必要なのは強いリーダーシップ? マンチェスター・Uの歴代キャプテンを振り返る

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2022年02月18日 16:04  サッカーキング

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マンチェスター・Uの歴代キャプテンたち [写真]=Getty Images
キャプテンに必要な要素は、強いリーダーシップか、あるいは協調性か。



 マンチェスター・Uのラルフ・ラングニック暫定監督は先日、同クラブのキャプテンをイングランド代表DFハリー・マグワイアから変更するつもりはないと明言した。今月8日のバーンリー戦と同12日のサウサンプトン戦で、先制しながら2試合連続で引き分けに持ち込まれたマンチェスター・U。一部サポーターは、マグワイアからキャプテンの座を剥奪すべきだと声を挙げていた。しかしラングニック氏は、「彼は我々のキャプテンであり、それを変える理由は見当たらない」と断言。残りシーズンもマグワイアにキャプテンマークを託して、上位進出を目指すことを誓った。前主将の元イングランド代表MFアシュリー・ヤングがインテルへ移籍した2020年1月にキャプテンに任命されたマグワイアは、ラングニック氏の信頼に応えることができるだろうか。

 そこで今回は、プレミアリーグ創設後のマンチェスター・Uの歴代キャプテンを振り返る。世界中にサポーターを有するビッグクラブのまとめ役には、どのようなパーソナリティを持った人物が適任なのだろうか。

※カッコ内はキャプテンを務めた期間

[写真]=Getty Images

■ブライアン・ロブソン(1982〜1994年)



 クラブ史上、最も長くキャプテンを務めた人物がブライアン・ロブソンだ。マンチェスター・Uに在籍した13年のうち、12年をキャプテンとして過ごしたロブソン。プレミアリーグが創設された時には、選手としての全盛期は過ぎていたものの、精神的支柱としてチームを初代王者に導いた。長年にわたってイングランド代表でも主将を務めた“キャプテン・マーヴェル”。翌シーズンもプレミア優勝トロフィーを掲げると、1994年にミドルズブラへ移籍。新天地ではキャプテンどころではなく、選手兼任監督としてチームを牽引した。

■スティーヴ・ブルース(1994〜1996年)



 絶対的なキャプテンの後継者に選ばれたのは、アレックス・ファーガソン元監督の“抜き打ちテスト”に合格したスティーヴ・ブルースだった。2020年5月の『スカイスポーツ』のインタビューで、90年代の初頭にファーガソン氏が電話連絡の直後に自宅を訪問してきたと明かしたブルース。そこでキャプテン就任の打診を受けたというが、ブルースは「私の暮らしぶりをチェックしに来たのだと思う」と分析している。ロブソンが退団する数年前からピッチ上のキャプテンを務めていたブルース。同氏の退団後に正式に主将の座に就くと、2シーズン目の1995−96シーズンにプレミアリーグとFAカップの2冠を達成した。

■エリック・カントナ(1996〜1997年)



 強烈なカリスマ性で世界中のサッカーファンの心を掴んだエリック・カントナ。マンチェスター・Uのキャプテンを務めたのは1シーズンだけだったが、残したインパクトの大きさは歴代キャプテンの中でも随一かもしれない。1992年にリーズからマンチェスター・Uに加入し、チームの中心選手となったカントナ。“カンフー・キック事件”で9カ月の出場停止処分を科せられたのは加入後3年目の出来事だった。5年目の1996−97シーズンにキャプテンとしてプレミア制覇を成し遂げたカントナは、シーズン終了後に31歳の若さで現役引退を発表。なお、ユナイテッド史上、英国及びアイルランド出身者以外でキャプテンを務めたのは、カントナが初めてだった。

■ロイ・キーン(1997〜2005年)



 マンチェスター・Uのキャプテンと言えば、ロイ・キーンを思い浮かべる人も多いのではないだろうか。ピッチでは常に仲間を叱咤激励。自分にも他人にも厳しいキーンの姿に胸を熱くさせたファンも少なくなかったはずだ。引退したカントナの後任として新キャプテンに就任した数カ月後に、前十字靭帯損傷の重傷を負ったキーン。シーズン中はピッチに戻ることができなかったが、翌1998−99シーズンはチームの中心として躍動。劇的な逆転勝利で知られるチャンピオンズリーグ(CL)決勝バイエルン戦は出場停止だったが、“トレブル”達成チームのキャプテンとして、歴史に名前を刻んだ。翌シーズンにはPFA年間最優秀選手にも輝いた“闘将”は、2015年に退団するまでに4度のプレミアリーグを含め、キャプテンとして7つの主要タイトル獲得に貢献した。

