ORANGE RANGE、結成20周年を経て再確認した“沖縄”への想い 今だからこそ行き着いた次世代へのメッセージ

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2022年03月26日 12:11  リアルサウンド

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ORANGE RANGE(写真=林直幸)

 昨年、結成20周年を迎えたORANGE RANGEがバンドの故郷である「沖縄」をテーマにした最新作『OKNW.ep』を2月23日にリリースした。まさにバンドのアイデンティティを再確認するような作品になったわけだが、はじめから「沖縄の作品を作ろう」という意図で作り上げたものではない。


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 今年5月15日に沖縄本土復帰50周年を迎えるにあたり、NHK沖縄放送局の「本土復帰50年」テーマソングとして制作した「Melody」、1970年代の沖縄県コザ市を舞台にした映画『ミラクルシティコザ』主題歌に書き下した「エバーグリーン」、ほとんどのメンバーの母校である北谷(ちゃたん)高等学校で学生が踊る創作エイサーのために作った「フイリソシンカ」の3曲という、偶然にも同じタイミングで沖縄にまつわる楽曲の制作依頼が重なったことがきっかけで完成した1枚だ。


 改めて沖縄と向かい合うきっかけになったという今作について、NAOTO(Gt)、HIROKI(Vo)、YAMATO(Vo)の3人に話を聞いた。そこから浮かび上がるのは、想いや文化を未来につないでいくというメッセージだ。(秦理絵)


■僕たちは“沖縄”をそんなに前面に出してこなかった(YAMATO)


ーー『OKNW.ep』は、改めて自分たちのアイデンティティに立ち返るような作品になりましたね。


HIROKI:意図的に計画したものではなかったんですけどね。


ーー沖縄にまつわる楽曲制作の依頼が重なったことで偶然生まれた作品というか。


HIROKI:そうですね。もともと地元愛は強かったけど、なかなかガッツリそれと向き合うことが少なかったんです。コロナ禍で単純に沖縄にいる時間が長かった時期に、偶然そういう案件がたくさんきて。狙ったわけじゃないけど、タイミング的にそうなったという感じですね。


NAOTO:過去にも沖縄テイストの曲はやってたんですけど、自分たちのアイデンティティも見直した上で楽曲制作に入ったのは初めてで。より強い芯のある作品になったのかなと思います。


YAMATO:僕たちは“沖縄”をそんなに前面に出してこなかったんです。いろいろなタイミングが重なって絶妙なものができたので、「そんなことってあるんだ」と思いました。


ーー「沖縄を出してこなかった」とおっしゃいましたけど、“ORANGE RANGEと言えば沖縄のバンド”というのはかなり認知されていると思うんですよね。


YAMATO:他の沖縄のバンドと比べると、そんなに出していないんですよ。BEGINさんがいて、モンパチ先輩(MONGOL800)がいて。他にもいろいろな沖縄のバンドがいますけど、そのなかではあまり沖縄っぽい曲をバーンとやってる感じはないんです。


ーーたしかに、いわゆる代表曲が沖縄の曲という感じではない。


HIROKI:そもそも沖縄をテーマに曲を作ることがあまりないんですよね。三線を取り入れることはありますけど、それもたくさんある楽器の中のひとつっていう感覚なので。


ーーただ、2018年の最新アルバム『ELEVEN PIECE』には「Ryukyu Wind」とか「Theme of KOZA」みたいな曲もあって。少しずつ沖縄の曲も増えてきてるように感じますけどね。


HIROKI:たしかに最近はそうかも。そう言われてみると、そのあたりの曲も今回のEPに入れるべきでしたね(笑)。その発想はなかったなぁ。


NAOTO:この取材を先にやっていたら、入れてたな(笑)。


ーー今回は沖縄をテーマにした作品ということで、あえて聞きたいんですけど、そもそもORANGE RANGEが沖縄を拠点にしたままバンド活動をしてきたのはどうしてなんですか?


