「プレステ2」と「松坂大輔」…ゲーム業界と野球界に“平成の怪物”が登場【プロ野球“ゲーム”遊戯】

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2022年03月25日 07:12  ベースボールキング

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松坂大輔とプレステ2は同時代を猛スピードで駆け抜けた (C) Kyodo News
◆ 野球ゲームの移り変わりから見るプロ野球史〜第3回:プレステ2と松坂大輔

 2000年3月3日深夜、秋葉原のソフマップ本店前には長蛇の列ができていた。

 翌4日発売の「プレイステーション2」を買い求める客が殺到したのである。




 雑誌『広告批評』2000年4月号では、発売8日前から「あと○日」とカウントダウンしていく計20タイプの日替わりテレビCMの様子を報じている。この時点で初代プレステは、次世代ゲーム機戦争を制し、国内だけで1700万台を販売する国民的マシンの地位を確立していた。

 当然、その後継機のプレステ2への注目度は高く、定価3万9800円にもかかわらず、初回出荷100万台のミレニアムフィーバー状態に。『週刊宝石』2000年3月16日号では「これはただのゲーム機じゃない!!プレイステーション2が日本を変える!」特集。DVD再生機としてはリーズナブルで、これまで50万人のDVDビデオユーザーが、一気に150万人に膨れ上がり、街のレンタルショップではこぞって大ヒット映画『マトリックス』とお色気系用のDVD棚を拡充したという。

 プレステ2はゲームの枠を超え、日用品としてユーザーの生活スタイルそのものを変えようとしていた。



◆ プロ野球を席巻したルーキー・松坂大輔

 子どもたちの世界でも発売前から盛り上がり、『小学六年生』99年6月号の巻頭カラーでは「ついに登場!プレイステーション2徹底解剖」特集が組まれ、「最強のグラフィック機能」「最強128ビットCPU搭載」「パソコンを超えるスーパーマシンでパソコン用のプリンタ、デジカメが使える!?」と読者の少年たちを置き去りにする、なんだかよく分からないがとにかく凄いのは伝わる熱量で紹介。その表紙を飾るのはシングルCD『BE TOGETHER』の発売を控えた歌手の鈴木あみで、プレステ2発表と並ぶ目玉特集のひとつが「秘蔵写真で振り返る松坂大輔ヒストリー」である。


 当時、西武ライオンズの新人投手がプロ野球界を席巻していた。

 松坂は1年目から25試合(180回)に投げて、16勝5敗、防御率2.60、151奪三振。新人王に加え、高卒新人として初めてベストナインとゴールデン・グラブ賞にも輝いた。

 99年シーズン、西武の観客動員は前年比32.5パーセント増の183万4000人を記録。西武グループの顔として、営業面の大きな貢献も加味され、12月1日の契約更改では1300万円から5700万円アップの推定年俸7000万円で一発サイン。438%のアップはルーキーとして史上最高となった。


 ちなみに、松坂はプロ入り前からゲーム好きとして知られ、入団直後の『サンデー毎日』99年3月21日号には「西武松坂の休日は実況パワフルプロ野球で全球団と対戦中」という記事が掲載されている。ゲームデータは98年版なので自身はまだ収録されていないが、“ゲーマー・マツ”は愛用のプレステを高知キャンプの宿舎に持ち込んだ。

 桑田真澄のファンで、高校時代からいつも巨人を選んで同級生との対戦を楽しんだという。サッカー界を牽引した孤高のスター中田英寿とはまた違う、隣の兄ちゃん的な親しみやすさや女子アナとのお付き合いがあっさりバレちゃう脇の甘さが松坂の魅力でもあった。


◆ 野球ゲームも“リアル志向”の新時代へ

 2000年春にプレステ2初のオリジナル野球ゲームとして話題になった『劇空間プロ野球 AT THE END OF THE CENTURY 1999』。目玉はもちろん、前年新人王の松坂大輔だ。

 なお、スクウェアが日本テレビの野球中継とタイアップした本作は選手名等の権利問題で発売は予定より半年以上遅れたが、そのグラフィックの鮮やかさに当時のユーザーは度肝を抜かれた。大げさに言えば、ついに俺らの21世紀がやってくると思ったものだ。その新時代の象徴がプレステ2と“平成の怪物”だった。


 そして、プレステ2の普及により、野球ゲームもリアル志向時代へと突入していく。これまではハードの機能的問題もあり、『ファミスタ』や『実況パワフルプロ野球』のようにキャラをデフォルメさせるデザインが主流だったが、ついに選手別の表情や体型も表現することが可能になった。過去に『燃えプロ』や『パワーリーグ』が果敢に挑戦していた、プロ野球完全再現への扉が本格的に開いたのだ。

 プレステ2版でもパワプロシリーズの人気は健在だったが、一方で『プロ野球JAPAN2001』(コナミ)、『セ・パ2001』(コーエー)、『マジカルスポーツ 2001プロ野球』(魔法)、『日米間プロ野球 FINAL LEAGUE』(スクウェア)と各社がこぞって参入する“リアル系野球ゲーム戦国時代”へ突入。その各作品のど真ん中で投げまくったのが、入団から3年連続の最多勝に輝いた西武の背番号18だった。

 02年には、ファミスタのナムコもフジテレビとのタイアップで『熱チュー!プロ野球2002』を投入。さすがのゲームバランスと操作性がユーザーから高く評価されて頭ひとつ抜け出すと、コナミも黙っちゃいない。『THE BASEBALL バトルボールパーク』シリーズを経て、04年春に「2004年、野球ゲームを変える。」というキャッチコピーで『プロ野球スピリッツ』が誕生。完全に2強状態となり、ファミスタとパワプロでしのぎを削った両社は、リアル系野球ゲームの覇権も激しく争うことになる。


◆ 日本球界の大エース松坂、メジャー移籍


 さて、日本を代表する投手へと成長した松坂は、06年に第1回WBCで侍ジャパンの世界一に貢献すると大会MVPを受賞。この8年目のシーズンは17勝5敗、防御率2.13、リーグ最多の13完投という好成績で、ついにオフにはポスティングシステムを行使してのメジャー移籍を決断する。

 アメリカ国内でもその動向は大きな注目を集め、ヒル国務次官補がワシントンでの記者会見中に「マツザカはどうなった?」なんて記者団に逆質問したほどだ。レッドソックスからの約60億円の落札額と複数年契約の年俸を合わせ“100億円右腕”と称された男は、愛と幻想のジャイロボール論争とともに海を渡っていった。


 06年春発売の『プロ野球スピリッツ3』パッケージには、日本ハムの小笠原道大や巨人の上原浩治らともに、西武在籍最終年の松坂の姿も確認できる。そのデータは、ストレートが球威Aの155キロ、決め球のHスライダーは球威Sと抜群のキレ味を再現。本作で背番号18がマウンドに上がる前には、実況の山口富士夫アナが「すべての持ち球で三振を奪い、驚異の完投数を誇る日本球界の大エース! チームのため家族のために平成の怪物が今日も投げ抜く」とアナウンスする特別仕様となっている。


 ちなみに、松坂がポスティングでのメジャー挑戦を正式表明した06年11月、ゲーム業界でも大きな出来事があった。11月11日にソニーから新ハードの「プレイステーション3」が発売されたのだ。

 ひとつの時代の終わりと始まり──。

 まさに20世紀末から、21世紀初頭にかけて、松坂大輔とプレステ2は同時代を猛スピードで駆け抜けてみせたのである。


文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)

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