「iモード」とは何だったのか その本質と功績、iPhoneに駆逐された理由

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2021年12月09日 10:02  ITmedia NEWS

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写真iモード公式サイトを提供終了
iモード公式サイトを提供終了

 NTTドコモは11月30日、iモード公式サイトのサービスを終了した。ある意味で日本の2000年代を支えた存在の終了であり、1つの時代の終わりともいえる。



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 一方で、「iモードとはどういう意味を持った存在であるか」については、少々誤解も多いように思う。iモードの全てが日本独自で悪いものではなかったし、現在の目で見て無価値なものではない。



 iモードがなぜ盛り上がり、そしてスマホの勃興とともに消えていったのかは、業界構造を含めた理解が必要になる。



 そしてそのことは「ガラケー」と呼ばれるフィーチャーフォンが、本当はどういうものだったのかを考え直すきっかけともなる。



 今回は改めて、「iモードとは何だったのか」を考えてみたい。



●「時間課金」からネットを解き放つ



 iモードは1999年1月にサービスを開始した、NTTドコモの携帯電話向けネットサービスだ。実際には複数のサービスの集合体であり、「iモード」はその総称である。



 iモードには「携帯電話を使ったネット接続サービス」としての顔と、その上で動くメールサービスである「iモードメール」、接続サービスであるiモードの網内でコンテンツと課金システムを提供する「iモード公式サイト」、そしてそれらが使える「iモード対応携帯電話」というレイヤーに分割できる。さらに、iモード網から専用のゲートウェイを通り、インターネット上に作られた「iモード対応コンテンツ」に接続することもできた。これは当時「勝手サイト」などと呼ばれた。



 11月30日にサービスを終了するのはあくまで「iモード公式サイト」。対応端末の販売はすでに終了しているが、利用中のiモード対応携帯電話を使うための接続サービス自体は2026年3月31日まで続く。



 あらためて説明されると複雑で面倒な印象を受けるかもしれない。



 だが、iモードがスタート時にどういう存在であったかを理解するのは、この複雑性を頭に入れておく必要がある。



 ご存じのように、家庭でのインターネット利用の初期、1990年代の間は、ほとんどの人が「モデム」で通信をしていた。



 インターネットの利用はデータ量ではなく「通信の接続時間」単位で課金されていたわけだ。別の言い方をすれば、通信がつながっていれば、データが流れていなくても課金されていた。Webを読んでいる最中で通信が発生していない場合でもお金がかかる、ということで、読みたいWebや掲示板の新着情報をまとめてダウンロードしにいく「Web巡回ソフト」なんかもあったくらいだ。そうした状況は通信が定額制になることで変化し、その結果として、より自由なネット利用が拡大し、本格的な産業化が進行する。



 インターネットはデータを「パケット」に分けてやり取りする「パケット通信網」だが、当時は電話回線の中でパケット通信を扱うのは特別なことだったのである。



 これは携帯電話でも同様である。



 前置きが長くなったが、ここにメスを入れてスタートした「個人向けのサービス」がiモードである。



 携帯電話において、ようやく一部で使われるようになっていたパケット通信を最初から個人向けの端末サービスに組み込み、「パケット単位課金」=実質的なデータ量課金でスタートしたのが、iモードの特徴だ。



 そのためiモードでは、当時のPC用インターネットと違い、読んでいるだけでは課金は発生しない。通信を行なった量だけ課金された。今となっては当たり前に見えるが、個人への利用を促す上では、このことがとても大きな要素だった。



 1999年には、ドコモのiモードだけでなく、DDI・IDO(現KDDI)の「EZaccess/EZweb(現EZweb)」もスタートしている。こちらも、iモードと同じく「モバイルでのネットコンテンツ」を軸にした。



 だが、スタート時にEZwebが採用したのは「時間課金」だった。端末内で細かく接続制御が行われ、PCのように「利用中はずっとつなぎっぱなし」というわけでもないのだが、それでも、携帯電話からネットを見に行くとまず接続が行われ、その後に閲覧可能になり、さらに一定時間が経過すると接続が切れる……という挙動になっていた。筆者も使っていたが、利用が複雑だったし、なにより表示が遅かった。公式サイトの表示までに30秒近くかかっていた記憶がある。



 それに比べると、iモードはあきらかにシンプルで分かりやすかった。EZwebがパケット通信でない、という課題は後に解消されてiモード同様シンプルになり、市場を盛り上げていくことになる。