YAMATO:いろいろ理由はあるんですよ。自分のお家が好きとか(笑)。沖縄にいることで心がリラックスできるので、そこから仕事モードに切り替える方が、僕らはモチベーションを保ちやすかったんです。もし全員こっち(東京)に来てたら、もっとバンドは変わっていたと思うんですけどね。


ーー当時、珍しい選択だったんじゃないですか。ブレイクした若手バンドは東京に拠点を移すのがセオリーみたいなところもありますし。


HIROKI:このバンドの出発点として、「上京して音楽でのし上がろうぜ」みたいなモチベーションでやっていたわけじゃないんですよね。そこが目指す場所ではなかったから、自ずと上京するという選択にはならなかった。(メンバー同士で)「どうします?」っていう会議もしたこともないし。(スタッフに)「帰れますよね?」と言って(笑)。


NAOTO、YAMATO:そうそう(笑)。


HIROKI:「東京で何日仕事をしたら、いつ沖縄に帰れますか?」みたいなやりとりのなかで、スタッフも「あ、あいつらは沖縄に帰さないといけないんだな」って思ったんじゃないですかね。


ーー「のし上がろうぜ」がモチベーションじゃないとしたら、当時のバンドのモチベーションは何だったんですか。いい曲を作ろうとか、長く続けたいとか、そういうこと?


NAOTO:長く続けようなんて、最初の頃は思わなかったですね。ただ、自分たちで計画を立てるよりも、たくさん計画が進んでいたんですよ。正直、日々それをやることで精一杯というか。


YAMATO:当時はね。


HIROKI:最近の若いバンドってみんな器用だし、ちゃんと自分たちでプロデュースできるじゃないですか。すごいなと思います。でも、当時の僕たちは明日、明後日、1週間後のことをバタバタ精一杯やってたという。ありがたいことでしたけどね。


ーーNAOTOさんは一時期、東京に住んでいましたね。


NAOTO:そうですね。ガツガツした若さと興味もありましたから(笑)、あれもやりたい、これもやりたいという感じで、東京が楽しかったんですよ。刺激はたくさんありました。ただ、沖縄でやれていることのありがたみは年々増えてきているというか。ちょっとリフレッシュしたいときは、歩けばすぐに海があるので恵まれているし、それがいいなと思います。


ーーもしかしたら、ORANGE RANGEが20年続いた秘訣のひとつは、沖縄にい続けたことだったのかもしれないですね。


HIROKI:それがなかったら崩れてたかもしれないです。


YAMATO:うん、たぶん崩れてた。


HIROKI:忙しいなかでもずっと沖縄に帰る時間だけは作っていたので。


■バンドと沖縄というのは一緒なのかなって(HIROKI)


ーーここからは『OKNW.ep』の収録曲について、1曲ずつお話を聞かせていただければと思います。まず、1曲目「Melody」は、NHK沖縄放送局の「本土復帰50年」テーマソングへの書き下ろしですね。お話をもらってどう受け取りましたか?


NAOTO:難しかったです。こういうテーマに向き合うときって、確実な正解はないですし、自分の思想も出てしまうものなので。ちょうど1年前ぐらいに作ったんですけど、そのときにHYやBEGINさんが、過去に「本土復帰」に関わったときの映像を資料として見せてもらったんです。それで、改めて沖縄と向き合った歌を作ってみたいという気持ちも出てきたんですよね。メロディ自体は、話をした翌々日にはできていました。


ーー誰もが口ずさみたくなる素敵なメロディです。


HIROKI:そこは本当に意識しました。曲とメロディに我を出さないようにしたんです。そういうものを3パターン作って、ヤーマー(YAMATO)を呼んで、「子供からおばあちゃんまで、歌いやすい曲はどれだと思う?」っていう相談をして。癖が一番少ないものを選んでもらいましたね。


YAMATO:一緒に話をしながら、歌い手として思っていることをできるだけ伝えたんです。NAOTOは昔からリズムを重視して作る人なので、特徴的な曲が多いんですよ。例えば、リズムに対して裏拍にキメみたいなものが入るから、日本っぽくなくなっちゃう。でも頭(表拍)でないと、おばあちゃんは歌えないよって。わかりやすさ、聴きやすさ、歌いやすさがテーマの曲だったから、メロディ以外のものはできるだけ削る方向で整えていきました。


