音楽大量消費時代の到来とジェネレーションXの救世主/ みの『戦いの音楽史』

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2022年05月19日 15:31  ダ・ヴィンチWeb

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写真みの
みの
戦いの音楽史

YouTube「みのミュージック」で独自の音楽批評を行う、みの氏。著書『戦いの音楽史』では、20世紀ポップスの歴史を軸に、世界と日本音楽の発展を解説しています。

アーティストというのは一見、深く考えずノリで、自分たちの好きなことで偶然スターになったと思われがちです。しかし彼らの地に足つけた、マーケティング術、リーダーシップ、リスク管理能力の高さは必見! 様々な逆境を越えたエピソードの数々は胸を打つことでしょう。

 パンク・ロックの鎮静化に伴い、パンクの精神はオルタナティヴ・ロックが受け継ぐことに。そして、音楽大量消費時代到来のなかで、アンダーグラウンド音楽がメジャーシーンを喰う快進撃が始まります。

『MTV』と音楽大量消費時代

 1980年代に入り、アメリカでは景気が上向き傾向を見せ始めます。1982年には音楽記録媒体としてコンパクトディスク(CD)の生産がスタートし、音楽もかつてないほど需要が高まります。

 そうした音楽産業を大きく支えたのが、1981年に開局したポピュラー音楽の専門チャンネル『MTV』でした。『MTV』では、24時間ミュージック・ビデオ(MV)が流されます。

 それまでは、コンサート活動休止後のビートルズが楽曲と映像を組み合わせて発表するといった例はあっても、MVという概念はありませんでした。『MTV』の開局当時も、人々はまだ映像のもつ曲の波及効果について気づいておらず、MVとはいえ、単にライブ映像やレコーディング風景にスタジオ録音の音源を当てるといった作りばかりでした。

 ですが、MVがテレビで繰り返し流され続けることで曲がヒットし、ヒット曲はさらにヒットするようになり、MVが重要性をもつようになります。

 すると、MVに制作費をかけるアーティストが出てきます。その筆頭格はマイケル・ジャクソンです。ジャクソン5の活動と並行して1971年よりソロ活動をスタート。プロデューサー、クインシー・ジョーンズと出会い、アルバム『オフ・ザ・ウォール(Off the Wall)』『スリラー(Thriller)』『バッド(Bad)』を発表して、大きな成功を得ます。

 1982年に発表した『スリラー』からのシングルカット曲「スリラー(Thriller)」ではストーリー仕立てのMVを作り、1986年の「バッド(Bad)」では監督にマーティン・スコセッシを迎えました。マイケル・ジャクソンによってMVはより洗練された映像作品として発展します。

 今は、ヒットを生み出すにはSNSからどう波及させるかが重要ですが、1980年代のポップスは、テレビから流れるMVのインパクトで波及力を求めていたのです。“キング・オブ・ポップ”と称されるマイケルをはじめ、マドンナ、プリンスが同じように映像の力を利用し、1980年代のポップスを制しました。

 MVの重要性が増したことで、アメリカのロック界での売れ筋だったヘヴィメタル勢は、化粧や衣装でより派手さを増します。映像での“映え”をもろに意識し、ヘアスプレーを多用したスタイルを「ヘアメタル」といったりするようになります。

 よりビジュアルが重視された1980年代のスターは美男、美女ばかり。そうした傾向に不満をもった若者たちは、新しいジャンルを求めて二つの道へ進みます。一方は、オルタナティヴやグランジへ。もう一方は、ヒップホップです。

ジェネレーションXの救世主

 アメリカでは、1960年代初めのケネディ政権の時代から、1970年代後半のベトナム戦争後までの時代に生まれた世代を「ジェネレーションX」と呼んでいます。ヒッピー・ムーヴメントの衰退とベトナム戦争終結後の、やや白けたムードの社会で10代を過ごした世代です。彼らのなかには、当時アメリカで売れ筋だった「ヘヴィメタル」や『MTV』の派手な世界観に共感できない人たちもいて、自分たちの代弁者を求めていました。

 そこで登場したのがニルヴァーナです。1987年に結成、アンダーグラウンドから突如現れ、カリスマ的な支持を得ます。

 ファースト・アルバムは、シアトルのインディ系レーベル、サブ・ポップから発売。大きなセールスに結びつきませんでしたが、メジャー・レーベルから1991年に発表した2枚目のアルバム『ネヴァーマインド(Nevermind)』は、Billboard 200でいきなり1位を獲得します。

 バンドのフロントマン、カート・コバーンはこのアルバムを発表する前から「パンクをアメリカのチャートに入れる」と宣言していて、メジャーでのヒットをかなり意識して制作していたことがうかがえます。のちに商業的な成功を収めたことに葛藤し、薬物依存に苦しんだ状況を考えるとやや想像できない話ですが、当時は、売れ線のパンクを作ろうと意欲的だったのです。

ニルヴァーナ

 『ネヴァーマインド』からの先行シングル、「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット(Smells Like Teen Spirit)」で繰り返される「なあ、どんだけオチてる?」というようなネガティヴな歌詞も、ジェネレーションXの若者たちの心をとらえました。そして、ニルヴァーナは絶対的な存在となり、売れ筋のヘヴィメタルよりも、アンダーグラウンドの傾向をもつ音楽が支持を得るという、ヒットの逆転現象が起こります

