「傷口にペン先を当てて作品を書いてきた人だった」 瀬戸内寂聴の生き様がドキュメンタリー映画に

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2022年05月19日 17:00  AERA dot.

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写真京都の寂庵で月に一度行っていた法話。多くの人が瀬戸内寂聴さんの話を楽しみにしていた (c)2022「瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと」製作委員会 
京都の寂庵で月に一度行っていた法話。多くの人が瀬戸内寂聴さんの話を楽しみにしていた (c)2022「瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと」製作委員会 
 波瀾万丈の人生を歩み、多くの著書を残した瀬戸内寂聴さん。生前の姿を追ったドキュメンタリー映画が、5月27日から全国で順次公開される。大いなる矛盾を抱えて生きた99年の歳月を問う内容に、心が揺り動かされる。AERA2022年5月23日号の記事を紹介する。


【写真】原稿について秘書の瀬尾まなほさんと話し合う瀬戸内寂聴さんはこちら
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 作家の瀬戸内寂聴さんが100歳を目前に死去して半年。彼女の生き様を描いたドキュメンタリー映画「瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと」が完成した。


 監督は「NHKスペシャル いのち 瀬戸内寂聴 密着500日」や「アナザーストーリーズ 運命の分岐点 愛を生き切った人〜瀬戸内寂聴の99年〜」(いずれもNHK総合)などを制作した中村裕さん(62)。


 全国を飛び回る瀬戸内さんを追いかけ、寂庵(じゃくあん)のダイニングキッチンにまで小さなカメラを持ち込んで共に飲み食いし、時には酔ったままで会話をする様を撮り続けた。300時間にも及ぶ映像と、ほかの取材記録とともに編集したのが本作である。


 2人の初めての出会いは、特に彼が強く願ったものではなかったという。


「2004年にMBSの番組『情熱大陸』を作ることになり、取材をさせていただいたのが最初です。でも、それまで僕は先生の本を一冊も読んだことがなかったし、興味もありませんでした。お会いした時に、先生の本の中で僕が読んでおいた方がいいものを推薦してくださいと聞いたくらい(笑)。『夏の終り』と『場所』ねと言われて。それでも全然怒られませんでした」


■死ぬまで私を撮影して


「情熱大陸」に続き、05年にはNHKBSのドキュメンタリー「世界 時の旅人 フランソワーズ・サガン その愛と死/旅人・瀬戸内寂聴」を手がけた。長期間のフランス取材旅行に密着し、すっかり親しくなった。その後もいくつか番組をつくった。全集を送ってもらった時には、会社を1カ月休んで読めるだけの作品を読んだ。


 瀬戸内さんは年の差37歳の中村さんをいつも気にかけた。




「先生に『どういう男の人を好きになるんですか?』と聞いたことがあるのですが、男の“くぼみ”を見つけるとそれを埋めたくなるらしいです。先生は自分で稼ぎがあったし恋愛も自由でしょう? だから男を物心両面で面倒を見ることができたんです。くぼみが埋まると興味がなくなるらしいですが(笑)」


ハッパをかけられることも、しょっちゅうあったという。


「僕は離婚して以来ずっと独身なので、いつも心配されていました。何度も『死ぬまで私を撮影して生活の足しにしなさい』『あなたが生きていけるように私を利用しなさい』とおっしゃっていただき、継続してカメラを構えるようになりました」


■「ボケたのか」と号泣


 大掛かりな撮影隊で寂庵を訪ねるわけではない。年に5〜6回、ふらりとアポをとって一人で出かける。公式の場では法衣姿の瀬戸内さんも、中村さんが訪ねる時はTシャツやセーター姿だ。寂庵で年越しをしたことも何度かある。


 その時は寂庵のスタッフも休暇を取っているので2人だけ。おせちやお屠蘇(とそ)が用意された部屋で、いろいろな話をした。寂庵には送られてくる上等な酒がたくさんあったが、その多くが中村さんの腹に収まった。


「よそでは言えない話もたくさん伺いました。また先生は『ナチュラルボーン・インタビュアー』ですから、僕も洗いざらい自分のことを話しています」


 オンライン会議システムZoom(ズーム)での取材がうまくいかず、「私はボケたのか」と号泣する姿もある。瀬戸内さんがあんな風に泣くのかとショックだった。


 いつも明るくにぎやかで率直だった人が抱えている業の深さ。それはかねがね「作家として書き続けることだけが自分に残った欲望」と言っていた人の、老いに対する恐怖心が見えた瞬間だった。


「NHKからはまた番組にしたらと言っていただきましたが、僕としては同じようなものを作るのはつらい。そんな時に100歳の節目に映画という形にしてはというお話があったのです」




 映画の中で瀬戸内さんがこう話すシーンがある。


「あんたは映画を本当にやる気があるのか。臨終のシーンも撮らせてあげるよ。私がいいと言ってるんだからいいのよ」


 酔っていたので覚えていなかったが、死後、録画を見た時には「こんな話までしていたのか」と驚いたという。


■悩める女性の救世主


「僕は先生が103歳とか104歳まで生きるに違いないとたかをくくっていました。最後の年越しの時に『私はもう長くないよ』と言われていたのに。それがコロナでなかなかお会いできなくなって、去年11月にとうとう亡くなってしまわれた。これはもう供養のためにもやるしかないという気持ちでした」


 瀬戸内さんはにぎやかなことが大好きでいつもたくさんの人に囲まれていたが、豊かな孤独の時間も大切にしていた。


 それなのに、出家して寂庵で静かな生活を送ろうと思っていたところ、10年目にお堂を建てて以降は思いがけなく多くの人々と関係することになってしまった。


「悩める女性たちの救世主ですよ。先生がやりたくてそうなったわけじゃない。でも、その方たちから得ることもあったとおっしゃっていましたね」


 人々は瀬戸内さんの前に出ると本音をさらけ出す。


 特に東日本大震災後、たくさんの被災者が岩手県の天台寺に集まって泣きながら瀬戸内さんに語りかける姿は圧倒的である。「この人になら何を言っても受けとめてもらえる」「きっと何か応えてくれる」という捨て身の信頼感さえ感じられる。


「本当に忙しいのに、先生はたくさんの小説も書き続けましたよね。ものを書くことに対する欲は真っすぐだし、強かったし、感動的でもありました。僕の話もいろいろな作品に小説として書かれています。2人で寂庵近くの清滝に蛍を見に行った時のことも、いつの間にか作品になりました」


 それが映画のエンディングにも使われている。余人には入り込めない、エロスさえ感じる2人の世界が確かにあったのだ。


「先生は自分の責任ですべてを生きて、傷口にペン先を当てて作品を書いてきた人。僕はそんな先生からたくさんの薫陶を受けました。『道が二つに分かれていたら危ない方の道を行きなさい。その方が死ぬ間際になっても人生は豊かだから』と。『野垂れ死にしたい』ともおっしゃっていましたね。若いころ、小さな娘を置いて家を出たことに生涯罪の意識を持っていた。自分が病院で安らかに死んでいいはずがないと思っていたのです」


(ライター・千葉望)


※AERA 2022年5月23日号


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  • <傷口にペン先を当てて作品を書いてきた> 他人の傷口に、じゃなかろうね? 中には恨みを抱いている人だっていたんじゃないの?
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