 なお、会社買収などの経緯もあって複雑なので解説は省くが、現・ソフトバンクも、当時J-PHONEとして「J-SKY」を立ち上げ、その後「Vodafone live!」となり、「Yahoo!ケータイ」へ名前を変えつつ、同様の携帯電話向けインターネットサービスが展開されていく。



●コンテンツ制作も「シンプル」かつ「製作者重視」



 スタート時の通信規格の違いは、サービスの立ち位置の違いそのものであった、といってもいい。



 EZwebは通信とコンテンツ制作の仕組みに、国際規格である「WAP 1.0」を採用した。これは簡単にいえば、「携帯電話は狭い画面・遅い通信速度で使うものなので、それに合わせて徹底的に特化した仕組みを使おう」という発想の技術である。コンテンツ制作に使われていたWMLはHTMLと互換性がない代わりに、データ伝送の効率に優れ、当時の貧弱な携帯電話網での伝送がしやすいよう配慮していた。



 一方、NTTドコモはiモードをスタートする際にWAPを採用しなかった。コンテンツ制作を簡便化するため「Compact HTML」を採用した。



 Compact HTMLも携帯電話向けにデータ量などを削減した技術で、PC用のWebとは違うものだが、独自のオーサリングツールを必要とした初期のWMLに比べればPC用のWeb制作にずっと近く、コンテンツ制作が容易だった。



 このことは、iモードが最初からパケット通信を採用したこと、公式サイトによる課金モデルを用意したことに加え、普及を大きく後押しする。インターネット上に「勝手サイト」を作ることが容易だったからだ。



 コンテンツを使いやすくする工夫、コンテンツが増えやすくする工夫を用意するという2点において、iモードは当時、非常に先進的、というよりもシンプルな設計思想を持っていた。



 2001年6月、WAPが「2.0」になって見直される。コンテンツ記述言語はXHTML+CSSになり、データ伝送もTCP/IPとHTTPに近いものに変わり、PC用インターネット/エコシステムとの親和性が重視されるようになる。EZwebもWAP 2.0仕様になり、iモードとのコンテンツ互換性が高くなった。これ以降、各携帯電話会社向けのコンテンツの差は小さくなり、利用可能な端末数が増加していくことになって、携帯電話コンテンツのビジネスはさらに拡大していくことになる。



 iモードは「国際標準」から離れてスタートしたが、そのことは必ずしもコンテンツ制作において独自性=閉鎖性、というイメージで語れるような話ではない。実情にあった現実解だったといえる。WAP 2.0が、結果的にiモードを意識したような形へと変化したことが、それを裏付けている。



 世界ではまだ「携帯電話向けのコンテンツエコシステム」が出来上がっておらず、iモードが世界をリードする存在だったのである。



●フィーチャーフォンと「回線マネジメント」



 日本で携帯電話向けネットサービスが広がっていくと、今度はその高度化が携帯電話契約と端末販売を牽引する存在になっていく。



 カラーが使える、アプリが使える、カメラでの写真撮影が進化する……などの変化がどんどん生まれ、2000年代、日本の携帯電話はバラエティーに富んだ製品に育つ。現在でいうところのフィーチャーフォン、俗に「ガラパゴスケータイ」「ガラケー」と呼ばれるものの誕生だ。



 2000年代には、携帯電話端末の開発について、携帯電話事業者とメーカーの距離が今以上に近かった。理由は、新端末とその機能が回線契約の増加に役立つ一方で、いかに新端末での回線負担をコントロールするか、というマネジメントが極めて重要だったからだ。



 こうしたアプローチは他国でもあったが、日本では他国以上に関係が深かった。一定数の端末を携帯電話事業者がメーカーから買い取り、携帯電話事業者が回線契約にひもづく割引モデルを活用して安価に販売する、というビジネスモデルの存在は、多様なメーカーが多様な端末を販売する土壌となり、結果として、他国以上にバリエーションに富んだ携帯電話端末が生まれた。



 このような環境が他国より特殊であり、そこに特化して作られていたことを「ガラパゴス的環境」というのは、ある側面で正しい。ただ、こうした構造が他国になかったわけではない。実のところ、国を超えて付加価値の大きい端末の販売で成功していたメーカーはあまりなかったのだ。当時のトップブランドであるNokiaも、付加価値の少ない端末を多数売ることで成功していた側面がある。「今以上に国や地域によって壁があった」といった方がいい。



