『ザ・ノンフィクション』「余命」の算出は医師それぞれ?「花子と大助〜余命宣告とセンターマイク 夫婦の1400日〜」

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2022年04月18日 21:22  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。4月17日の放送は「花子と大助〜余命宣告とセンターマイク 夫婦の1400日〜」。

あらすじ

 2018年3月、宮川花子は症候性多発性骨髄腫と診断された。体のあちこちにがんが転移している状況で、余命半年を告げられる。

 がん細胞が神経を圧迫し、下半身が動かせなくなった花子は入院生活となり、車いすからベッドへ移るわずかな動作も自力では難しくなる。介助が必要な状況の中、夫の大助は花子を毎日見舞う。

 大助が帰ったあとの病室で、リクライニングベッドで上半身だけ起こした花子は、大助は舞台への復帰を楽しみにしているようだが自分にはそれが全然頭にない、と番組スタッフに告げる。

 その後、2020年4月に花子は退院。奈良県生駒市の自宅に戻った花子は、大助の応援のもと、一人でベッドから起きて車いすへ移るリハビリをゆっくり行っていた。同年8月には自宅で誕生日を迎え、花子は、舞台への復帰の希望を口にする。

 宮川大助・花子はもともと師匠も事務所も違う芸人同士として出会う。結婚後はコンビを組むどころか、花子は漫才師を続ける気もなく警察官となる。一方の大助は、警備員の仕事をしながらネタを書き続けるなど諦めきれなかったようで、花子がほだされる形でコンビ結成となった。

 花子のまくしたてるようなしゃべりで押しまくる夫婦漫才は一世を風靡するも、その陰で花子は体調を崩すことも多かったという。30代でがんが見つかったとき、大助は病院のベッドの床で寝て看病し、一方大助が脳出血で倒れたとき、花子は一人ステージに立ち、大助をネタにしつつ会場を沸かせた。

 時は流れ21年12月。花子の車いす生活は続いていたが、この1年でトイレもお風呂も一人で入れるようになったと笑顔で話し、かつて車いすからベッドへのわずかな移動も介助が必要だった状況から劇的な回復を遂げていた。

 同月、地元の生駒市から舞台の依頼があり、花子は2年半ぶりに舞台に復帰する。当日、自宅の階段も手すりを使ってゆっくりと慎重に降りていた花子だったが、いざ会場に到着すると、大助を車いすに乗せ、それを押して舞台に登場。会場を大いに沸かせる。

 楽屋では、緊張からか口数が減る大助に対し、メイク室の鏡を見据える花子の目にはみるみる光が宿っていき、ブランクを感じさせない堂々たる風格に、大助は「やっぱりアンタはプロやなあ」と感心していた。大助を車いすに乗せるのも、花子のアイディアだった。

 22年3月、花子のガンは寛解状態(「完治」とは異なるが、病気による症状や検査異常が消失した状態)になっていた。翌月の4月、吉本興業110周年特別公演に大助・花子は出演。目標であったなんばグランド花月へ返り咲く。

 『ザ・ノンフィクション』では花子の闘病を2年前の20年2月にも前後編の2度で放送している。

 このときは、20年の正月に退院した花子と大助が家で正月恒例の漫才番組を見て、穏やかに笑っているシーンで終わっていた。正直このときの状況では、花子が舞台に復帰するとは想像がつかなかったが、花子はそこから2年で復帰した。前回の放送を見た人ほど、花子の回復ぶりに驚いたと思う。

 21年の年末、一人でトイレやお風呂に行けるようになったことがうれしいと花子は話していた。「一人でトイレやお風呂に行く」ができない状況が続くというのは想像するだけでもつらい。一つひとつできることを取り戻していった花子を尊敬する。

『ザ・ノンフィクション』「余命」の算出は医師それぞれ?

 花子は当初の半年の余命宣告を覆した。『ザ・ノンフィクション』では花子以外にも余命宣告を覆した人の様子が伝えられることがあり、何よりなことだと思う一方で、一体どんなルール、見立ての上で余命の計算がなされているものなのだろうと疑問に思う。業界標準みたいなものはあるのだろうか?

 調べてみたが、余命の算出に明確なルールがあるわけではないようだ。一般的には、同じ治療を行った患者のデータをもとにして説明しているそうだが、データではなく医師の判断に任されていることもあるという。さらには、余命宣告をしない医師もいるようだ。思ったよりも「ゆるく」見え、驚いた。

 てっきり、全ての余命宣告は「がんを研究する学会が発表した、同世代で同様の病状の人なら平均余命が〇年」といった統一的なデータなどがあり、それに則って伝えられるものかと思っていた。

 しかし、データに則って「平均余命」を出したとしても、翌日に亡くなってしまう人もいれば、10年後も生きている人もいて、それらをならしたのが「平均」だ。そう考えるほどわからなくなってきた。

 また、同世代で同じ病気、同様の病状であっても、ほかに病気を抱えていたり、飲酒、喫煙、食生活、運動習慣などライフスタイルの違いはさまざまだ。これらも余命に関わってくるだろう。

 そうなると、データよりも、その患者を前にしている医師の見立てのほうが予測の精度が高いのかもしれないとも思う。そもそも、余命を覆した人の話は聞くことができるが、覆せなかった人の話は聞くことができない。余命は人生で最も重い数字だが、一筋縄ではいかない数字だ。

※参照記事

がんの「余命宣告」の正しい意味を知っていますか?

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