残留か、それとも移籍か…中日・又吉克樹と“404発アーチスト”の縁

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2021年12月07日 07:12  ベースボールキング

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FA権の行使を宣言した中日・又吉克樹 (C) Kyodo News
◆ “ノリさん”からの指摘

 国内FA権を取得した中日・又吉克樹投手(31)が、宣言期間スタートの11月29日、権利の行使を表明した。

 今後は12月9日から、他球団との交渉が可能になる。




 宣言残留か、それとも移籍か…。狭間で揺れる右腕はそもそもなぜ今季、好結果を残すことができたのだろうか。

 「春のキャンプだったんです。ノリさんに、もっと左手を上げていたよと伝えられたことがあったんです」

 2019年の春のこと。解説で訪れていた中村紀洋さんに呼び止められた。



 立浪和義新体制では、打撃コーチを務めることになった“ノリさん”。元竜戦士だから、そこには旧知のスタッフもいた。

 練習中の雑談は、自主練習で発展した。又吉はまだ北谷球場内にいるかどうかを確認し、スタッフを通じてブルペン内の打席近くに立ってもらうように依頼した。

 「もっと上がっていたよ」「もっとだよ」。右腕の頭の中は「え?こんなに?」。それでも、言われるがまま左手を上げてから投げてみた。


 中村さんは2014年限りで引退している。当時の所属球団はDeNAだった。

 その年は、又吉にとってはルーキーイヤー。右腕は「対戦したことがあると思うんです」と語るが、ペナントレースでのマッチアップは記録に残っていない。おそらくはキャンプ中の練習試合か、オープン戦ということになる。

 「かつては左腕が上がったとこから、投げる方の右手が出てくる。打者に見づらいフォームだった、ということなんです」

 この指摘が、又吉を復活へと導くカギとなった。


◆ 「そこに自分が行って、何ができるか」

 又吉のキャリアは、新人から3年連続60試合登板で幕を開けた。

 沖縄出身で県立西原高から環太平洋大へ進み、独立リーグ・香川オリーブガイナーズでプレー。2013年のドラフト2位で中日に入団した。

 ベンチ外の高校時代に、「教員免許取得のために」と進んだ大学。「教諭になって野球部の顧問になったときのために、練習メニューを勉強するため」という理由で、大学でも野球を続けた。

 そこからフォームを変え、球速が伸びると、独立リーグに挑戦。あっという間に、NPBスカウトの目に留まった。


 FA権を取得し、行使を考えていたタイミングで、“中村紀洋打撃コーチ”は発表された。

 アドバイスを受けてからの2シーズン、昨季は26試合で防御率2.77。今季は66試合で防御率1.28と強烈な数字を残した。

 「同じチームのユニフォームを着られるかは分かりませんが、こういうタイミングですもんね。縁というか、人と人の関係性って面白いですね」

 31歳の右腕は思いを巡らせる。


 獲得調査に乗り出しているのはソフトバンクとオリックス、そしてDeNAとみられる。

 「いろいろな事を経験して、便利屋になれたのはもちろんドラゴンズのおかげ。体の強さだったり、投げ続けてきた400試合は僕の土台になっています」と、中日への思いはある。

 加えて、「一番はそこに自分が行って、何ができるか。残るなら残って、ドラゴンズで何ができるか。移籍したら移籍したところでどういう恩返しができるか。ここに残ることもひとつです」とも。


 さまざまな選択肢を目の前にして、考え、それから答えを出す。

 結論を出すメドは年内という。沖縄で育ち、名古屋で大きく羽ばたいた。交渉解禁となったとき、又吉はどのような感情になるのだろうか。


文=川本光憲(中日スポーツ・ドラゴンズ担当)




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