性の倫理観がぶっ飛んだ「ありえない世界」に引き込まれる! 平成生まれ初の芥川賞作家・遠野遥の新作小説

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2022年01月27日 20:11  ダ・ヴィンチWeb

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写真『教育』(遠野遥/河出書房新社)
『教育』(遠野遥/河出書房新社)

 2019年に第56回文藝賞受賞の『改良』(河出書房新社)でデビュー、翌年に第163回芥川賞受賞の『破局』(河出書房新社)と、立て続けに作品を発表する1991年(平成3年)生まれの小説家・遠野遥氏。新作の『教育』(河出書房新社)は、著者初の長編作品です。前2作までは、明るくも乾いた独特の虚無的な文体に定評がありました。

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 本作では、「ありえない世界」にトリップしたかのような雰囲気が最初の数ページでたちこめていて、序盤からアクセル全開です。それもそのはず、舞台は「一日三回以上オーガズムに達すると成績が上がる」という、現代社会の基準で考えるならばデタラメな信念を軸にする寮制学校です。

 生徒たちは成績に応じて部屋がランクアップするという設定で、主人公の男子生徒は誠実に一人部屋ランクを目指しています。学校での生徒たちの行動は、モニターを通して先生によって管理されており、学習する内容のひとつは、モニターに表示されるカードの裏面の絵を当てるという超能力じみた技能です。

 学校生活における性行為へのハードルは極めて低く(でも多少の人間関係のいざこざや照れなどはある)、生徒たちは学校指定の避妊具を持ち、セックス・パートナーを模索しながら、「成果」を上げるために自分の体をコントロールし、性行為の鍛錬に努めます。

 このように、あちこちネジが抜けた調子で物語が展開されていくのですが、主人公はいたってマジメです。たとえば、先生と主人公がオーガズムについて話し合うシーンでは、このような真摯な問答がなされます。

「朝、昼、晩と時間帯を分けて達するのかね。それとも一気呵成(いっきかせい)に三回達するのかね」
「なるべく時間帯を分けて達するようにしています。薬を服用するときは朝、昼、晩と時間帯を分けたほうが効きます。それと同じように考えました。無論、二回ならまだしも、三回立て続けにオーガズムに達するのは難しいという、私の能力的な理由もあります」

 不条理モノや近未来モノが苦手だという方は、こうした設定に身構えてしまうかもしれません。しかし実は、本作は完全に浮世離れしたものではなく、現在進行形かつ私たちにとって切実な問題であるコロナ禍の時流を組み込んでいるので、どこかしっくり来るところがあるはずです。

 筆者は本書の世界観が、倫理規範が変わっていった先の近未来であるというよりは、今のコロナ禍のパラレルワールドのような印象を受けました。つまり、「もし人類の倫理規範が歴史上のどこかで違う方向に向かっていて、今回のパンデミックを同じように迎えたら、このようなことが起きることもありえたのではないか?」と思ったということです。

「ありえない」設定の中に、読者それぞれにとって自分事として響いてくる箇所が見つかるように、本書は巧妙に構成されています。たとえば、主人公がトイレに行くシーンで、ハンドソープに関するこんな一節から、どういう印象を受けるでしょうか。

ハンドソープの規格が統一されていたほうが管理も楽なはずだ。とはいえいきなり切り出すと面倒な生徒だと思われる恐れがある。たとえば外で流行っているらしい感染症の話題が出たタイミングなどを見計らいふと思いついたように進言するのが適当か──。

 おそらく、そこかしこの店頭に設置されている、多種多様な消毒液・検温機器・入退店ルール掲示について連想された方が多いのではないでしょうか。何が正解なのかわからない、世の中の大半の人々が戸惑いを抱えるコロナ以降の世界が、この「ありえない世界」にも姿を変えて存在しているのです。

 冒頭に本書の世界観を「ありえない世界」と書きましたが、段々と読者は、あながち「ありえない」とは言い切れないような心地になり、この世界観に引き込まれていくことでしょう。文学が好きで、カズオ・イシグロの近年の著作、『私を離さないで』『忘れられた巨人』『クララとおひさま』(すべて早川書房)などが好みの方には特にオススメです。

文=神保慶政

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