野茂や桑田も這い上がってきた険しい道。マイナー契約からメジャーデビューを掴み取った14人の男たち

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2022年01月28日 11:21  webスポルティーバ

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 独立リーグ所属の松田康甫(こうすけ)投手がMLBのロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ。金沢高時代は県大会ベスト8で甲子園出場は叶わず、拓殖大を経て2021年から茨城アストロプラネッツに入団したものの、登板はわずか3試合のみ。それでも150キロ超のストレートを投げ込むポテンシャルを買われての契約となった。

 そこで今回は、マイナーリーグが『ハンバーガーリーグ』と表現されたタフで過酷だった時代、厳しい競争を勝ち抜いてマイナー契約からMLBへ這い上がった14人の日本人選手を振り返ってみよう。




 日本人メジャーリーガーの第1号は村上雅則(サンフランシスコ・ジャイアンツ)だが、そこから31年後に登場した"パイオニア"もスタート地点はマイナー契約だった。野茂英雄は1994年オフに近鉄との契約交渉が難航して任意引退すると、翌年2月13日にドジャースと契約金200万ドル(当時のレートで約1億7000万円)、年俸980万円のマイナー契約を結んだ。

 1カ月遅れで開幕した1995年シーズン、野茂は5月2日のジャイアンツ戦でMLBデビュー。そこから奪三振の山を築いて"トルネード旋風"を巻き起こし、オールスターゲームにも先発する。前年の長期ストライキの影響で観客離れの著しかったMLBの窮地を救い、それまでMLBでは通用しないとされた日本人選手の評価を大きく高めた。

 日米に"NOMOマニア"が増殖した1995年は、マック鈴木もマイナー契約からMLBに這い上がっている。高校野球からドロップアウトしたマック鈴木は17歳だった1992年にアメリカに活路を求め、1994年にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結んだ。

 1995年に初めてMLB昇格した時は登板機会のないまま3A降格となったが、翌年7月7日には念願のMLBデビューを果たす。その後はカンザスシティ・ロイヤルズやミルウォーキー・ブルワーズなどを経て、日本球界でのプレーを希望したことを受けて2002年ドラフト2巡目でオリックスから指名され、2005年までNPBでも現役を続けた。

【這い上がってMLB在籍10年】

 マイナー契約そのものは、野茂登場以前の日本人選手にとっても珍しいことではなかった。1990年代半ばまで盛んに行なわれた野球留学では、NPBの選手たちはマイナー契約を結んでマイナーリーグで腕を磨いていたからだ。そこから実際にMLBへの扉が開いたのが、南海からSFジャイアンツの一員になった村上雅則であり、1997年にニューヨーク・メッツで35試合に登板した柏田貴史であった。

 1989年ドラフト外で巨人に入団した柏田は、7年間でわずか1勝という成績だった。だが、1997年にメッツのスプリングキャンプに野球留学したことで道が開ける。前年まで千葉ロッテを率いていたメッツのボビー・バレンタイン監督が左の中継ぎ不足から柏田の獲得を熱望。戦力の充実していた巨人も柏田を自由契約にして送り出したことで、マイナー契約でのMLB挑戦が実現した。

 野茂の成功により、NPBの第一線で活躍する多くの選手たちが次々と続いた。しかし、そのほとんどがメジャー契約の好条件での挑戦だ。そのなかで、現在はDeNAでコーチを務める大家友和はマイナー契約でマイナーリーグから這い上がった。

 京都成章高校から1993年ドラフト3位で横浜に入団し、高卒1年目ながら15試合に登板するなど、大家は早くから将来を嘱望されていた。しかし、メジャーへの夢はあきらめず1998年オフにMLB挑戦を球団から認められて、ボストン・レッドソックスとマイナー契約を交わした。

 1年目は4月に2A、6月に3Aとステップアップし、7月にMLB昇格を果たして7月19日のフロリダ(現マイアミ)・マーリンズ戦に先発してメジャーデビュー。そこから2009年までMLBとマイナー契約を繰り返しながら、野茂に続く日本人選手ふたり目のMLB在籍10年選手となった。

 NPBで長く第一線で活躍し、全盛期を過ぎてからMLBに挑戦した選手たちも、最初はマイナー契約だった。斎藤隆は2006年に36歳でドジャース、桑田真澄は2007年に39歳でピッツバーグ・パイレーツ、2010年には40歳の高橋健と35歳の高橋尚成がともにメッツで、マイナー契約からMLBデビューを掴んでいる。

【歴代3位40歳でMLBデビュー】

 彼らに共通するのは、少ないチャンスを確実にモノにしたこと。スプリングトレーニングにマイナー契約で参加しても、ほかのメジャー契約の選手との兼ね合いでMLBの開幕ロースター入りが難しいケースは少なくない。それでもクサらずにマイナーリーグで実直に汗を流したからこそ、巡ってきたチャンスでしっかり結果を残せたのだろう。

