岡田ジャパン、支持率16%からの大逆転劇。カギは「自己否定」と本田圭佑の登場

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2022年01月18日 11:11  webスポルティーバ

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何かが起こるW杯イヤー(4)〜2010年
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 2010年南アフリカW杯。いま振り返れば、この大会はいろいろな意味で最もエンタメ性に富んでいた。

 2007年11月。イビチャ・オシム日本代表監督が脳卒中で倒れると、日本サッカー協会は後任に岡田武史氏を選んだ。岡田監督は1998年、フランスW杯予選の最中に解任された加茂周監督の後任として、代表監督に就任。ジョホールバルでイランを倒し、日本をW杯初出場に導いたものの、本大会ではあっさり3連敗を喫していた。

 ドタバタ劇は2度目の在位でも健在だった。

 国内で最後に行なわれた壮行試合、韓国戦に0−2で敗れると、岡田監督は犬飼基昭サッカー協会会長(当時)に、進退伺いを出した。その後、欧州で合宿を張り、練習試合を行ない、コンディションを整えながら南アフリカを目指そうとした岡田ジャパン。その直前に代表監督が辞意を示したとあって、現場は大混乱に陥った。

 ところが翌日になると、岡田監督は一転「あれは真剣に言ったわけではない。冗談だった。これからは口を慎みたい」と撤回する。発言をなかったことにしようとしたため、混乱にいっそう拍車が掛かった。あるポータルサイトのインターネット調査によれば、それまで30%程度あった岡田監督の支持率は、この騒動が起きると16%に半減。岡田ジャパンはボロボロの状態で、欧州を経由して南アフリカに旅立っていった。
 
 2009年6月、ウズベキスタンとのアウェー戦に勝利し、アジア予選を突破。そこまでは特段、大きな問題もなく順調に推移した。ところが2010年、W杯イヤーに入ると事態は急転する。大分で行なわれたベネズエラ戦に0−0で引き分けると、東アジア選手権では3位に沈む。香港には3−0で勝利したが、中国に0−0。韓国には1−3で完敗していた。さらにセルビアの事実上の「C代表」と対戦したホームの親善試合に0−3で完敗すると、岡田監督の支持率は30%に急降下した。

 韓国に0−2で敗れた壮行試合や発言撤回事件を経てさらに低下した支持率は、オーストリアのグラーツで行なわれたイングランド戦、スイスのシオンで行なわれたコートジボワール戦に連敗すると、さらに下落した。

【驚きのカメルーン戦メンバー】

 日本代表はW杯本大会に、1998年フランス大会から2018年ロシア大会まで、6大会連続出場しているが、大会前の期待感はこの南アフリカ大会が一番低かった。

 カメルーン、オランダ、デンマークの3カ国と、グループリーグを同じ組で戦うことも輪をかけた。ブックメーカーは日本をこの組の最下位候補に挙げていた。

 6月14日、ブルームフォンテーン。日本はW杯初戦をカメルーンと戦った。




 試合開始まで1時間を切る頃、記者席やメディアセンターでは「スタートリスト」が配布される。さらに、開始時間が近づくと、今度はFIFAのテクニカルスタッフが作成する「タクティカル・ラインナップ」という別のシートが配布される。布陣図入りの予想フォーメーションである。

 イングランド戦、コートジボワール戦で、岡田監督は、布陣をそれまでの4−2−3−1から、阿部勇樹をアンカーに置く4−3−3に変えていた。最後にきて手を加えていただけに、初戦のメンバーは大いに注目された。

 最初に配られた「スタートリスト」を見て、えっと驚いたのは、中村俊輔の名前がその中になかったことだ。中村は岡田監督が就任して以来、絶えず中心にいた選手。ウズベキスタンに勝利し、本大会出場を決めた際も「来年の本番に向けて中村と遠藤保仁の2人を中心に戦っていく」と述べていた。その方針を、岡田監督自身が否定した。これは事件に値した。

