小平奈緒、平昌五輪金メダルの裏にあった男子との練習。「男子のスピードで滑るのが当たり前に感じる錯覚」で強くなった

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2022年01月29日 18:41  webスポルティーバ

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<冬季五輪名シーン>第9回
2018年平昌五輪 スピードスケート女子・小平奈緒

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いよいよ2月4日からスタートする北京五輪。開幕を前に、過去の冬季五輪で躍動した日本代表の姿を振り返ろう。あの名シーンをもう一度、プレイバック!

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【大舞台で新記録】

 2014年ソチ五輪500mで5位だった小平奈緒は、2年間のオランダ留学に踏み切って自身の進化に挑んだ。そうした努力と積み重ねの成果が金メダル獲得となって大きく花開いたのは、2018年2月18日の平昌五輪女子500mだった。

 2位の李相花(韓国)に0秒39の大差をつけて出したその記録は、低地リンクで女子初の36秒台となる36秒94。表彰台で涙を見せた小平は記者の前に来ると「すごく冷静な自分が今ここにいるんですけど」とほほ笑み、自身の記録について「五輪という舞台で出せたことが本当にうれしいです」と続けた。

 公言はしていなかったが、2005年から指導を受ける結城匡啓コーチといつも話していた記録だった。レース直後に36秒台の数字を目にした時、小平の脳裏を巡ったのは「あっ、現実になったんだ」との思いだったという。

 小平の滑りのなかに、「低地の36秒台」の数字が見えるようになったのは、平昌五輪の前シーズンだった。気圧が低く空気抵抗も小さくなる標高1000m以上のリンクでは当時、李の36秒36の世界記録を筆頭に5選手が出していた36秒台。だが、低地リンクでの世界最高記録は、2015年にアメリカのミルウォーキー(標高220m)でヘザー・リチャードソン(アメリカ)が出した37秒24だった。

 小平は2017年2月に標高41mの韓国・江陵オーバルで開かれた世界距離別選手権でリチャードソンの記録を上回り、高地で出した自身の日本記録より0秒16も速い37秒13をマークした。その時、本人は「オランダの選手から(記録について)伝えられました」とうれしそうに話していた。

 さらに、そのあとの世界スプリント選手権カルガリー大会で36秒75と36秒80を出し、6人目の36秒台ホルダーになると、1000m2本との短距離総合の世界記録も樹立した。

 小平の口から低地リンクの36秒台という数字を聞いたのは、そのシーズン終了後だった。「(2017年)1月に新しくしたブレードも、ノルウェーのW杯最終戦ではわりとハマッてきていた。その時は37秒14だったけど、あと2、3レースしたら、もしかして低地のリンクでも36秒台が出せるのかなという期待が生まれたんです」と笑顔で語っていた。

【男子選手との練習を直訴】

 そのあと、平昌五輪シーズンへ向けて準備はすぐに始められた。オランダから帰国して「自分に必要」と直訴して始めた男子選手との氷上練習の精度も前年より上げた。体格の大きな男子選手のうしろについて同じストロークで滑るために、筋力や体脂肪などの体組成をより男子選手に近づけるだけではなく、独自のストレッチも考えて体全体を効率よく使って大きな滑りをできるように努めた。

「今までは女子のなかで速い選手になりたいという考えだったが、男子と練習しているとスピードやタイムの基準が男子の考え方にリセットされて、そのスピードで滑るのが当たり前のように感じる錯覚も出てきている。実際は女子で戦うのでそのなかの順位も大切だけど、結城先生は『今の男子の滑りが10年後の女子の滑りになる』とよく言う。その点ではスケートを磨くというか、スポーツとして高める意識がすごく強くなっています」

 こう語った小平は、「男子に引っ張ってもらうだけではなく、たまには引っ張って練習に貢献できるようにもなった」とも話していた。そうした準備は、平昌五輪シーズンのW杯第2戦スタバンゲル大会(標高48m)で形になった。37秒08、37秒07と立て続けに低地の世界最高を塗り替えたのだ。そして、平昌入りしてからも2月7日のタイムトライアルではアウトレーンスタートで37秒05を出し、36秒台は目前だった。

