大谷選手がつないだ命…心臓病と闘った“翔平ちゃん”、子どもたちを救うため母が願うこと「ドナー登録のイメージが変われば」

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2021年12月02日 07:30  ORICON NEWS

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写真大谷翔平選手に抱っこされる翔平ちゃん(写真:ご家族からの提供/光文社)
大谷翔平選手に抱っこされる翔平ちゃん(写真:ご家族からの提供/光文社)
 重度の心臓病を持って生まれ、移植手術を待ちながら2歳を前に天国に旅立った川崎翔平ちゃん。闘病中には、今年メジャーリーグ史上に残る活躍を見せた大谷翔平選手が、お見舞いに訪れていた。たった一度の交流ながらその影響は大きく、翔平ちゃんへの募金は一気に目標額に到達。翔平ちゃんを救うことは叶わなかったものの、募金は同じく心臓病を患う二人の幼い少女のために使われ、その命をつなぐことになったという。翔平ちゃんのこと、大谷選手のこと、そして病気と闘う子どもたちのために――。翔平ちゃんの母・川崎静葉さんが伝えたいこととは?

【写真】大谷選手とのあたたかな交流、小さな体で病気と懸命に闘った翔平ちゃんの軌跡

■残された道はアメリカでの心臓移植、翔平ちゃんと母の元に届いた知らせ

 翔平ちゃんは、生まれる前から心臓の動きが悪く「出産しても生きていけるかどうかわからない」と医師から宣告されるなか、2017年6月に誕生した男の子。両親は、「病気に負けず、大きな志を持ち、大きな心で育ち、大谷翔平選手のように世界を翔ける子になってほしい」という思いで“翔平”という名を授けた。そんな翔平ちゃんは、生まれたあとも拡張型心筋症という重度の心臓病と闘いながら必死に命を繋ごうとしていたが、内科的治療には限界があった。残された道は、アメリカでの心臓移植――。

 「しょうへいくんを救う会」が発足したのは、2018年9月だった。同会は、募金活動の傍ら、新聞社を通じて大谷選手にビデオレターを送り、翔平ちゃんのことを伝えた。ちょうど日本に帰国していた大谷選手からの返事は、「お見舞いに行きます」。年が明けた2019年1月5日、大谷翔平選手と翔平ちゃんは対面することとなった。

 大谷選手とのコンタクトを思いついたときは、「頑張ってね」というメッセージを一言送ってくれるだけでも家族の励みになると思っていたという翔平ちゃんの母・川崎静葉さん。

 「日本にいる時間も短く、とてもお忙しい方。スケジュールを調整するのも大変でしょうに、2018年12月に『会いに行きます』というお言葉をいただいたときは、まさかと思いました。実際お会いする日まで、『これは夢なんだ』と何度も思いました」

 病室に現れた大谷選手は、190センチを超える大柄な男性だったが、「とにかく優しくて穏やかな雰囲気でした。私たちは本当に緊張していたのですが、すごく和やかなムードになり、そんなところにも大谷選手の人柄を感じました」と当時を振り返る。

 熱心に翔平ちゃんのことを尋ねてくれる気遣いを感じた静葉さんは、病気のために両親以外が抱くことが難しかった翔平ちゃんを「抱っこしてくれませんか」とお願いしたという。「大谷選手に抱っこされると、翔平がとてもリラックスした表情を浮かべているのがわかりました。大谷選手は緊張しながらも、しっかり抱っこしてくださって。とても可愛らしいというか、誠実な方だなと感じました」。

 翔平ちゃんの体力も考え、対面時間は1時間弱。そんななか静葉さんは「まさか自分の息子の名前の由来になった方と会えるなんて…。本当に幸せで恵まれたこと」と感激したという。

 スーパースターの訪問だけでも、大きな力を得ることができた翔平ちゃんとご両親。しかし、さらに大きなことを大谷選手はもたらしてくれた。このニュースは大きく報道され、思うように集まらなかった募金が、大谷選手の訪問後19日で目標金額に達したのだ。

 「本当に反響が大きかったです。街頭で募金をお願いしていても、とても多くの方に激励の声をかけていただきました。大谷選手のことはもちろんなのですが、『翔平くん頑張ってね』という声もいただき、本当に大きな力なんだなと実感しました」。

 募金も集まり、いざ渡米という段階になったが、翔平ちゃんの補助人工心臓を安定して動かせる電源を備えた飛行機が限られているということがネックになり、なかなか渡航が決まらなかった。そして、ついに翔平ちゃんの容態が急変。両親をはじめ、多くの人々の願いは届かず、翔平ちゃんはこの世を去ってしまった。2019年3月のことだった。

