玉田圭司が影響を受けたストイチコフ、フォルランら。ミスしても「もっといいパスを出せよ、みたいな図太さがあった」

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2022年01月19日 11:31  webスポルティーバ

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玉田圭司 引退インタビュー 前編

日本サッカー界から、またひとり名手がピッチを去った。2006年ドイツW杯、10年南アフリカW杯のメンバーで、レフティーのアタッカーとして唯一無二のプレーを見せてきた玉田圭司が、2021シーズンを最後に現役引退。引退にあたって、これまでの現役生活を振り返ってもらった。

◆ ◆ ◆




【一生もののゴール】

「(現役を退いた)実感は湧いていないですね」

 V・ファーレン長崎での引退会見から日にちが経ち、千葉の自宅に戻ってきた玉田圭司は、その会見でも話したことを口にした。

「現役時代もシーズンが終わると休みに入りますよね。今はその頃と日常が変わっていないですから」

 画面越しに彼の姿を見ると、まだまだプロを続けられたようにも思える。だが、今季は出場機会が激減し、それが「選手として一番辛かった」と言う。もとより「限界までやりたいとは」考えていなかった41歳のレフティーは、周囲の惜しむ声を聞きながら、23年間の現役生活に終止符を打った。

 その長いキャリアにおいて、ファンの印象にもっとも残っているシーンと言えば、2006年のドイツW杯でブラジルを相手に奪った先制点だろう。三都主アレサンドロのスルーパスに抜け出し、名手ジーダの守るゴールのニアサイドを撃ち破った衝撃的な一発だ。世界中のフットボールファンが見たはずのゴールは、玉田にとっても「一生もの」。しかしその瞬間は、鮮明には覚えていないと言う。

「考えて、というより、自然に体が動いたんです。アレックス(三都主)とはもともと仲がよくて、彼のボールの持ち方で次のプレーがわかったこともありました。シュートは瞬間的にニア上を狙ったんだと思いますけど、今となってはちょっとわからないですね」

【たくさんのワールドクラスに影響を受けた】

 そのブラジル戦のゴールのほか、本人は名古屋グランパス時代の2010年11月の湘南ベルマーレ戦で奪った得点も印象深いと振り返る。珍しく頭で決めたゴールは、名古屋にここまで唯一のJ1優勝をもたらした決勝点だ。試合後、リーグ制覇が決まったことを知ると、当時30歳のアタッカーは感涙に濡れた。自身にとっても唯一のJ1タイトルを手にしたこの頃が、キャリアでもっとも充実していたと言う。

「(プロデビューした)柏レイソルの時と違って、チームを勝たせるためにどうするかを考え始めた頃でした。そして小さな頃に憧れていたピクシー(ドラガン・ストイコビッチ)が、監督として自分の目の前に立つようになり、クラブは最盛期を迎えていく。あの時の名古屋には、ジョシュア・ケネディ、藤本淳吾、田中隼磨、アレックスら、自分と呼吸の合う選手も多かったし、互いに尊重しながらプレーできていたと思います」

 ちょうどその頃、世界のフットボールシーンには、本当の意味で革新的な指導者とチームが現れた──ジョゼップ・グアルディオラ監督と彼に率いられたバルセロナだ。この競技の風景を変えた彼らには、玉田も特大の衝撃を受けたと言う。

「僕が言うのもおこがましいですけど、自分が理想と考えているスタイルを具現化してくれたのが、グアルディオラのバルサでした。あれは僕のなかで究極。自分のサッカー観も変わりましたね」

 それもあってスペインをはじめ、海外への憧れも抱いていたが、国外のクラブでプレーすることは最後まで叶わなかった。それでも自らのキャリアに「後悔はない」し、Jリーグでも真のワールドクラスと触れ合う機会はあった。

 柏では洪明甫やフリスト・ストイチコフ、セレッソ大阪ではディエゴ・フォルランと親しくしていたという。なかでも、玉田に強烈な印象を残したのは、1994年のアメリカW杯でブルガリアをベスト4に導いたストイチコフだ。"ドリームチーム"と呼ばれたバルセロナでは、グアルディオラとも共演した左利きのアタッカーは、若き日の玉田にこのスポーツの本質を教えてくれた。

「テクニックや器用さだけで言えば、日本人選手のほうが優れていたかもしれません。でも、それに勝るものが本当に多くて。日本だとうまい選手がよしとされますが、そうじゃないんだなと。

 また、いくらミスをしても、まったく動じないんです。それどころか、こっちがいいパスを出して彼がミスをしても、『なんだ、そのパスは? もっといいパスを出せよ』みたいな感じで(笑)。日本人だと『ごめん』となるので、真逆ですよね。世界の第一線に立つには、それぐらいの図太さが必要なんだろうなと思いました。

 あと、試合中にまったく見ていないはずなのに、ものすごいサイドチェンジを通したりとか。プレーもパーソナリティーも、彼は本当にすごかった。自分がまだプロになりたての頃だったので、なかなか一緒に試合に出られなかったんですけど、もっと成長してから一緒にやれていたら、より学ぶものがあったのかなと思います」

【サッカーはやればやるほど奥深い】

 そんな玉田も円熟期に入って加入した長崎では、逆に自分が若手にアドバイスを送る立場になった。自身4つ目のクラブには、「自分の年齢の半分くらいの選手たちから、いろいろと質問された」と言う。

「それまでは言葉で伝えることをあまりしてこなかったんだけど、長崎では、どう話せば伝わるのかをよく考えるようになりました。人によっても違うし、顔を見れば、伝わっているかどうかもわかる。理解できていないようだったら、次は言い方を変えてみたり。難しかったし、悩んだこともあったけど、すごく新鮮で楽しかったですね」

 キレのあるドリブラーが、ペップのバルセロナを見てチーム全体の構造を考えるようになり、最後は若手への伝え方を熟考するようになっていった。

「サッカーって、やればやるほど、歳をとればとるほど、奥深いものだなと感じるようになったんです。立ち位置とか、連携とか、力の抜き方とか、チャンスの始まりとか......。いや、本当に面白いなと」

 そう語る玉田は、自ずと指導者の道にも興味を持つようになっていった。
(「印象に残っている指導者たち」後編へつづく>>)

玉田圭司
たまだ・けいじ/1980年4月11日生まれ。千葉県浦安市出身。市立習志野高から99年に柏レイソルに入団。06年からは名古屋グランパスでプレーし、チームのリーグ初優勝に貢献。その後15年からセレッソ大阪、17年から名古屋、19年からV・ファーレン長崎でプレーし、2021年シーズンを最後に引退した。J1通算366試合出場99得点。J2通算164試合出場34得点。日本代表はAマッチ72試合出場16得点。06年ドイツW杯、10年南アフリカW杯メンバー。

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