「無能な自分に価値はない」アルビノの私を縛る呪い解いてくれた漫画 優秀さでも成長でもない生きる意味

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2022年01月21日 07:00  ウィズニュース

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写真仕事で他人よりも優れた成果を出さなければならない……。アルビノ当事者の雁屋優さんは、そんな思いにとらわれてきました。ある漫画との出会いが、頑なな心をほぐしたといいます(画像はイメージ)=Getty Images
仕事で他人よりも優れた成果を出さなければならない……。アルビノ当事者の雁屋優さんは、そんな思いにとらわれてきました。ある漫画との出会いが、頑なな心をほぐしたといいます(画像はイメージ)=Getty Images

ライターの雁屋優さん(26)は、髪や肌の色が薄く生まれる遺伝子疾患・アルビノです。弱視や、日焼けに弱い肌、目立つ外見などハンディキャップを抱えて生きてきました。そんな境遇だからこそ仕事での成功を追い求める中で、いつしか、他者からの評価に依存していると気付いたといいます。「無能な私に価値はない」。心を縛る、思考の鎖をほどいてくれたのは、「成長」を取り上げた一本の漫画でした。自分を大切にするために、何を意識すれば良いのか。漫画との出会いから得た気付きについて、つづってもらいました。

【漫画】「赤ちゃんに負けないよう成長したい」意識高い夫に妻は…『夫は成長教に入信している』第一話

私を支配する「他者より秀でたい」という願い
「無能な自分には価値がない」。物心ついた頃から抱いている思いだ。どうしてそう考えるようになったか、きっかけは記憶にない。気付けば、当然のように、世界をそう見ていた。

私が無条件に愛されることはない。そう考えて、学生時代は努めて「優等生」であろうとした。周囲の生徒とトラブルを起こさず、品行方正さを保つ。定期試験で高得点を収める。分かりやすい優秀さを周囲に示すことで、大人からの評価を保っていた。

ライターを職業に選んだ今も、基本的な姿勢は変わらない。私が注力する仕事の一つは、アルビノをはじめとした、適切な理解を得られていない疾患について、一般の人々に伝えることだ。記事を書く上で、疾患の知識に対する理解力や、情報を正確に伝えるための文章力が求められる。

誰もが簡単に切り込めるテーマではないからこそ、プライドを賭けているところはある。その態度は、アイデンティティーを守るため、常に他者より秀でていたいと考える、自らのありようを映し出しているとも思う。

アルビノは、髪や目、肌の色が薄く生まれることに加え、弱視を伴うことがある。私も、弱視の視覚障害者だ。周囲の大人の態度や、できないことの多さから、「アルビノゆえに弱視であることは生きていくのに不利だ」と強く思った。

その分、できることにおいては、人よりずっと秀でていなければならない。そうでなければ、私に明るい未来はないだろう、と考えている。

「評価」にとらわれる主人公に強く共感
最近、心に波紋を起こす漫画と出会った。『夫は成長教に入信している』(講談社)。仕事を通じた自己実現に執着する会社員・コウキと、妻・ツカサの関係性を描いた物語である。

コウキは「仕事の鬼」だ。昼夜を問わず、社内外の仲間と会い、ビジネスコンテストに向けたアイデアなどについて話し合う。働く意欲を高めようと、後先考えず、高級なスーツや腕時計を買い込むこともある。出産を控えたツカサは、そんな夫を心配し、ブラックな労働環境から引き離そうと知恵を絞る。

コウキの振る舞いは一見すると、いわゆる「意識高い系」のようにも思える。しかし漫画を最後まで読み、彼の境遇が、私自身に重なると気付いてしまった。とりわけ「成長しなければならない」という思い込みや、他者からの評価にとらわれている点だ。

「自分の生きている世界と生きていない世界がまったく同じだったら、自分の生きている意味ってなんなんだろうって思っちゃうんだよ!」(『夫は成長教に入信している』80ページ)

過労で倒れた後、コウキはツカサに本音を打ち明ける。彼の焦燥を非常にわかりやすく伝える一言だ。実は私にも、同じことを思った経験がある。コウキの叫びに共鳴し、物語にぐっとひきこまれた瞬間だった。

有能さを証明し続けなきゃ、私に価値はない――。強迫的とも言える思い込みに、がんじがらめになってしまっている。そんな状況の重大さに思い至る、きっかけにもなった。

仕事に打ち込み、趣味を忘れてしまった日々
私自身、コウキと同じく、仕事について四六時中考えることをやめられない。個人事業主なので、公私とも自宅で過ごしている。休日も仕事に関わる勉強や読書ばかりして、好きなアニメの視聴や一人旅などの趣味に、数ヶ月触れずにいた時期もあった。

これでは視野が狭まってしまう。明らかによくないと自覚していたが、暮らしぶりを変えられなかった。自分の成長が止まってしまうことに、恐れを抱いていたからだ。

私にとって、仕事を通じた成長は、ゲームのレベル上げに近い。レベルが上がることによって、使えるスキルや武器が増える。依頼される業務の幅が広がるたびに、手ごたえを感じられる。

例えば、初めてのジャンルの原稿を執筆したときのことだ。初めてのことばかりで戸惑い、いつもより入念に表現を選び、事実を何度も確認した。難しかったけれど、その経験から、今までよりもっと深く文章に向き合えるようになった実感があった。

努力や実績を着実に積み上げ、より難易度の高い仕事をやり遂げるたび、景色は明確に変わるのだ。その快感に、とりつかれてきた。

反面で、成長できなくなることへの拒否感は強い。自分の能力を示したり、それを認めてもらったりする機会を失えば、きっと生きがいが感じられなくなるだろう。極端だが、「私は生きるに値しない」と考えるほど、思い詰めてしまうかもしれない。

成長への欲求が生み出す「重い副作用」
新型コロナウイルスの感染拡大で、こうした思考に拍車がかかった。身近な人々と接触する機会や、友人やライター仲間との食事は減った。趣味の一つである一人旅も、以前ほど気軽にはできなくなった。

ぽっかりと空いた穴に、元々好んでいた仕事が入り、私の中で大きなウェイトを占めるようになったのだろう。そこで現状について、『夫は成長教に入信している』を読んだ後、改めて考えてみた。

日々成長し、周囲から「優れている」とみなされれば、人生は豊かになる。楽しく生きられるし、私自身の価値も高まる。「この世界にいてもいい」という実感を得るために、最適な方法だと思ってきた。

しかし実際には、重い「副作用」もある。第三者の眼差しを内面化し過ぎると、自らを大切にできなくなってしまう。存在意義を、他人からの評価に委ねることに他ならないからだ。結果的に、心がすり減る事態は避けられない。

私は、自分のアイデンティティーや生活を守りたいと思うあまり、自分を消耗させてしまっていたのである。

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