 ニルヴァーナの登場によって、アンダーグラウンドで活動していたオルタナティヴ・ロックのバンドも活躍が目立つようになります。シアトルから、パール・ジャムやサウンドガーデンといったバンドが登場します。

 シアトル出身のオルタナティヴ・ロックのバンドの音楽を指して「グランジ」といいますが、グランジの音楽をたとえるときによく、「パンクとブラック・サバスの結婚」と表現します。パンクだけれど、それ以前のロックの要素も取り入れているのが特徴です。

 オルタナティヴ・ロックはさらに1990年代を通して浸透していきます。

 ジェーンズ・アディクションのフロントマン、ペリー・ファレルが1991年にロックフェスティバル「ロラパルーザ」を開催。オルタナティヴのバンドが多く出演します。アメリカからカナダにかけての多くの都市を数か月かけてまわるツアー形式のフェスティバルで、1997年まで毎年行われました。その後、2003年に再開。2005年以降はシカゴで、2011年からは世界各地で続けられています。

 ケーブル・テレビ局の音楽専門チャンネル『MTV』では、ヘヴィメタルのMVに替わって、オルタナティヴ・ロックのMVが頻繁にかかるようになります。また、『オルタナティヴ・ネイション』というオルタナティヴ専門の音楽番組も始まります。

 攻撃対象だった立ち位置に自分たちが身を置くことになり、オルタナティヴ・ロックはカート・コバーンの考えていたパンクの精神性とはズレが生じることになりました。政権をとると大義を失う──このジレンマはパンクの悲しき宿命といえます。

 そして、1990年前後のアメリカで隆盛を極めたオルタナティヴ・ロックとグランジは、1994年にニルヴァーナのフロントマン、カート・コバーンが自殺したことにより、影をひそめることになります。

イギリスでのパンクの行方

 1970年代の終わりに大義を失ったパンクは、イギリスでもオルタナティヴへと向かいます。パンク的な態度を維持しつつ、シンセサイザーやノイズも取り入れて、サウンドの幅を広げていきました。1970年代の終わりから1980年代前半に生まれたこうしたサウンドの特徴をもつバンドは「ニュー・ウェイヴ」と呼ばれます。

 一方で、同時代のハードロックやプログレッシブ・ロックは、ニュー・ウェイヴやパンクからもはや“オールド・ウェイヴ”だと攻撃されます。“ダイナソー・ロック(化石みたいなロック)”と揶揄されることもありました。

 そこで1970年代後半では、パンク以降のニュー・ウェイヴに対して、ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタル(NWOBHM)というムーヴメントが起きます。これは、パンクに対して「僕たちは伝統的なハードロックを継承しながらも、ニュー・ウェイヴである」という立ち位置でした。代表的なバンドにアイアン・メイデン、デフ・レパードがいます。

LAメタルの源流とスラッシュメタル

 1970年代終わりにはアメリカで、ハードロックの王道として、ロサンゼルス出身のヴァン・ヘイレンが登場していました。歌詞の内容は「パーティー、女の子、カリフォルニア!」といった感じでお気楽でわかりやすいもの。一方でギタリストのエディ・ヴァン・ヘイレンが取り入れたライトハンド奏法といった革新的な演奏技術が注目されます。1978年のファースト・アルバム『炎の導火線(Van Halen)』は大ヒットとなりました。

エディ・ヴァンヘイレン

 ヴァン・ヘイレンの活躍は、西海岸でのハードロックの方向性を決定づけ、「LAメタル」「グラムメタル」の源流となります。そしてモトリー・クルー、真打ちとして1980年代後半にはガンズ・アンド・ローゼズが登場します。

 一方で、ハードロックやヘヴィメタルのような激しい音楽をやりたいけれど、ロサンゼルス勢のようなけばけばしさには共感できない若者たちが現れます。

 アメリカにいながら、イギリスのNWOBHMを聴いていた非常にコアな人たちで、輸入レコードを友人たちとシェアしていました。彼らはハードコアも好み、やがてNWOBHMとハードコアの二つの要素を合わせた音楽を始めます。

 ヘヴィメタルの重たい感じとハードコアの高速性と攻撃性をミックスした、より狂暴化したメタルで、当時『MTV』に出ていたような売れ筋のメタルとは一線を画したものになりました。そして「スラッシュメタル」という新ジャンルが誕生します。

 1980年代にデビューしたメタリカ、メガデス、スレイヤー、アンスラックスが代表格で、日本では“スラッシュメタル四天王”といわれています。

 パンクの要素ももっていたスラッシュメタルは、オルタナティヴ・ロックからも一目置かれる存在となります。特にメタリカはサンフランシスコの出身ということで、LAメタルの対抗勢力と位置づけられました。

 メタリカのドラマー、ラーズ・ウルリッヒはデンマーク人で、1980年に17歳で家族と一緒にアメリカに移住。ヨーロッパにいた彼はイギリスの音楽シーンのムーヴメントをいち早くキャッチしていました。そのおかげで、アメリカではほとんど聴かれていなかったNWOBHMに、ハードコアを組み合わせるというメタリカの着眼点は、非常に斬新なものになります。

 バンドメンバーの典型的なファッションも、LAメタル特有のけばけばしさと違い、“ジーンズに、NWOBHMなどのバンドTシャツのみ”というシンプルなもの。ロングヘアでも逆立てることはせず、ただ長く伸ばしているだけ。化粧もせず、汚いスニーカーで無骨なスタイルだったことも、LAメタルと一線を画す存在としてとらえられた理由の一つでした。

(第12回につづく)


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