 23歳で初出場した2010年バンクーバー大会以来の五輪での挑戦となる1500mから始まった小平の平昌大会の戦い。その2日後の1000mは前年12月のW杯ソルトレークシティ大会で世界記録を出していた種目だが、警戒していたヨリン・テルモルス(オランダ)に0秒26およばず2位にとどまった。

「1000mに関して世界記録は出していたけれど、本当に私は強いんだろうかと、ちょっと信じられない部分があったのでそれが出てしまった」

 小平はそう振り返った。銀メダルは獲ったが、自分らしくない滑りだったと小平と結城ともに感じていた。1500mを滑ったことで、滑りに若干のタイミングのズレが生じていた、と。そのため500mの前日練習では、男子500mと1000m出場の山中大地と一緒のスターダッシュで50mほど食らいついてタイミングを取り戻し、動きと気持ちを研ぎ澄ませていった。そして、本番は好天で気圧も少し高く記録が出にくい状況だったが、100mを10秒26で通過すると、そのあとの400mも最速の26秒86で滑りきって残り2組の結果を待った。

【順位ではなく、自分自身と戦う】

 36秒台を本番であっさりと実現した小平は、記者からの「記録を見て勝てると思ったか」との質問に少し唖然とした表情を見せ、「これで金メダルじゃなかったらしょうがないなと思いました。だからそのあとは競技者としてではなく、友人として李相花のレースを見ていました」と笑みを浮かべた。

 タイムトライアル後は、「本当に戦うべきは順位ではなく、タイムや自分自身だなと考えていた」と話した。そして、結城コーチも「小平は36秒台という数字が見たいというだけの気持ちになっていた。それで負けたら、誰に何と言われようとしょうがないというような達観した気持ちで。だから試合へ向けては期待されるプレッシャーというより、むしろ集中力を高めていました」と語った。

 小平の次の組だった李は、100mを10秒20で通過したが、ゴールタイムは37秒33だった。全レースが終わったあと、地元開催の五輪での3連覇を逃した李は、涙を流しながら国旗を掲げてリンクを滑った。滑り寄った小平は李の肩を抱いて言葉を交わした。尊敬するライバルであり、プライベートでは互いの家を行き来する親友だ。小平は「たくさんのプレッシャーのなかでよく戦った。今もあなたを尊敬している」と言い、李は「私もあなたを誇りに思う」と応えた。

 平昌五輪の前、小平は31歳で迎える五輪を「駆け抜けたい」と話していた。五輪は自分にとって終着点ではない、と。2006年トリノ五輪で1500mの金メダルを含めて5個のメダルを獲得したシンディ・クラッセン(カナダ)は、その直後の世界選手権やシーズン最後のレースで、3000mと1000mの世界記録を連発していた。グラッセンのように、次への勢いをつける五輪にしたい、と。だからこそ、大舞台で低地での36秒台という目標を果たしてもなお、小平は「まだまだ目指したいものがありますから」と話した。

 平昌五輪後のW杯は出場しなかったが、記録への挑戦は翌2019年3月にソルトレークシティで開催されたW杯ファイナルで実現した。世界歴代2位の36秒47と36秒49を出し、その翌週にはカルガリーで男子のレースに特別参加をして36秒39。だが、李が持つ世界記録の36秒36には届かなかった。

 悔しさはあっただろう。だが、その時は2016年9月からの500mの国内外連勝記録がストップした1カ月前の世界距離別選手権で、片足ではしゃがめないくらい股関節に違和感がある状態だった。

 その後、違和感を解消し2022年北京五輪に向かう小平にとって、その時のアクシデントは、氷の神様から「あなたにはまだまだスケートの神髄を追及してほしい」という希望を伝えるものだったのかもしれない。

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