 斎藤は開幕直後の主力クローザーの故障で3AからMLBに昇格すると、そこから好投を続けて1カ月後に正クローザーの座を掴み取る。2年目にはオールスターに出場するなど、7年間のMLB生活で338試合に登板した。

 桑田はスプリングトレーニング中に右足首じん帯断裂のケガを負い、年齢を考えれば解雇されても不思議ではないなか、実直に練習に励む姿勢が買われて故障者リスト入り。ケガから復帰した6月に3Aでの登板を経て、ヤンキースタジアムでMLB初登板を果たした。

 高橋健は最初に契約したトロント・ブルージェイズを開幕目前で解雇されたが、次に契約したメッツではマイナーリーグで好投を続けたことでMLB昇格。第二次世界大戦後で歴代3番目の高齢記録となる40歳でのMLBデビューとなった。

 野手では、今季から中日の打撃コーチとなった中村紀洋は、2005年にマイナー契約でドジャースに入団した。開幕当初は3Aだったが、故障者との入れ替えでMLB昇格。17試合39打数5安打0本塁打で再びマイナー降格となり、シーズン終了まで3Aでプレーした。

 川宗則は「憧れのイチローさんと一緒にプレーしたい」の夢を実現すべく、2012年にFA宣言してマリナーズとマイナー契約。スプリングトレーニングで最高打率をマークしたことで、開幕MLBスタートを手にした。シーズン途中にイチローがニューヨーク・ヤンキースにトレードとなった翌年からはブルージェイズ、2016年からはシカゴ・カブスとマイナー契約を結んでMLBでプレーした。

【戦力外からアメリカンドリーム】

 田中賢介は2013年からマイナー契約でジャイアンツ傘下のマイナーリーグでプレーし、同年7月にMLBに昇格して15試合に出場した。翌年は元チームメイトのダルビッシュ有のいるテキサス・レンジャーズとマイナー契約したものの、MLBに昇格することなく3Aでシーズンを終了。2015年から日本ハムに復帰した。

 毎年オフになると、NPBを戦力外となった選手がマイナー契約からMLBの舞台を目指し、海を渡るチャレンジが多く見られる。だが、これまでアメリカンドリームを体現したのは、ひとりしかいない。それは、昨季かぎりで日本ハムを退団した村田透だ。

 村田は2007年ドラフト1位で巨人に入団するも、一軍登板のないまま在籍3年で戦力外通告。2011年にクリーブランド・インディアンズとマイナー契約を結んだものの、そこから4年間はマイナーリーグ暮らしが続いた。だが、2015年6月にメジャー40人枠に空きが生まれたことで初昇格を果たす。

 MLBデビューは6月28日のボルチモア・オリオールズ戦。初登板で初先発して、3イニング3分の1を投げて5失点。村田は2016年までマイナー契約でMLBに挑んだが、これが最初で最後のMLBでの記録になった。ただ、2015シーズンに3Aで15勝4敗、防御率2.90の成績を残したことが評価され、2017年からは日本ハムで巨人時代に実現できなかったNPB一軍登板も果たした。

  マック鈴木によって前例がつくられて以降、NPBを経由せずにアマ球界からMLBに挑む選手も数多く現れたが、ほとんどがマイナー契約のまま夢を叶えられずに終わっている。社会人在籍時にアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結んだ吉川峻平は、2019年からダイヤモンドバックス傘下でMLB昇格に向けて汗を流しているものの、まだ実現には至っていない。

 そのなかでNPBを飛び越えてメジャーリーガーになったのは、NPBドラフトの上位候補になっていたアマ球界エリートの多田野数人と田澤純一のみ。ただし、田澤は2008年12月にアマ選手として初めてメジャー契約(3年総額約3億8000万円)でレッドソックスに入団しているため、マイナー契約からMLBに這い上がった選手となると、多田野数人だけになる。

【15人目の日本人誕生なるか】

 多田野は立教大卒業後の2003年からマイナー契約でインディアンズ傘下の1Aや2Aでプレー。2年目の2004年4月に日本人21人目となるMLB昇格を果たし、そこから14試合(先発4)登板して2005年も1試合に登板した。

 2007年まで再度MLBを目指してマイナーリーグでプレーしたが、2007年ドラフトで日本ハムからの1巡目指名を受けて入団。7年間プレーして80試合(53先発)、18勝20敗2ホールド、防御率4.43の記録を残しつつ、超スローボールの"多田野ボール"など記憶にも残る活躍をした。

 マイナーリーグは選手の待遇改善や移動の負担軽減を目的に、2021年から3A、2Aなど各階層の構成を変更した。球団数をそれまでの約160から120に減らすなど、さまざまな改革に取り組みながら選手育成を進めている。

"質より量"の時代から"量より質"へと、育成方針も変わりつつある。しかし、それでもマイナー契約からMLBへ這い上がるのは容易なことではない。その険しい道の先に、松田投手の目指す夢の舞台が待っている。マイナー契約から夢を叶えた15人目の日本人メジャーリーガーとなれるか。

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  • 日本人のくせにマイナー拒否とか言う連中も居てそう��������
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