■手記にこめた感謝、「心臓移植の厳しい現状を知っていただくことで何かが変わるかもしれない」

 それから約2年半の月日が経ち、静葉さんは翔平ちゃんと大谷選手のことを綴った手記を発表することを決意したという。

 「最初に出版社の方から執筆のお話をいただいたときは、正直悩みました。大谷選手とは一度しかお会いしていませんし、息子は亡くなってしまっている。私たちが何を語れるのだろうと自問自答しました。ただ、出版社の方の熱意と、印税の一部を心臓移植を待つ子どもたちを支援する団体に寄付するという提案もいただき、何か自分にもできるのかもしれないと考え直したんです」。

 執筆すると決めてからは、静葉さんのなかで伝えたいことが明確になってきた。

 「声をかけていただいたきっかけは大谷選手の活躍だと思うのですが、私が一番伝えたかったのは、まずは翔平に携わってくれた方への感謝の気持ち。そしてもう一つあるのは、心臓移植の厳しい現状について、少しでも多くの方に知っていただきたいということでした。資金面はもちろん、そこがクリアされてもさまざまな条件が揃わないと助かることが難しいということ。私自身は何もできない小さな人間ですが、多くの人に事実を知っていただくことで、何かが変わるかもしれないと思ったんです」。

 変ってほしい、そう静葉さんが願うことに、ドナー登録のイメージがある。

 「移植待機をすることに対して、『人の死を待っているのか』という批判もあります。それに伴ってドナー登録にも、あまりプラスのイメージを持たない人が多いと感じています。もちろん、逆の立場に立てば、ドナー登録にイエスと言えない家族の思いも痛いほどわかります。ただ、ドナーがいなければ、移植を待つ人の命は救えない。私の友人にも翔平と同じ病気でドナーを待っている方がいますが、決して良い健康状態ではないなかで、すでに待機日数が1000日を超えています。そこが少しでも変わってくれれば…という思いはあります」。

 翔平ちゃんは天国に旅立ってしまったが、翔平ちゃんや家族の頑張り、さらには大谷選手の励ましは、のちに二人の幼い少女の命を救うことになった。翔平ちゃんのために集められた募金は、みうちゃん、ゆいちゃんという女の子のアメリカでの心臓移植のために使われたのだ。

 「翔平が残念なことになったあとも、同じように苦しんでいる子の救いになれば…という思いは『しょうへいくんを救う会』に参加した方々の総意でした。とにかくこの病気は一刻を争うことが多い。二人の女の子が手術を受けられて、本当に良かったです。現在、同じくアメリカでの心臓移植を目指す男の子を支援する『ゆうちゃんを救う会』でも活動が行われています。みなさんに広く知っていただくことで、ゆうちゃんへの支援が集まればと思っています」。

 大谷選手は2021年、投手として野手として、メジャーリーグの歴史にとてつもない記録と、人々の心に記憶を刻んだ。

 「以前からファンだったのですが、お会いしてからは、こちらの一方的な思いですが、本当に特別な存在になったと思っています。特に今年は大活躍されて、テレビやニュースで大谷選手を観る機会がたくさん増えました。そのたびに『翔平はこの選手と会ったんだな』としみじみ思うことがあります。皆さんにとってもそうだと思いますが、私たちにとって、これからどんなことがあっても、大谷選手は一生、スーパーヒーローです」。

 今後も微力ながら、病と闘う子どもたちの支援を続けていきたいという静葉さん。

 「翔平の弟が生まれ、ありがたいことに元気に成長してくれています。翔平は家に戻ってくることができませんでしたが、いま普通に子育てをしていても、本当に大変なことが多いなと実感しています。そんなとき、翔平とは一緒に寝たり、お風呂に入ったり、ご飯を食べたりすることができなかったぶん、ふと『生きているだけでも幸せなんだ』と感じることがあります。そんな些細な幸せを感じるからこそ、これから多くの子どもの命が救えるようになればいいなと思います」。

 コロナ禍でギスギスした世の中になりがちだが「共に生きる」ということに寄り添えば、多くのことは好転する。大谷選手が翔平ちゃんに向けた優しい視線のように…。静葉さんはそんな思いも本書に込めたという。

(文:磯部正和)

このニュースに関するつぶやき

  • 拡張型心筋症…今でもバチスタ手術は禁断のオペなんだろうか…それともオペができる外科医がいないのか…真東光介が実在して欲しい…
    • イイネ!2
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  • 日本で、こういう手術が出来る様にする為にはどうしたら良いのか。
    • イイネ!27
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