「なぜこの体でこんなボールを…」。ノーヒット・ノーランであらためて思い出した東浜巨、17歳のピッチング

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2022年05月17日 11:21  webスポルティーバ

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 5月11日、西武戦(PayPayドーム)での東浜巨(ソフトバンク)のノーヒット・ノーランには、思わずため息が出た。

「いい顔になってきたなぁ......」

 テレビ観戦だったから、何度も東浜の顔が映し出された。顔の輪郭が丸みを帯びて、首もすっかり太くなって、あの頃よりふた回りほどふっくらしていた。




 9回でも150キロをマークした速球は、16勝した2017年の頃の勢いと強さを取り戻したように見えたし、カットボールとシンカーが両サイドに放物線の球筋を描いて、打者の目線を最後まで翻弄し続けていた。

「あの頃は投げていなかったボールだな......」

 テレビ画面には「今年でプロ10年目」とテロップで流れていた。もう14年前になるのか......。2008年2月、私は「流しのブルペンキャッチャー」として、当時、沖縄尚学高校の2年生だった東浜の全力投球を受けていた。

見た目はタイの修行僧

 17歳の東浜は、すでにもう大人のようなピッチャーだった。

 初対面のジャージ、Tシャツ姿の東浜は痩せていた。胸はあばらが見えていて、細いというより、薄かった。くりくり坊主の小顔に、長身の骨体美。「これでオレンジ色の袈裟(けさ)を着せたら、まるでタイの修行僧のようだ......」と、そんなことを雑誌の記事に書いたことを覚えている。

 それでも骨格は大きく、前から見ると体の面積がすごく大きく見えた。この先、次のステージで筋肉量を増やしていった時の均整抜群の立派なマウンド姿が、その頃から簡単に想像できた。

 東浜のボールを受けるまでは、「パチーン!」とくるような軽めの球質を想像していたら、真逆の「ガツーン!」とくる重くて、強いボールだったから驚いた。

「なぜこの体で、こんなボールを投げられるのか......」

 まもなく高校3年に上がる直前の2月。沖縄ではプロ野球キャンプがたけなわだった。沖縄独特のムッとする熱気のなか、パラパラ降っていた雨が、20球ぐらい投げてもらったところで、あっという間にドシャ降りになった。南国特有の"スコール"だ。




 屋根つきのブルペンだったが、横なぐりの雨がガンガン吹き込んでくる。その時の東浜は、来月にセンバツ大会を控えた大事な時期だった。

「やめとこうか?」

 もの静かで優しい物言いの少年だから、「そうですね......」といった穏やかな反応かなと思っていたら、「いや、やります!」と強い意志で返してきた。

「こりゃ、本物だ!」

 むしろ、こっちの弱気に気合いを入れられたような瞬間だった。

ピッチャーとしての誠実さ

 雨はおさまる気配がなく、まるでウォーターカーテンのようだった。18.44メートル先のマウンドに立つ東浜がぼんやり霞んで見える。

「じゃあ、本気で!」
「はい、もちろんです!」

 リクエストしたアウトローに、すばらしい角度と回転のボールが決まった。

「ナイスボール! すばらしい! 続けろ、続けろ! 続けて、アウトローに投げる感覚、覚えちゃえ!」

「おっしっ!」

そこからがすごかった。右打者のアウトローに、3球、4球、5球......構えたミットに寸分たがわず、すばらしい回転の快速球が次々に決まる。

「続けろ! 続けろ! 続くところまで続けろ!」

 スコールを切り裂くように、水しぶきを上げた140キロのアウトローを、結局9球続けた。

「ナオくん、スゴい! ベリーグー!」

受けたこっちも、「とんでもないピッチャーが出てきた」と心底驚いたものだ。

コントロールも、ボールの威力もすごい。再現性抜群の投球フォームも、間違いなく大人顔負けだったが、それ以上に、甲子園でもないのに、1球1球、魂を込めて投げ込んでくるピッチャーとしての「誠実さ」に胸を打たれた。

投げてもらったあと、せっかくだから話を聞くのは、「何か食べながらにしようか......」ということになって、あれこれと手伝ってくれたキャプテンの西銘生悟(内野手/その後、中央大→現・ホンダ鈴鹿コーチ)と3人で入ったファミリーレストランで、フルーツパフェをおかわりしながら、話は2時間半にも及んだ。

大半の時間は、「野球もの知り」の西銘が話の主導権を握っていたが、その合間合間で、東浜の繰り出す補足説明が、絶妙な「合いの手」となって、最後まで話が弾んだものだった。

西武戦での圧巻の97球

 西武戦での97球のノーヒット・ノーラン。

アベレージ140キロ前半の速球と、ほぼほぼ3分の1ずつ投げていたカットボールとシンカーは、高校時代には投げていなかったボールだ。

もっと滑りの大きなスライダーに落差の大きなカーブ、それに、時々フォークボール。当時は、そんな「お品書き」で投げていた。

スローの映像で見ると、「シンカー」はスプリットのようにボールの上半分で挟んでいるように見えたが、左打者の外に滑り落ちる軌道は見事なものだった。

捕手のサインに首を振る時の目の「怖さ」は、沖縄のスコールのブルペンで向き合った時と同じだった。

 97球といっても、今まで対戦した記憶をたぐり寄せ、打者を観察しながら、考えて、考え抜いて、丁寧にコースを狙い、1球1球、渾身の腕の振りから投げ込んだボールである。

ピッチングに行き詰まりを感じている投手がいたら、これ以上のお手本はないだろう。そんな「仕事」に見えた。

 あの頃よりグッとコンパクトになったテイクバックから、腕の振りはむしろ豪快になったように見えた。それでも、精密なコントロールは最後まで揺らぐことはない。

 投げる形は変わったが、捕手が構えたミットではなく、打者に向かって投げ込んでいく"魂"は、プロを目指していた頃とそのままだ。

 投手の仕事は捕手のミットに投げることじゃない。打者に向かって、渾身の腕の振りを発揮し、手玉にとることだ。

「ピッチャーって、こういうことだよな......」

 スピードばかりが注目されるなかで、そんな思いをあらためて認識されてくれる職人・東浜巨の快投だった。

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  • 高校時代は見てないけど、亜大の頃とほとんど投球フォームが変わってないのがいい。
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