ーー「Melody」の歌詞を書く上では、改めて沖縄の歴史を学んだそうですね。


HIROKI:この曲を作る前、最初はみんなに受け入れてもらいたいっていう気持ちがすごく強かったんです。歴代のアーティストがやってきた曲と並べて遜色のないものを作らなきゃいけない。そういう重圧のなかでスタートしたんですけど、そのなかで自分たちのオリジナリティが自然と出てきたんです。そこに意味があるのかなって気づいたというか。


ーーこういうテーマだと、普遍性とか大衆性を意識してしまうけど、ちゃんと自分の気持ちを乗せることのほうが大事だと思えたんですね。


HIROKI:どちらかを無下にするわけではないですけどね。僕は見られ方ばっかり気にしてたんですよ。万人に届くようにって。だけど、自分の気持ちを乗せることも大切なんじゃないかなって思えた。その過程のなかで、もちろん沖縄の歴史も勉強しましたけど、それで全部がわかるわけでもないし、捉え方も人によって違う。だから、この曲を作ったことで、自分が自信を持って歌えるところに辿り着けたことに意味があったのかな、と思いますね。


ーーなるほど。


HIROKI:さっきNAOTOも言ってましたけど、答えのないものを作らないといけないから、最初はメンバー同士でズレもあったんです。そういうなかで、自分の気持ちを主張しながら、お互いの気持ちも尊重して、最終的にこの1曲にまとまったんですね。それは結局、沖縄の歴史問題と同じなのかなと思ったんですよ。考え方が対立する人間がいて、そこに答えはないけど、どうにか混ざり合って暮らしていく。バンドと沖縄というのは一緒なのかなって。


ーー違う人間同士が集まれば、それぞれの価値観も違うのは当然ですからね。


HIROKI:そうです。「お前、間違ってるよ」っていうわけじゃないんですよね。


NAOTO:沖縄の地域によっても考え方が違うんですよ。特に僕らの地元のコザは、(米軍)基地があるので本当に特殊なんです。だけど、僕らはそこの文化で育って、ライブハウスとかクラブで米兵が演奏しているのを見てかっこいいと思った。その文化が好きで音楽を始めたし、それが僕らのアイデンティティを形成してるものなんですよ。そういう文化が伝わればいいのかなとも思いました。


ーー想いや文化をつないでいくというのは、この曲の大きなテーマなんでしょうね。


YAMATO:もういい年なので、いつまでも若手気分ではいられない。気づけばバンドも20年が過ぎていますし、次の世代に託していくようなことをしていかないといけないなとは思っているんです。僕らもいろいろな先輩たちの背中を見てきましたから。沖縄には今、必死で頑張っている子たちがいっぱいいるんです。そこにさりげなくバトンを引き継げるようなポジションでやってもいいのかなとは思いました。本当にさりげなく、「行こうよ、行こうよ」ぐらいの感じで引っ張れるようなポジションでいたいですね。


ーーそれは〈宛名のない贈り物に 気づいた時 涙こぼれた〉というフレーズに表れていると思います。YAMATOさんが言ったバトンが、〈贈り物〉というか。


HIROKI:直接的に血のつながりがある父ちゃん、母ちゃん、じいちゃん、ばあちゃんだけじゃなくて、いろいろな先人が作ってきたもののおかげで、今の世界があるんですよね。そういうことって、普段は考えずに生活するじゃないですか。だけど、今こうやって自分が生きていられるのは、そういった血のつながりもない人たちの苦労が脈々とつながっているからなんだろうなと思って、それを言葉にしたかったんです。今というのは、人間が生きてきたつながりですよね。


■こういう曲が生まれるのも、いい時間を過ごしてきたから(YAMATO)


ーーその通りだと思います。2曲目「エバーグリーン」は、1970年代のコザを舞台にした映画『ミラクルシティコザ』主題歌です。最初に脚本を読んでから作り始めたんですか?


