《日本の新婚旅行150年史》明治の逗子、大正の熱海、昭和の九州を経て、ハワイ定着の理由

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2022年05月18日 06:10  週刊女性PRIME

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※画像はイメージです

 近代日本の誕生に大きく貢献した武士・坂本龍馬。妻のお龍と霧島連山の主峰・高千穂峰に登頂した一連の行程が「日本初の新婚旅行」だといわれている。

 鹿児島県霧島市役所のホームページにも『龍馬・お龍日本最初の新婚旅行地霧島市』と記載されているが、その実態はどのようなものだったのだろう。

新婚旅行の歴史

「坂本龍馬は伏見の寺田屋で幕吏の襲撃を受けた際に、薩摩藩邸に逃げ込みました。そのときに出会ったのが妻のお龍で、それがきっかけで仲が深まり結婚に至ります。その後、刀傷を癒す目的もあり、お龍とふたりで鹿児島へ旅をすることになりました。

 現存する資料では、この旅行が厳密な意味で“日本最初の新婚旅行である”とは断言できませんが、日本の新婚旅行を考えるうえでのエピソードとしてはおもしろいですね

 そう教えてくれたのは、千葉商科大学でブライダルサービスを専門に研究している今井重男さん。それでは、日本における新婚旅行はいつぐらいから始まり、どのような変遷を遂げてきたのだろうか。

明治維新以降、西洋文化を紹介する訳報のようなものが出てきたのですが、そのなかにハネムーンを意味する“ホネームーン”という語が散見されます。また、1889年(明治22年)5月3日の『東京日日新聞』において“新婚旅行”という言葉が日本で初めて掲載されています。

 つまり、明治時代には新婚旅行という概念はすでに日本に入ってきていたわけですが、一般の間に新婚旅行が浸透するのは、まだまだ先のことですね」(今井さん、以下同)

 明治期には鉄道網が徐々に整備されていたが、東京起点の新婚旅行は、神奈川県の江ノ島や逗子などの近場が主流だったようだ。ただし、それすらも一部の富裕層に限られており、新婚旅行自体はまだまだ物珍しいものだった。

大正時代にはもう少し足を延ばせるようになり、熱海や箱根などの温泉地が人気だったようです。伊勢神宮への参拝なども定番のコースとなりましたが、やはりまだ一般的に普及したとはいえず、新婚旅行は上流階級以外には高嶺の花のようなものでした。

 その後、昭和前期になってやっと新婚旅行の普及がうかがえるような資料が出てきます」

 昭和に入ると、婦人向け雑誌に『新婚旅行の心得』といった記事が多く掲載されるようになった。このころの旅行先は近隣の温泉地だけでなく、伊豆・静岡周遊といったコースや、1週間以上をかけて京都や奈良まで足を運ぶプランなども登場している。

「ちょうどこの時期だと思いますが、私の祖父母の新婚旅行の写真も残っています。昭和2年に三重県伊勢市の二見浦にある名勝“夫婦岩”の前で撮ったものです。当時は恋愛結婚はまだ珍しく、お見合いで結ばれるケースが大半でした。

 出発時は恥じらって顔を見合わせることもできないような夫婦が、旅行を経て徐々に打ち解けていく儀式のような意味合いが新婚旅行にはあったのでしょうね」

一般化されはじめた新婚旅行

 その後、新婚旅行はさらに一般化する。戦前の新聞では新婚旅行にまつわる記事が度々紹介されるように。

昭和11年11月16日の読売新聞では、大安の夜に東京駅をたつ“新婚列車”について報じられました。

 熱海行きの車両に二等車2両を増結した特別列車に乗り込み、たくさんの新婚カップルが旅へ向かうようすが紹介されています。新婚旅行が広く浸透していたことがうかがわれますね」

 こういった大々的な新婚旅行も、戦時に入ると一時中断となった。国を挙げた質素倹約の時局となり、新聞報道でも新婚旅行の代わりに神社参詣が推奨されている。新婚旅行が復活を見せるのは、戦後しばらくたってからだ。

「終戦後、戦地から復員してきた人々が結婚をして第一次ベビーブームが始まります。その後、国鉄の発足などもあり、戦後復興が進むにつれて新婚旅行も徐々に再開されました。この時期もやはり箱根や熱海、伊勢などが変わらず人気だったようです。

 旅先に大きな変化が見られたのは、第一次ベビーブームに誕生した世代が結婚し始める1960年代以降。このころには南九州、特に宮崎県が新婚旅行の新定番地として大ブームが起こっています