■ギャリー・ネヴィル(2005〜2010年)



 2005−06シーズン途中に、突然クラブを退団したキーンから主将の座を明け渡されたのはギャリー・ネヴィルだった。アカデミーからマンチェスター・U一筋の右サイドバックは、2007年3月に足首の靱帯を損傷。プレミアリーグとCLの2冠を達成した2007−08シーズンは公式戦で「10分」しかピッチに立つことができず。本格的な復調はできないまま、2011年2月に現役引退を決断した。なお、スパイクを脱ぐ数カ月前にキャプテンの座から退いていたネヴィル。昨年7月にスカイスポーツのツイッター・アカウントによる「プレミアリーグ史上最も偉大なキャプテンは」という問いかけに対し、「ロイ・キーン」と返信している。

■ネマニャ・ヴィディッチ(2010〜2014年)



 エドウィン・ファン・デル・サール、リオ・ファーディナンド、ライアン・ギグス…。並み居る強敵を抑えて新キャプテンに抜擢されたのは、元セルビア代表DFネマニャ・ヴィディッチだった。ヴィディッチ自身も、「ちょっとした驚き」だったと認めた人選。ファーガソン氏は「毎週、試合に出る選手を選ばなければならなかった。我々のようにローテーションを駆使する場合は難しいが、ヴィディッチが一番それに近いと感じた」と理由を説明した。「やることは変わらない。DFとして、コミュニケーションを取ってチームをまとめることは、キャプテンかどうかに関わらず大事なことだ」と気負うことなく大役を引き受けたヴィディッチ。最終的にキャプテンとして2度、プレミア優勝トロフィーをマンチェスター・Uにもたらすと、契約満了に伴い2014年にイタリアへ渡った。

■ウェイン・ルーニー(2014〜2017年)



 2014年にマンチェスター・Uの監督に就任したルイ・ファン・ハール氏がキャプテンに指名したのは、クラブ在籍10年を迎えたウェイン・ルーニーだった。直前に行われたワールドカップで、同氏率いるオランダ代表でキャプテンを務めたロビン・ファン・ペルシが、マンチェスター・Uでも主将に選ばれるのではないかと見られていたが、予想を覆しての人選となった。「彼のように練習熱心で、素晴らしいパフォーマンスを見せ、チームメイトに対しても約束や責任を果たす選手が好きなんだ」とファン・ハール氏から期待を寄せられたルーニー。同氏の退任後、ジョゼ・モウリーニョ氏の下でも1年、キャプテンを務めた後に古巣エヴァートンに移籍している。

■マイケル・キャリック(2017〜2018年)



「在籍歴が長く、チーム最年長だから選ばれたのだろう」。モウリーニョ当時監督からキャプテンに指名された理由を、マイケル・キャリックは冷静に分析した。トッテナムからマンチェスター・Uに加入してから11年が経過し、36歳になっていたキャリック。キャプテン就任後は5試合しかプレーをする機会がなかったが、モウリーニョ氏の下でキャプテンとして過ごした1年は、貴重な財産になったはずだ。引退後はモウリーニョ氏のコーチングスタッフとしてクラブに残ったキャリック。スールシャール前監督の下でもコーチを務め、同氏の解任後には暫定監督を務めた。

■アントニオ・バレンシア(2018〜2019年)



 2017−18シーズンの大多数の試合でキャプテンマークを巻いたのは、元エクアドル代表DFアントニオ・バレンシアだった。2009年にウィガンから加入し、2016−17シーズンのヨーロッパリーグ(EL)決勝でもキャプテンとしてピッチに立った右サイドバック。キャリックの引退後、正式にクラブのキャプテンに任命されたのは自然な流れだった。しかし、責務を負った2018−19シーズンは負傷離脱が多く、8試合しか腕章を巻く機会が訪れず。このシーズン限りでマンチェスター・Uを退団したバレンシアは、昨年5月にメキシコのケレタロで現役を引退している。

■アシュリー・ヤング(2019〜2020年)



 キャプテンに任命されたシーズンの途中で移籍を選択したのはアシュリー・ヤングだ。バレンシアの退団に伴い、2019−20シーズンの開幕前にスールシャール前監督からキャプテンに指名されたヤング。しかし、新加入DFアーロン・ワン・ビッサカや、下部組織から昇格したブランドン・ウィリアムズとのポジション争いを制することができず、冬の移籍市場でインテルへ移籍。“ユナイテッドの主将”という肩書は、たった5カ月で手放すことになった。しかし36歳になった今もなお、アストン・ヴィラでプレミアリーグのピッチに立っていることを考えれば、決して間違った選択ではなかったようだ。

(記事/Footmedia)

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