ロイ・キーン氏がサンダーランドの監督に復帰? 過去の復縁監督たちの運命は

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2022年02月08日 16:58  サッカーキング

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ロイ・キーン氏の2008年以来となるサンダーランド監督就任が噂されている [写真]=Getty Images
元マンチェスター・ユナイテッドのMFロイ・キーン氏が、3部サンダーランドの監督就任に近付いているようだ。

 先月30日のボルトン戦で0−6の大敗を喫し、3位に転落したサンダーランドは、監督のリー・ジョンソン氏を解任。1日のドンカスター戦にも敗れてさらに順位を下げており、2位以内のチャンピオンシップ(イングランド2部)自動昇格圏内を目指して立て直しが急務となっている。

 7日付のイギリス紙『デイリー・メール』によれば、新監督候補は他にもいるが、2006年から2008年までサンダーランドを率いたキーン氏が優位に立っているとのこと。最初の面談は4日に行われたが、今週中に再び交渉の場が設けられる見込みだという。

 キーン氏は2006年にサンダーランドで監督キャリアをスタート。1年目でチャンピオンシップを制し、翌シーズンは15位でプレミアリーグに残留。3シーズン目の途中、降格圏内に沈んだところで辞意を表明。当時チェアマンのナイアル・クイン氏は3日かけて慰留に努めたが、説得することができなかったという。

 約13年ぶりにキーン氏とサンダーランドは“復縁”することになるのだろうか。そこで今回は、過去にイングランドで二度にわたって同じクラブの監督に就任したことがある監督たちを紹介。様々な事情で一度は離れたクラブに戻った指揮官たちは、どのような結末を迎えたのだろうか。

■ハリー・レドナップ(ポーツマス)

 禁断の“移籍”をしながら、わずか1年で「心のふるさと」に戻って来た強者はハリー・レドナップ氏だ。オーナーのミラン・マンダリッチ氏との意見の不一致が原因で、2004年11月にポーツマスを辞任したレドナップ氏。翌月に新たな職場として選んだ場所は、最大のライバルであるサウサンプトンだった。しかし27年間トップリーグで戦い続けたサウサンプトンを降格の危機から救うことができず。翌シーズンの途中でセインツに別れを告げると、すぐにポーツマスに復帰した。後にレドナップ氏は「契約にサインをするのに1分もかからなかった。金額さえ書いてなかった」と自身も熱望した復縁だったことを明かしている。

 2部リーグからスタートした第一次政権ではプレミアでトップハーフに入ることもできずに無冠に終わったが、第二次政権はプレミアで2年連続のトップ10フィニッシュを達成。サリー・ムンタリ、ジョン・ウタカ、ジャーメイン・デフォーなど大型補強を敢行した2007−08シーズンには69年ぶりのFAカップ制覇も果たした。監督としての評価を上げたレドナップ氏は、翌シーズンの途中でトッテナムから引き抜かれることに。ポーツマスとの2度目の婚姻期間は3年足らずで終止符が打たれた。

■ケヴィン・キーガン(ニューカッスル)

 “より”を戻すのに11年も要したが、たった8ヶ月で破局を迎えることになった。現役時代の晩年をニューカッスルで過ごしたケヴィン・キーガン氏は1992年2月に同クラブで監督業をスタート。まずはチームを3部降格の危機から救うと、翌シーズンには2部リーグを制覇。プレミアリーグ昇格後も勢いは衰えず、1年目で3位の大健闘。エースのアンディ・コールは得点王に輝いた。1995−96シーズンは長期間にわたって首位の座をキープし、一時は2位マンチェスター・Uに勝ち点10差をつけていたが、最終的には2位でフィニッシュ。プレミア初制覇を目指してアラン・シアラーを戦力に加えた翌シーズンは、序盤に首位に立ちながらも年末にかけて未勝利が続いて順位を落とすことに。キーガン氏は、シーズン途中の1997年1月にクラブに別れを告げることになった。

 その後はフルアム、イングランド代表、マンチェスター・Cの監督を歴任したキーガン氏。2008年1月にセント・ジェイムズ・パークに帰って来たが、当時オーナーのマイク・アシュリー氏と対立し、わずか8カ月で再び同地を去ることに。ニューカッスルのファンから“キング・ケヴ”の愛称で親しまれたキーガン氏は、それ以降、テクニカルエリアから遠ざかっている。

■ケニー・ダルグリッシュ(リヴァプール)