NAOTO:そうです。歴史も知っているし、紫(劇中に登場するバンドに楽曲提供している伝説的ハードロックバンド)も知っているので話は早かったですね。僕たちが学生の頃、コザのライブハウスとかクラブで遊んでいて、そこで深夜2時とか3時になると、1980年代のハードロックやヘヴィメタルーー例えば、Mötley CrüeとかDream Theaterのバラードが流れていて。そういうイメージで作りました。


ーー最近のORANGE RANGEは「HEALTH」や「ラビリンス」のような先鋭的でカオティックな曲も多いけれど、一方でこういう王道のロックバラードもやれる。この振り幅がすごいです。


NAOTO:それはやっぱり、相手がやろうとしていることに感化されるからだと思います。今回で言うと、監督や紫、NHKだったりとか。そこに対して「なるほど、面白そうだな」と思うから、そこには乗っかりたい。だから依頼があると、いつも「どういう曲がいいですか?」って相手に聞くようにしていますね。ただやるんじゃなくて、お互いの良さを出し合いながらやるのがコラボレーションだから。


ーーそれは以前から同じですか?


NAOTO:結構前からそうですね。「最初に言わなかったじゃん!」となって、いろいろ痛い目にあったりしたこともあって(笑)。


ーーああ、それで作り直しになっちゃったりとか。


YAMATO:たしかにな、それは疲れるよな(笑)。


NAOTO:そうそう。それでなるべく初期の段階から相手の要望を聞くようになりましたね。それがリスペクトでもあると思うんです。


ーー「エバーグリーン」の歌詞は、「Melody」と重なる部分がありそうですね。


HIROKI:そうですね。これは脚本をもとに書いていったんですけど。その設定がぶっ飛んでいるんですよ。未来と現在を行き来したり、魂が乗り移ったり(笑)。だけど伝えたいメッセージは、「物理的な死を遂げても、想いや気持ちは永遠に残っていくんだろうな」ということですね。


YAMATO:こういう曲が生まれるのも、メンバーみんな、いい時間を過ごしてきたからだなと思うんですよ。今までもハードロック志向のバラードはやってきているけど、その表現や世界観がパワーアップしてきているのは肌で感じるので。


ーーバンドとしても、人間としても、いい時間を過ごしてきたからこそ、視野が広いんでしょうね。時間軸も、住んでいる場所も超える曲になっているというか。


HIROKI:たしかに。もう自分だけの視点ではなくなってますよね。


■新しいスタンダードを作りたかった(NAOTO)


ーー3曲目の「フイリソシンカ」は、HIROKIさんとNAOTOさんの母校である北谷高等学校の創作エイサーのために作った曲になります。同級生から依頼されたんですよね?


NAOTO:そうなんですよ。いい話があって、依頼してきた同級生がサッカー部のキャプテンで、HIROKIが副キャプテンだったんですよ。それが時を経て、高校の生徒指導の先生とバンドマンになって、このタイミングでつながるっていいじゃないですか。こんな話あります?


ーーなかなかないと思います(笑)。今も交流があったんですか?


NAOTO:そこまで直に連絡を取り合うような感じではなかったんですけど、先生をやっていることは知っていました。先生って、いろいろな学校を転々とするじゃないですか。それで最近、「母校で働くことになったよ」と連絡があったんです。そのなかで、コロナ禍で行事とかも中止になったりして、生徒たちがかわいそうだから、「この高校と言えばこの曲!」みたいな楽曲を作って、学校の伝統にして盛り上げていくために一緒に何かできないかっていうお話をもらって。


ーーその話を聞いてどう思いましたか?


HIROKI:自分の母校でもあるし、キャプテンが言ってることですから。


NAOTO:当時から引率力があったもんなぁ。


HIROKI:そうそうそう(笑)。


ーーエイサーの曲となると、普通の曲作りとは違うマナーがあるんですか?


