そんなことで怒らなくてもと思うのだが、広島人はお好み焼きを「広島焼」というと、本気で激怒する。なぜ広島人は、そんな些細なことにマジギレするのか? この大いなる謎を調べてみた。(取材・文:昼間たかし)
かつてはNHKが謝罪したことも
広島人の「広島焼」という言葉へのキレかたは容赦がない。2016年9月には、この一言が全国ニュースになった。発端はNHKのバラエティ番組「サラメシ」での一幕だ。この放送で広島が特集された際にNHKではお好み焼きに「広島焼き」というテロップを表示したところ、広島人から抗議が殺到したのだ。抗議の殺到を受けてNHKでは再放送の際に「お好み焼き」とテロップを修正した。
でも、本当にすべての広島人がそんなにマジギレするのだろうか。その理由はなんなのか。まずは身近な広島出身者に話を聞くことにした。
ところが筆者が「今日は広島焼について……」と、切り出した途端にいきなり怒鳴られてしまった。
その主張はこうだ。
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「広島焼じゃない! 広島風お好み焼きもオカシイ。お好み焼きというのは、広島で食べているあの食べ物のことを指すんです。もちろん、大阪のお好み焼きは存在していてもいいですよ。でも、お好み焼きというのは広島でみんなが食べているものです。それを広島焼なんて呼ぶのは許すことができません」
歴史を辿ると、お好み焼きは広島で誕生したものではない。発祥は明らかではないが、東京、あるいは大阪ではないかと考えられている。そんな歴史も説明してみたのだが「そんなことは関係ない」と切り捨てられてしまった。
あれこれあって広島の方たちとの付き合いが多いのだが、「人柄が暖かいな」としばしば感じさせられている。他所からやってきた人にも親切にしてくれる文化がある、人情に篤い地域だと思う。ところが、こと「広島焼」になると、彼らは我を忘れて怒り狂うのである。
「広島焼」は広島発祥の言葉だった
暖かい広島人を豹変させる危険な「広島焼」という言葉はどこから生まれてきたのか。一つの説が東京の下北沢にある「HIROKI」。広島出身者がオープンした店で以前は「広島焼き」を看板に掲げていたといわれる。店の公式サイトなどでは、今でも「広島焼き」となっているのだが、実際に訪れてみると店の看板は「広島のお好み焼・鉄板焼」、メニューはシンプルに「お好み焼き」になっていた。
新聞記事をさかのぼって調べてみると、1991年に名古屋で開催された「全国有名駅弁・寿司とうまいもの大会」を報じた記事(中日新聞1991年10月4日付朝刊)に、こんな記述があった。
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「広島焼き」(広島)など、二十二種類の駅弁や特産品の実演販売コーナーも設けられ、にぎわった。
広島の名物として「広島焼き」を掲げた店が出ていたのである。
また、『朝日新聞』の1995年2月19日付朝刊には、阪神大震災被災地での炊き出し情報の中に、PL教団の芦屋教会・広島教会が神戸市東灘区で「広島焼」2000食を提供する予定だという告知があった。
こういった点から推測されるのは、「広島焼」は、広島(にゆかりのある)人が故郷の「お好み焼き」を県外でPRする際に、他と区別するためにあえて使った言葉なのだろうということだ。
ただ、この呼び方はメジャーとまでは言えなかったようだ。雑誌や書籍などで、広島で食べられているお好み焼きを「広島焼」と表現しているものは一時期まではそんなになかった。
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ところが、2010年代以降になると、この言葉がにわかに登場するようになる。しかも、「広島人は、広島焼というと激怒する」という文脈で、だ。
広島人が「広島焼」と呼ばれると怒ることを取り上げた書籍は、2013年に出版された広島研究委員会の『広島人の頭の中』(中経出版)がある。広島の図書館司書の方々にも調査にご協力いただいたのだが、調べた範囲ではこれが「最初」という結果になった。
この本では「広島人とお好み焼き、その深い愛」として「『広島焼き』『広島風お好み焼き』という呼び方が許せない」という人が数多くいる」と紹介している。
これ以降「お好み焼きのことを広島焼きと呼ばれるとなんかムカつく(幸部辰哉『広島人あるある』TOブックス 2014年)」、「他府県の人がお好み焼きのことを広島焼きというのは許せない(岩中祥史『広島の力』青志社 2017年)」と、広島の文化習俗を扱った本で、広島人が「広島焼」に怒る説が掲載されるようになっていく。
いったい、広島人はどうして自分たちが生み出した「広島焼」に怒るようになったのか。
この背景には2000年代になり、それまで広島ローカル感の強かった「お好み焼き」が、全国どこでも知られるものとなったことが大きく影響しているだろう。
広島のお好み焼きが知名度を上げていく前には、先んじて全国に広まっていった大阪のお好み焼が存在した。広島人のお好み焼きへの愛を知らぬ他県の人々は、広島のものを「広島焼」としてあたかも、「お好み焼きではない」かのような見方をする向きもあった。それが次第に積り積もっていき、「広島焼」への怒りを生み出していったのではないか。
そんなことを前述の広島人に話してみたら、「そんなことは関係ない!!」とまた怒られた。育った地域、食べ物への思い入れというのは、それほどまでに心の中に深く深く、根付いているものなのだろう。