◆ 猛牛ストーリー 【第13回:椋木蓮】
連覇と、昨年果たせなかった日本一を目指す今季のオリックス。監督、コーチ、選手、スタッフらの思いを、「猛牛 ストーリー」として随時、紹介していきます。
第13回は、ドラフト1位ルーキー・椋木蓮(東北福祉大)。中継ぎ・抑えもできる即戦力として期待された右腕は、宮崎での春季キャンプ中盤に左脇腹を痛めて出遅れていましたが、26日のプロアマ交流戦で実戦デビューを果たしました。
◆ 記録には残らないデビュー戦
午前11時から大阪市内の球団施設に隣接する大阪シティ信用金庫スタジアムで行われた、社会人のYBS播磨戦。対戦相手には申し訳ないが、ドラフト1位のデビュー戦としては、やや物足りない舞台だったかもしれない。
本来は24日のウエスタン・阪神戦(鳴尾浜)で先発登板が予定されていたが、これが雨で中止に。替わって26日午後1時からの中日戦(杉本商事BS)で登板するつもりが、こちらも午後から降雨が予想されたため、開始が2時間早いプロアマ交流戦に急きょ変更された。なお、その中日戦は強風のため2回途中で中止。早く実戦のマウンドに立たせてやりたいという首脳陣の思いが実った初登板だった。
残念ながら、試合は無観客で非公開だったため、デビュー戦を見ることは出来なかった。
球団関係者や本人の話を総合すると、先頭打者に右安を許し、犠打と一ゴロで二死三塁としたが、4番打者を外角高めの直球で空振り三振に。2回は二ゴロ、空振り三振、見逃し三振と打者3人で片付けた。
2イニングを投げて被安打は1、3奪三振で無失点。一軍の戦力になるにはまだ時間が必要かもしれないが、プロとしての一歩目を踏み出している。
最速は148キロだったが、関係者は「計測機器が違えば、150キロは出ていたのでは」とのこと。「4番・遊撃」で出場した園部佳太も「いいボールが来ていました」と言う。
「デビュー戦だったので、初回は緊張してボールが高めに浮いてしまった。先頭打者に安打をされたが、送りバントをしてくれたので、落ち着くことが出来た。その後に走者が3塁に進んだが、脚を上げて投げることが出来たので、真っすぐが行くようになり、2回はちゃんと投げることが出来た」と椋木。
カーブやフォーク、スライダーも試しつつ、「変化球でストライクは取れたが、腕の振りが緩かったのでいいとは言えない」と自己採点した。
◆ 「次からは内容にもこだわりたい」
最速154キロの直球と鋭く曲がるスライダーを武器に、新人合同自主トレやキャンプでは先発・中継ぎ・抑えで即戦力として期待された右腕。異変が起きたのは、キャンプ中盤の2月16日だった。
翌日には実戦形式での登板が予定されていたほど順調に過ごしていたが、ブルペンで投げ込んだ瞬間、左脇腹に「ピチャン」という違和感が。次の日にはジョギングをしただけで痛みが襲い、病院での診断は「左内腹斜筋の筋損傷」だった。
早く治すために告げられたのは、「何もせず1カ月間、静養すること」。できる練習は30分間のバイク漕ぎと、肩のストレッチだけ。捕手が座った投球練習ができたのは4月初旬のことだった。
どちらかと言えば、おっとりとした性格。「自分では普通にしているつもりでも、周囲からはよく『マイペースだな』と言われる」という椋木だが、「自分だけ練習を早く上がったり、何もしない時には周囲の目がすごく気になった」と打ち明ける。
大学時代にも肩を痛め、1年以上も投げることが出来なかった経験がある。「大学の時より前向きになれた」とはいえ、「焦りはあった。同期の小木田(敦也)や他チームの大学卒の新人が活躍していると、早く治して投げたいという気持ちがすごく芽生えた」という。「寝る前とか、1人でいる時間になると考えてしまう自分がいた」とも明かす。
今後、順調にいけば約1週間後にも登板が予定されているという。投球を見守った小林宏二軍監督は「もっと時間が掛かるかと思っていただけに、投げることができたことが一番。明日の状態をみて、今後の調整を考えたい」と、安堵の表情を浮かべた。
「脇腹を気にせずに投げることが出来たことが収穫。まだ、プロを相手に投げていないが、次からは内容にもこだわりたい。ただ抑えるだけではなく、相手を圧倒するくらいに抑えられるようにならないと。四球を出さず、決めるところは三振で決めたい」
いつも通り穏やかな口調だが、プロとして初の対外試合を無事に終え、言葉には自信がみなぎっていた。
取材・文=北野正樹(きたの・まさき)