NAOTO:マナーのことを言い出したら、縛られ過ぎてこじんまりした曲になっちゃうんですよ。エイサーの可能性も楽しさもみんな肌で感じてきたから、それをどう作るかでしたね。やっぱり、かっこよく踊ってもらいたいし、末永く愛され続けてもらいたい。そのポテンシャルをいかに引き出すか、みたいな作り方でした。


ーー「イーヤーサーサー」っていう、これぞエイサーという合いの手も入ってますけど、そこにORANGE RANGEらしいキャッチーさも織り込まれていますもんね。


NAOTO:エイサーはすでに完成されていますから、それを超えることはできない。新しいスタンダードを作りたかったんです。


YAMATO:最終的にシングル曲になってもいいぐらいのキャッチーな曲になりましたよね。なんで僕は北谷高等学校じゃなかったんだろうって思いながら歌ってましたけど(笑)。


HIROKI:でも、YAMATOもちゃんと校舎に侵入してたよ。


NAOTO:そうだよ。侵入してた。


YAMATO:「侵入」って言い方は変ですけど……。


HIROKI:軽音部で一緒に練習してたんですよ。俺たちは軽音部でもないけど、YAMATOを呼んで、軽音部の部室を占拠して(笑)。


ーーじゃあ、YAMATOさんにとっても北谷高等学校は第二の母校ということで。


YAMATO:まあ、ゆるい学校でしたよね(笑)。


ーー「フイリソシンカ」には、たくさん沖縄の言葉が散りばめられていますね。〈ティダ〉は太陽、〈ニライ〉は理想郷という意味があるとか。


HIROKI:沖縄の言い伝えですね。沖縄の会社名とかで結構よくあるんですよ(笑)。


YAMATO:もう僕らって、沖縄の方言をガッツリ使う世代ではないんですよね。僕らの親世代は方言で喋る人たちがいたり、さらにおじいちゃんの世代は方言でしか喋れない人たちがいるんですけど、逆に若い世代には方言から遠くなっている人もいて。僕らは曖昧な世代なんですよ。


ーーそういう意味では、「Melody」や「エバーグリーン」で歌っているような、つないでいく、未来に託していくという想いにも通じますね。言葉も継承しないと廃れていくものだから。


YAMATO:やっぱり僕らはいろいろな意味で狭間の世代なんですよね。その世代には、その世代の役割があると思うんですよ。方言しかり、沖縄の伝統しかり、音楽しかり。僕らがいろいろなことをつないでいけるようになれたらいいなと思いますね。


ーー沖縄というテーマでそういう想いに行き着いたのは、バンドが20周年を迎えて、メンバーの年齢も30代後半に差しかかったこのタイミングだからこそでしょうか。


HIROKI:そうですね、今だからこそです。最初から沖縄というテーマを狙っていたら、もっとコテコテになったかもしれないなと思うんですよ。でも、ナチュラルに3曲とも作れたのでよかったです。『OKNW.ep』というタイトルがついてなかったら、沖縄の作品だって気づかれないかもしれません。


■すべてを肯定して楽しい場所を作っていきたい(NAOTO)


ーー最後に、21年目以降のORANGE RANGEの活動として考えていることはありますか?


YAMATO:僕らは目の前のことをやっていくのに精一杯な20年だったので、そこは変わらず。「こうありたい!」っていう大々的な目標はこれからもないです。そうやって歩んできたから、今があると思うので。


NAOTO:コロナ禍でライブができなくなる日が来るなんて、誰も思っていなかったけど、起きたことをポジティブに捉えて、それすらも楽しんでいけるバンドでいられたらと思いますね。沖縄にいたから、こういう作品もできたわけだし。すべてを肯定して楽しい場所を作っていきたいです。


ーーHIROKIさんはどうでしょう?


HIROKI:目先の目標としては、5月に結成21周年のライブ(『ORANGE RANGE ㊗21周年! スーパーウルトラちゅらちゅらカーニバル -RANGE DAY-』)があるので、今はそれかな。20周年はライブがあまりできなかったから、その20年分の想いをぶつけたいです。


ーー21周年にちなんで、2日間で42曲やるそうですね。


HIROKI:体力的にヤバいですよ(笑)。


NAOTO:やったことないからなぁ。初めての試みなので。


ーー毎年増やしていったらいいのに、と思いました。30周年は2日間で60曲とか。


HIROKI:いやいや、やらなくちゃいけなくなるから。絶対に「うん」とは言いません(笑)。


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