 どの国でも「いかに回線に負担をかけずに付加価値を打ち出すか」が、携帯電話端末の開発において重要な要素だったわけだ。



 ただ同時に、そのことは不自由も生んでいたし、PCに慣れた人々には違和感でもあった。フィーチャーフォンが高度化し、PCに近いことができるようになるほどに、「携帯電話回線をマネジメントするためのデータ量制約」が消費者にも見えるようになっていったのだ。



 だが、「3Gでやるならこのくらいが限界」「次の大きなジャンプは4Gが出てから」と、携帯電話事業者に近い人々であるほど考えていたのである。



 そう、iPhoneが出てくるまでは。



●忖度しない「iPhone」の衝撃



 Appleが作ったiPhoneは、想定以上に「携帯電話事業者の通信事情に忖度しない」機器だった。携帯電話向けサービスの方を向かず、PCのインターネットを掌の中で使いやすくする方を見ていた。



 実際、構造的にPC(Mac)に近いiPhoneは、フィーチャーフォンよりもずっと多くのデータ通信を必要とした。iPhone利用者が増えることは回線の負担が高まることを意味しており、携帯電話事業者としてはあまり歓迎していなかったところがある。携帯電話事業者から見れば、iPhoneのようなスマートフォンは「いつかメジャーになるが、3Gのうちにはまだ早い」存在だったわけだ。



 日本の場合、契約者数を伸ばしたいソフトバンクがAppleと手を結んだことが、iPhoneの普及を後押しする結果になった。その背景には、ソフトバンクの携帯電話向けコンテンツサービスが貧弱で、同時に独自性の高い端末も弱かった、という事情もある。



 利用者の意識は少しずつ変わっていき、制限のある携帯電話専用プラットフォームの上から、より通常のインターネットに近く、アプリという新しいエコシステムのある「スマートフォン上の環境」に移行するのはある種必然であった、ともいえる。



 iPhoneをはじめとしたスマートフォンは、過去のフィーチャーフォンほどには携帯電話事業者の差を考える必要はない。同じ設計から各地域向けに製品を作るのは難しくない。競争力のある製品を世界に向けて多数生産して販売する、というビジネスモデルが本当の意味で成立するのはスマートフォン以降である。日本の携帯電話メーカーは、ここでビジネスモデルのトランジションが遅れて弱くなっていく。



 iモードという存在は、「携帯電話回線」という制限から生まれたものだ。それがスマートフォンの時代になり、制約条件が変わると存在価値を失うのは必然といえる。iモードが終わる、という話や、3Gが停波していくという話の本質はここにある。



 スマホの定着によって、携帯電話事業者側での回線マネジメントの考え方も変わった。端末の販売や調達のあり方も変わり、世界中で同じ端末が使われる例が増えていった。



 一方で、なくなる必然性があるのは「通信量制約をベースとしたiモードに代表される、古い通信サービス」である。本来、端末形状はあまり関係ない。例えば、通話専用に近い端末はいまでも(少ないながら)ニーズがあるだろうし、それを2つ折りで作ってもいい。そういう製品も実際にある。



 ただ、スマートフォン以降、人々の「ケータイ」の使い方が「スマホ」に変わってしまったこともあり、道具として「過去のケータイ」に近い使い方が顧みられなくなっている部分はあるだろう。それもまた1つの変化ではある。



 5Gがスタートしているが、現状、われわれの生活にあまり変化はない。その理由は、回線事情の変化が「スマホ」という端末やその上のサービスに大きく影響していないからでもある。5Gがわれわれの生活に大きく影響するとすれば、それは「4G回線の事情を忖度せず、5Gがないと本質が出てこない」ような機器が登場するときなのかもしれない。



※この記事は、毎週月曜日に配信されているメールマガジン『小寺・西田の「マンデーランチビュッフェ」』から、西田宗千佳さんのコラムを転載したものです。


このニュースに関するつぶやき

  • 誤解があるがドコモもWAPを採用しようとしたが世界初を名乗る為に離脱してCHTMLを採用した。表示が速かったのはネットワークが優秀であることと端末制御が要因で、CHTMLだからではない。寧ろCHTMLはパケットが増大した。
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