはクラインにほれこみ、28日、「本当にすごい男だ」とジョージに伝える。「これからクラインが来るぞ」とジョンはワクワクしている。


 29日、現場でセッションを仕切った一人、グリン・ジョンズがジョンとヨーコに「クラインは頭がいいが変わった男」なので警戒するようアドバイスするが、ジョンは沈黙。後にセッションの音源を素材にジョンズがつくったアルバム「ゲット・バック」が2度にわたり棚上げされたのも、このときのことが影響したのではないかとの説もある。


 クラインは5月、ビートルズのビジネス管理を担う契約を結び、ビートルズの会社アップルの経営を事実上握る。ただ一人拒否したポールは孤立し、グループは修復困難な内紛に突入していくのだ。


 8時間のドキュメンタリーは、1月30日のアップルビル屋上でのライブ演奏でクライマックスに達する。42分間、ノーカットで4人の姿を見ることができる。それまでの不和や対立、争いの数々も、すべて洗い流したような(そんなことはないだろうが)圧倒的なパフォーマンス。年季の入ったビートルズファンなら、


「生きててよかった」


 と思わずにはいられまい。目と目を見合わせ、ニヤッとうなずき合うジョンとポール。見ているこっちもうれしくなってくる。


 ドキュメンタリーの終わり、ジョンが「おやすみ、ポール」と声をかけると、ポールが「おやすみ、ジョン」と返す。別なカットを組み合わせて構成されたこのシーン、不世出の奇跡のバンドをけん引した二人への敬意と愛情を、ピーター・ジャクソンが表しているかのようだ。


 ワイングラスを手に微笑むジョージの映像も。ジョンとジョージはもうこの世にいない。(ライター・小北清人)


※AERAオンライン限定記事


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