 リヴァプールにおける“キング・ケニー”は特別枠と言って良いだろう。1977年にセルティックからリヴァプールに加入したケニー・ダルグリッシュ氏。チャンピオンズカップで3度の優勝に貢献した元スコットランド代表FWは、1985−86シーズンからは選手兼任で監督も務めることに。いきなりトップリーグとFA杯の2冠を達成すると、1991年2月に辞任するまでに監督として3度のリーグ制覇と2度のFA杯優勝を成し遂げた。

 ブラックバーンとニューカッスルで監督を務めた後に、ロイ・ホジソン氏の後任として2011年1月にアンフィールドに復帰。2011−12シーズンはリーグ杯のタイトルを獲得したが、プレミアリーグでは8位と振るわず。シーズン終了後に解任されることになった。翌年からは役員としてクラブに携わっているダルグリッシュ氏。選手時代を含め、リヴァプールに20個もの主要タイトルをもたらした同氏の栄光がアンフィールドから消え去ることは永遠にないだろう。

■ジョゼ・モウリーニョ(チェルシー)

 ロマン・アブラモヴィッチ氏がチェルシーを買収後、初めて招聘した監督がジョゼ・モウリーニョ氏だった。2003−04シーズンにポルトでチャンピオンズリーグ(CL)制覇を果たした直後に、チェルシーの監督に就任した“スペシャル・ワン”。1年目にチェルシーを50年ぶりのトップリーグ制覇に導き、翌年はリーグ連覇を達成。3年目はリーグでは2位に終わったが、国内カップ2冠に加え、CLベスト4入りを果たした。しかしアブラモヴィッチ氏との不仲も噂されるようになった2007年9月に退任。3年間で5つのタイトルをもたらしたモウリーニョ氏は、サポーターに愛されたままクラブを去った。

 その後、インテルとレアル・マドリードでもトロフィーを増やしたモウリーニョ氏は、2013年の夏に6年ぶりにスタンフォード・ブリッジに戻って来た。今度は自らを“ハッピー・ワン”と称して。2年目の2014−15シーズンにリーグ杯とリーグ制覇を果たしたところまでは完璧だったが、3シーズン目は開幕16試合で9敗と成績が振るわず。2015年12月17日、チームのクリスマス・ランチの数時間後に解任を言い渡されている。

■ニール・ウォーノック(クリスタル・パレス)

 2014−15シーズンのプレミアリーグ開幕戦を48時間後に控えたクリスタル・パレスに激震が走った。補強の方針でクラブの首脳陣と衝突した監督のトニー・ピューリス氏が、クラブを去ることになったのだ。それから約2週間後に新監督として発表されたのは、4年前まで同クラブを率いていたニール・ウォーノック氏だった。

 2007年10月に”友人“のサイモン・ジョーダン氏が当時オーナーを務めていたクリスタル・パレスを率いることになったウォーノック氏。しかし財政難に喘いでいた同クラブは2010年1月に破産申請を行い、チャンピオンシップで勝ち点10を剥奪されることに。ウォーノック氏は同年2月28日にクラブを去り、翌日にQPRの指揮官としてスタートを切った。それから4年が過ぎて迎えた2度目の就任を「恩返しのチャンス」と意気込んだウォーノック氏だったが、18試合を戦ったところで降格圏内に転落。クリスマス直後に解任の憂き目に遭った。

■デイヴィッド・モイーズ(ウェストハム)

「オーナーが『戻って来てくれ』と言える器の人間だということを嬉しく思う。簡単なことではないからね。未完の仕事を終わらせたい」。2019年の年末、1年半前に別れを告げたばかりのウェストハムの監督に再任したデイヴィッド・モイーズ氏はそう口にした。プレミアリーグで実績十分のスコットランド人がウェストハムの監督に初めて就任したのは2017年11月のこと。契約期間は半年で、残留が至上命令だった。13位でシーズンを終えることに成功したモイーズ氏だったが、オーナーの一人であるデイヴィッド・サリヴァン氏は「異なる方向へ進むことが正しいと感じている」という理由でモイーズ氏との契約を更新せず。元マンチェスター・C監督のマヌエル・ペジェグリーニ氏を新監督として招聘。モイーズ氏は、「他の誰かが6ヶ月で大きな違いをもたらすことができたかは分からない。ペップ・グアルディオラでさえ、チームを整えるのにもう少し時間を要した」と疑問を呈していた。

 ペジェグリーニ氏の下でレベルアップを図れなかったクラブは、モイーズ氏に助けを求めることに。2020−21シーズンを6位で終えたモイーズ監督とクラブは新たな3年契約を結んでいる。かつてエヴァートンで11年も指揮を執り、トップ4に導いたこともあるモイーズ氏の下、現在5位に付けているウェストハム。“元サヤ”が功を奏した貴重なケースだと言えるだろう。

(記事/Footmedia)

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