歌手ミートローフが74歳で死去

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2022年01月22日 02:01  Techinsight Japan

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写真家族に見守られながら息を引き取ったミートローフ
家族に見守られながら息を引き取ったミートローフ
ヒット曲『愛に全てを捧ぐ(I’d Do Anything for Love)』などで知られる米ロック歌手ミートローフが、現地時間20日に死去したことを家族が発表した。74歳だった。死因については明らかにされていなかったが、翌日に米メディア『TMZ』が新型コロナウイルスに感染し急激に症状が悪化したと伝えている。

現地時間20日、ミートローフの公式Facebookで家族が声明を発表し「私達は比類なきミートローフが今夜、妻デボラに看取られながら亡くなったことをお知らせすることに大変心を痛めています。娘のパールとアマンダ、そして親しい友人達がこの24時間ずっとそばで彼を見守ってくれました」と悲しみを伝え、このように綴った。

「私達は、彼が多くの人々にとってどれほど大切な存在であったかを知っています。刺激的なアーティストかつ美しい人物を失ったという悲しみを乗り越えている時、皆様からの愛とサポートを心より感謝します。現在は家族のプライベートを守ることを理解して頂きたいと思います。」

そして最後に「彼のハートから皆さんの魂へ。ロックを止めるな!」とのメッセージを加えた。

家族は死因を明らかにしていないが、翌21日に米メディア『TMZ』はミートローフが新型コロナウイルスに感染していたと報じた。同メディアの情報筋によると、ミートローフは今週初めにTV番組『I’d Do Anything for Love』のミーティングに出席する予定だったが、症状が急激に悪化したためキャンセルしたという。

ミートローフは1947年9月、米テキサス州ダラスで本名マーヴィン・リー・アーディー(Marvin Lee Aday)という名のもとに生まれた。教師の母親と警察官の父親のひとり息子で、両親はのちに咳止め薬を販売する事業を始めた。

ミートローフという呼び名の由来について、本人が2016年にオプラ・ウィンフリーのインタビューに応じた際「俺は生まれた時、真っ赤だった。それを見た親父は、4300グラムの牛肩ひき肉みたいだと思って俺をミートと呼んだんだ」と明かした。

そして13歳の時に誤ってスポーツコーチの足を踏んでしまった際、「どいてくれ! このミートローフ」と言われてからこのニックネームが定着したそうだ。

1960年代後半に最初のバンド「ミートローフ・ソウル」を結成。ヴァン・モリソンが在籍したバンド「ゼム」のコンサートで前座を務め、ステージデビューした。

1977年にジム・スタインマンが作詞・作曲を担当したデビューアルバム『地獄のロック・ライダー(原題:Bat Out of Hell)』をリリース。大ヒットし、米国史上最も売れたアルバムトップ35の中にランクインした。

1993年のヒット曲『愛に全てを捧ぐ(I’d Do Anything for Love)』では、グラミー賞を受賞している。

長いキャリア中には俳優としても活躍し、映画『ロッキー・ホラー・ショー』(1975年)など多くの作品に出演した。

長年にわたり病気や怪我と闘っており、ステージでは何度も倒れたことがある。1978年にはオタワで公演中にステージから飛び降りて足を骨折し、残りのツアーを車椅子で行った。

2011年にはピッツバーグで公演した際にステージで失神し、2016年のカナダ公演ではステージで突然倒れていた。その3年後にはテキサスで開催したインタビューの舞台から落下し、鎖骨を骨折している。

プライベートでは最初の妻レスリーさんの連れ子パールさんと、第1子アマンダさんの2人娘がいる。2001年にレスリーさんと離婚、2007年にデボラさんと再婚していた。
(TechinsightJapan編集部 寺前郁美)

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  • 記事中にチラッと出てくるパールさんとは、ご息女でロックシンガーのパール・アデイ。ご主人でアンスラックスのギタリストでもあるスコット・イアンと組んで、良い仕事をされています。
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