『ちむどんどん』と『ゴールデンカムイ』に通じるスタンス 食事を通して“生死”を描く

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2022年05月01日 06:11  リアルサウンド

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『ちむどんどん』(写真提供=NHK)

 新しいNHK連続テレビ小説(以下、朝ドラ)『ちむどんどん』がスタートして3週間が過ぎた。本作は沖縄本島北部の“やんばる”と呼ばれる地域で暮らす家族の物語だ。主人公は食べることが大好きで後に沖縄料理のお店を出すことになる比嘉暢子(黒島結菜)。タイトルの「ちむどんどん」とは沖縄の言葉で「心(ちむ)が高鳴る様子」のこと。明るく前向きなヒロイン・暢子の有り様を的確に表したタイトルだと言えるだろう。


【写真】実写映画化が決定した『ゴールデンカムイ』


 脚本は羽原大介。井筒和幸監督の映画『パッチギ!』と李相白の映画『フラガール』の脚本で知られる脚本家で、朝ドラは、2014〜15年の『マッサン』に続いて2作目の執筆となる。劇作家・つかこうへいに師事していた羽原は「社会派テイストの人間ドラマ」を得意とする脚本家で、笑えて泣ける物語の根底には社会に対する眼差しが必ず存在する。『ちむどんどん』ではその眼差しが沖縄へと向けられている。


 本作は沖縄の本土復帰50年を記念して作られた朝ドラだが、沖縄が朝ドラの舞台となるのは今回が3度目。2001年に岡田惠和脚本で『ちゅらさん』、20012〜13年に遊川和彦脚本で『純と愛』が作られている。


 どちらも脚本家のカラーが強く打ち出された朝ドラの歴史に残る作品だったが、日本軍とアメリカ軍の戦争の戦場となり、米軍基地が今も残っている沖縄の歴史との向き合い方に関しては抑制的で、物語の向こう側に見え隠れするという距離感だった。


 この2作に比べると『ちむどんどん』はより踏み込んだ形で、沖縄の歴史と向き合おうとしているように感じた。朝ドラという枠組で描けることの限界はあるだろうが、ここまで観た印象でいうと「食」を通して“沖縄”と向き合おうとする気概が強く感じられた。


 前クールの朝ドラ『カムカムエヴリバディ』の序盤がハイスピードだったこともあってか、幼少期を2週に渡って放送した『ちむどんどん』はゆったりとしたスタートに感じたが、逆にそれが、暢子たちが暮らす沖縄での体感時間を追体験しているようで面白かった。まずはじっくりと暢子を取り巻く家族やお互いに助け合う地縁共同体の人間模様と土地に根ざした生活を丁寧に見せているという印象だ。その意味で、貧しいながらも幸せだった幼少期が子どもの目線から描かれていたのだが、ただ楽しいだけでなく現実の苦味が滲み出ているのが本作の油断できないところだろう。


 それを一番強く感じたのが第4話だ。東京からやってきた民俗学者の青柳史彦(戸次重幸)とその息子・和彦(田中奏生)を歓迎するため、比嘉家は家に青柳親子を招待し、ご馳走を振る舞う。そこに並べられたラフテー(豚肉を醤油で煮た料理)の材料が、長男の賢秀(浅川大治)が育てていた豚のアババだったことが食事中にわかるという何とも気まずいシーンがある。父親の賢三(大森南朋)は「黙って(アババを)潰したのは悪かった」と賢秀に謝った後、こう語りかける。


「生きているものは他の生き物、植物や動物を食べないと生きていけない。人間もおんなじさな。『いただきます』とは命をいただくこと。だからきちんと感謝しながら綺麗に食べてあげる。それが人の道。筋を通すということさ」


 父の言葉を聞いた賢秀は、暢子たちと共に感謝の気持ちを込めてラフテーを食べる。楽しげな劇伴の印象もあってか、最初にこのシーンを観た時は悲しんでいいのか笑っていいのかわからず戸惑ったが、料理とは「生き物を殺して食べる行為だ」という現実をはっきりと見せたかったのだろう。


 節々に誰かが何かを食べているシーンが挟み込まれる『ちむどんどん』は『孤独のグルメ』(テレビ東京系)のようなグルメドラマのテイストを朝ドラに持ち込んだ作品だと言える。だが、深夜に放送されている多くのグルメドラマと違うのは、生き物を殺して食べているという「死」の影が張り付いていることにある。


 このあたりは殺した動物を美味しそうに食べる姿をあっけらかんと描いた野田サトルの漫画『ゴールデンカムイ』(集英社)にも通じるスタンスだ。食事というもっとも「生」を感じさせる行為の裏側には必ず「死」が存在することを『ちむどんどん』は提示している。


 この生と死の関係は、そのまま本作の人間観、沖縄観にもつながっている。第2話では比嘉家の夫婦が青柳史彦とお互いの戦争体験について語り合う姿が描かれており、暢子が母・優子(仲間由紀恵)が空襲のことを思い出して泣いている姿を目撃する場面もある。


 生と死は表裏一体。そのコントラストが極端なため「もう笑うしかないよね」という達観すら感じる。


 物語は3周目に入ると沖縄の本土復帰を目前に控えた1971年が舞台となり、高校3年生になった暢子を中心とした比嘉家四兄妹の群像劇が進行している。父を亡くし、貧しい暮らしと女性差別に暢子は苦しんでいるが物語のトーンは明るくユーモラスだ。沖縄の日差しのような光と闇の極端なコントラストがどこにたどり着くのか、これから楽しみである。


(成馬零一)


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