 高度経済成長に伴い、観光振興のために毎日新聞社が企画した『新日本観光地百選』というキャンペーンの後押しを受け、宮崎交通が日南海岸という新しい観光地を開発。

 また、1960年には昭和天皇の第五皇女・島津貴子さまが結婚され、夫側の実家でもある宮崎県を訪問された。その行程は事実上の新婚旅行として広く報道されている。

さらにその2年後、ご結婚後間もない現上皇ご夫妻もおふたりで宮崎を訪問されています。また、1965年にはNHK連続テレビ小説『たまゆら』の舞台としても知名度が高まり、異国情緒あふれる日本の南国・宮崎は瞬く間に新婚旅行の中心地になりました。

 この時期の新婚旅行の写真を見ると、男性はスーツにネクタイ、女性も白手袋をつけるなど、フォーマルな装いが目立ちます。女性は全員、景色がよく見える窓際に座っているのも印象的です」

海外へも羽を伸ばして

 昭和後期以降、沖縄や離島などさらに遠方への新婚旅行も普及。1973年には変動相場制への移行や、日本とホノルル・グアム間にジャンボジェットが導入されたことから、ハワイ、グアム、東南アジアなどへの海外旅行も一気に増加していく。

「沖縄が日本に復帰して今年で50年になりますが、特に1975年の沖縄国際海洋博覧会の開催は沖縄への旅行が普及する大きな契機になったと思います。那覇周辺の道路などが整備され、リゾートホテルなどの開発も進んだことで、沖縄でのリゾートウエディング人気が高まるきっかけとなりました。

 また、同時期にワタベ衣装店(現ワタベウェディング)がホノルルに海外1号店をオープンし、日本の“ハワイアン・ウエディング”を開拓するなど、新婚旅行のバリエーションはどんどん広がっていきました」

 1980年代以降は、北米や欧州などの選択肢も増え、新婚旅行は「豊かさの象徴」にもなった。バブル景気や円高の影響が海外ハネムーン人気を後押しするなか、やはり定番はハワイやグアムだ。

「こうして概観するとわかるように、新婚旅行先に選ばれやすいのはやはり暖かい場所。昭和初期には草津ではなく熱海が選ばれ、その後も宮崎、沖縄の人気を経て、現在でもハワイなどの南国がやはり人気です。

 特にハワイは昭和後期以降、数多くの芸能人が新婚旅行で訪れたり、リゾートウエディングを挙げる様子が度々メディアに取り上げられたこともあり、現在も憧れの新婚旅行先です

 その後、現在に至るまで新婚旅行の在り方はますます多様化している。結婚式の披露宴でのフォトスライドに使用する“映え写真”を撮りに行く婚前プチ旅行や、旅先でウエディングドレスを着て写真を撮る“ハネムーンフォト”といったプランも人気だ。

「現代の新婚旅行は、夫婦になるための通過儀礼としての意味合いは薄れ、ふたりで過ごすかけがえのない一瞬を撮影する記録の旅といった側面が大きいかもしれません。そのロケーションとしても“映えスポット”の多いハワイなどの南国は、格好の旅行先といえるかもしれませんね」

 コロナ禍や円安の影響も長引くなか、今後の新婚旅行のトレンドがどう変わっていくのか、興味は尽きない。

日本人のハネムーン史

『ホネームーン』から『フォトウエディング』まで、時代に合わせて変化を続ける新婚旅行。明治期から現在まで、その変遷をたどる。

明治期……関東では逗子、江ノ島が人気

 近郊の海水浴場は一般の旅行先としても人気で、新婚旅行の目的地にもなっていた。そのほか、鎌倉や湯河原といった例もあるが、いずれも上流階級の一部の間でのみ行われる程度。

大正〜昭和前期……熱海行きが新婚夫婦であふれる

 新婚旅行が一般に浸透する過渡期は、熱海や箱根といった温泉地が定番。このころは酒色に富んだ娯楽地というよりは、閑静な保養地の風情を残しており、新婚夫婦にも好まれた。

昭和中期〜後期……九州の温泉地が爆発的人気に

 戦後の新観光地開発や、皇族の来訪といった影響もあり、空前の宮崎への新婚旅行ブームが到来。明るく伸びやかな雰囲気の「日本の南国」に憧れる新婚カップルが急増した。

平成前期〜中期……国内外でのリゾート婚が定着する

 海外旅行が一般化し、沖縄や周辺離島のほか、ハワイやグアムなど、時間や費用をかける新婚旅行の「リッチ化」が顕著に。新婚旅行と挙式を兼ねたリゾートウエディングも人気。

平成後期〜現在……“挙式前”“映え”がキーワードに

 結婚式の前撮りを兼ねた婚前旅行や、海外でウエディングドレスを着て記念撮影をするフォトウエディングが流行。一方、長引く不景気の影響で、新婚旅行をしない「ジミ婚」派も。

お話を伺ったのは……今井重男さん●千葉商科大学副学長、千葉商科大学サービス創造学部教授。経営学を主たる専攻として、日本のブライダル産業やブライダルサービス、ブライダルツーリズムなどを研究。

(取材・文/吉信 武)

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