「タクティカル・ラインナップ」にも違和感を覚えた。大久保嘉人が4−3−3の1トップに据えられていたからだ。スタメンでFW登録の選手は大久保1人しかいないからだろうか。FIFAのテクニカルスタッフはなかなか優秀で、9割近い確率でタクティカル・ラインナップ=布陣図を的中させてくる。だが、大久保の1トップは明らかな間違いだ。

 まさかW杯の本番で、自国の代表チームの布陣に頭を悩ますことになろうとは、予想だにしなかった。

 とはいえ、正解は見えていた。それは岡田監督就任以来46試合を戦って、一度も見たことがない顔ぶれと布陣だった。もっと言うならば、それは筆者がかねがね、こうするべきだと各媒体で推奨してきたものと、驚くことに完全に一致していた。

【勢いが違った本田圭佑】

 本田圭佑を0トップに据えた4−3−3。キックオフの笛が鳴り、その正体が目に飛び込むと、震えそうになっていた。くり返すが、岡田監督の支持率は16%。その時、8割以上が不支持に回っていた。何を隠そう筆者もその1人。まさにコテコテの不支持派だった。

 ところが、ブルームフォンテーンのピッチに描かれたデザインは、こちらが望んでいたものと完全に一致していたのだ。言い方を変えれば、中村中心のチームから、本田中心のチームに一変していた。

 ブックメーカーからはオランダに次いでこの組の2番手に挙げられていた強敵カメルーンに対し、日本は1−0で勝利した。決勝ゴールを挙げたのは本田。彼を0トップに据えた岡田采配は、3戦目のデンマーク戦でもズバリ的中した。FKによる先制弾と、3点目のゴールを本田はマークしたのだった。

 日本はカメルーン、デンマークを抑えてベスト16入りを決めた。1998年フランス大会はグループリーグ3連敗。2006年ドイツW杯はグループリーグ1分け2敗。2002年日韓共催W杯はベスト16入りを果たしたが、これは例外だろう。開催国の恩恵以外の何ものでもなかった。文字通りの実力でベスト16入りしたのは、この2010年大会が初めてだった。

 その快挙を、日本を発つ前に支持率が16%しかない岡田ジャパンが達成した。これ以上エンタメ性に富む事件に、そう簡単に遭遇することはできない。もし壮行試合のあとに岡田監督が解任されていたら、この結果は出ただろうか。

 最大のキーポーントは岡田監督が、自らの過去を土壇場で否定したことにある。こうした芸当ができる監督は、世界広しといえど滅多にいない。

 もうひとつは本田だ。VVVフェンロからCSKAモスクワに移籍したのは2009−10シーズンの冬のマーケットで、チームはタイミングよくチャンピオンズリーグ(CL)の決勝トーナメントに進出していた。その決勝トーナメント1回戦。セビージャのホーム、ラモン・サンチェス・ピスファンで行なわれたそのセカンドレグだった。

 通算スコア2−2で迎えたその後半10分。決勝ゴールを叩き込んだのは移籍してきたばかりの本田だった。その左足から放たれた直接FKはブレ球となり、GKを強襲しながら、セビージャゴールを揺るがした。

 CL決勝トーナメント1回戦で、世界をあっと言わせるプレーを見せた本田は、その時、岡田ジャパンでは完全なサブだった。しかし世界的見地に立った時、それが許されない判断であることに岡田監督は気づいたはずだ。セルティックからエスパニョールを経由して日本に戻っていた中村とは、勢いが違っていることを認めざるを得なかった。

 岡田監督の前には、わかりやすい答えが提示されていた。運に恵まれていたと言うべきかもしれない。しかし、後に当時のある日本代表選手に話を聞けば、こう語っている。「カメルーン戦の前、チームは崩壊寸前だった」と。

「あの試合に勝ったからいいようなものの、負けていたら3連敗は固かった」

 どちらに転んでいてもおかしくない、支持率16%からの大逆転劇は、まさに紙一重の戦いだった。2010年に入ってからW杯本大会にかけての約6カ月には、サッカーの魅力がこれでもかというほど凝縮されていた。あの時よ、もう一度、である。

(つづく)

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