「2億円」が「400万円」に急降下も…球史に残る“大減俸”の憂き目にあった男たち

1

2021年12月05日 18:00  AERA dot.

  • 限定公開( 1 )

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

AERA dot.

写真オリックス時代の中村紀洋
オリックス時代の中村紀洋
 プロ野球選手の年俸は、活躍度に応じて上昇カーブを描いていくが、ケガなどで活躍できなかったシーズンは、大物選手といえどもダウンは免れず、時には野球協約で定められている減額制限(25%。年俸1億円以上の選手は40%)を超える大幅ダウンの憂き目にあうこともある。そんな球史に残る大減俸を紹介する(金額はいずれも推定)。


【写真】“驚くほど美しい妻”と米で話題になったマー君の奥様はこちら(他7枚)
 前年の2億円から98%ダウンの400万円という超ド級の大減俸を味わったのが、中村紀洋だ。


 2006年オフ、オリックスとの年俸交渉で左手首の故障が公傷と認められず、60%の減額提示に納得できない中村は、翌07年1月まで6回の交渉を行ったが合意に達せず、ついに自由契約となった。


 中村は他球団から声がかかるのを待ちながら、孤独な自主トレを続けたあと、2月12日から中日のテスト生としてキャンプに参加。同25日、合格が決まり、育成選手として年俸400万円から再スタートすることになった。


「やっとユニホームが着られるだけでうれしい。野球小僧として頑張りたい」と意欲を新たにした中村だったが、これだけの大減俸となると、税金対策もハンパではない。同年に納める所得税は、前年の2億円をベースに約40%の8000万円程度となるため、「税金が心配で。蓄えないですよ。何が何でも1軍に上がらないといけない」と必死だった(その後、3月23日に契約金と出来高なしの年俸600万円で支配下選手契約)。


 同年、中村が打率.293、20本塁打、79打点と結果を出し、チームの日本一に貢献したのは、“野球小僧効果”に加えて、「何とかして税金を払わなければ」という切羽詰まった事情も大きく後押ししたと言えなくもない。


 同様のパターンでは、17年オフにソフトバンク退団後、中日にテスト入団した松坂大輔も、4億円から96%ダウンの年俸1500万円と大減俸を味わっている。


 一方、所属球団は変わっていないのに、契約更改で80%を超える大減俸を受けた選手も少なくない。



 巨人時代の小笠原道大もその一人だ。


 FA移籍6年目の12年、出場わずか34試合、打率.152、4打点といずれも自己ワーストの成績に終わった小笠原は、4億3000万円から84%ダウンの7000万円でサインした。


 3億6000万円もの大減俸は、同一球団在籍の選手では、10年オフの松中信彦(ソフトバンク)、11年オフの清水直行(DeNA)の2億円を大幅に上回る史上最大の減額だった。10年オフに2年契約を結んだ小笠原は、前年の成績ダウンにもかかわらず、年俸が変わらなかった分、一気にそのリバウンドが来た形だ。


「2年(主力で)やってませんのでね、大方の予想はしていましたけど、契約してもらえるだけで良かったという気持ちで、サインをして、もう来季に頑張ろうという、心一新にして、真っさら状態というか、ゼロからのスタートというか、もう一度スタートを切る感じでやっていきたい」。


 そう言って、出直しを誓った小笠原だったが、すでに39歳と年齢的にピークを過ぎていたこともあり、翌13年も22試合出場で終わり、シーズン後、中日に移籍した。


 この小笠原を超える大減俸となったのが、15年オフの巨人・杉内俊哉だ。


 11年オフにソフトバンクからFA移籍し、巨人と4年20億円の大型契約を結んだ杉内は、契約最終年の15年も前半に6勝を挙げたが、7月後半に右股関節故障で戦線離脱。10月に手術を受け、そのままシーズンを終えた。


 さらに翌16年も前半戦の登板が絶望であることから、5億円から4億5000万円(90%)ダウンの5000万円プラス出来高でサインした。


 在籍4年間で計39勝と“5億円プレーヤー”に見合う成績を残せず、「球団やチームメイトに迷惑をかけ、ファンの皆様の期待を裏切ってしまった」と申し訳なく思った杉内が自ら基本年俸を抑え、出来高をつける契約を申し出たもの。


 ただし、設定された出来高をすべてクリアすれば、減額分もある程度カバーできる契約内容だった。


 杉内自身も「来年以降も巨人軍の背番号18に恥じないピッチングをお見せしていけるよう頑張っていきたい」と復活を期したが、その後も17年に左肩を痛めるなど苦闘の日々が続き、18年まで3年間、1軍登板がないまま、「これ以上は僕のわがままになってしまう」と現役引退。最終年の年俸は2500万円まで下がっていた。



 最後に登場するのは、史上最大級の減俸にもめげず、現役生活の最後にもうひと花咲かせた中日・岩瀬仁紀だ。


 15年オフ、3億円から2億5000万円(83%)ダウンの5000万円でサインしたが、この時点では、まだ杉内の契約更改が済んでいなかったので、前出の小笠原に次ぐ「史上2番目の大減俸」と報じられた。


 前人未到の通算402セーブを挙げた史上最強守護神も、同年は左肘故障で1軍登板ゼロ。「今年1年は何もしていないので、そのぐらいの額になることを覚悟していました」と素直に現実を受け入れた。


 そして、「ケガで終わりたくなかった。来年、『あのとき辞めなくて良かった』と思いたい」と現役続行にかけた岩瀬は、翌16年に引退危機を乗り越えると、17年は50試合に登板し、年俸も7500万円にアップ。


 さらに43歳になった現役最終年の18年も48試合に登板し、NPB史上最多の通算1002試合登板を達成。通算セーブも「407」まで更新し、見事有終の美を飾った。(文・久保田龍雄)


●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2020」(野球文明叢書)。


    ニュース設定