ウマ娘の初代主人公・スペシャルウィーク。その数奇な運命、武豊との出会い、ダービー優勝

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2022年05月23日 10:51  webスポルティーバ

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 G I日本ダービーを語るうえで外せない馬といえば、スペシャルウィーク。今年も日本ダービーに向けて、その走りを振り返りたい。2021年5月18日に配信した人気記事をお届けする。

 実在の競走馬を擬人化した"ウマ娘"を育成するスマホゲーム「ウマ娘 プリティダービー」。このコンテンツは、2021年にゲーム化される前、アニメシリーズが2期にわたり放映されていた。

 そして、その第1期アニメで主人公を務めたのが「スペシャルウィーク」である。




"ウマ娘のスペシャルウィークは、生まれてすぐに母を亡くし、育ての母から厳しいトレーニングを受けて成長した""小さい頃から人間に囲まれていたために、他のウマ娘と接する機会がなかった"という設定はアニメではよくありそうな話だが、決して創作ではない。

 この設定は、モデルとなった競走馬・スペシャルウィークの生い立ちを反映している。そして、そんな数奇な運命を辿ったサラブレッドが、名手・武豊騎手に初となるG菊本ダービー(東京・芝2400m)のタイトルをもたらしたのだった。

 1995年5月2日に生まれたスペシャルウィークは、その5日後に母のキャンペンガールを亡くした。牧場は"育ての母"として乳母馬をあてがったが、この馬の気性が激しく、世話をしないこともあった。そこでスペシャルウィークは、小さい頃からスタッフの人たちが手をかけて育てていった。普段は、他の馬から離れて1頭でいることも多かったという。一方で、その育ちから人によく懐いた。

 やがてデビューしたスペシャルウィークは、3歳(当時の表記は4歳)となった1998年、この世代の主役として大活躍した。何より当時、競馬界の七不思議のひとつとさえ言われた「武豊はダービーを勝てない」という言説に終止符を打ち、この人馬のコンビでダービータイトルを手にすることとなった。

 武騎手がダービーを5勝した今となっては信じられないが、この天才ジョッキーにとって、競馬界最高峰とされるダービータイトルは鬼門だった。騎手デビューから軒並み大レースを制する中、ダービーは9連敗。特にスペシャルウィークの2年前、1996年には圧倒的1番人気(単勝オッズ2.3倍)のダンスインザダークで勝てるかと思いきや、7番人気フサイチコンコルドにゴール前で強襲され、2着に沈んだ。

 武豊はダービーを勝てない――。そう言われるなか、スペシャルウィークは武騎手とのコンビでデビューし、4戦3勝、重賞2勝の成績で3歳春を迎えた。目指すは3歳馬が世代限定で挑む三冠クラシック(皐月賞・日本ダービー・菊花賞)。その頂点にダービーがあった。

 第1弾の皐月賞を1番人気ながら3着と落とし、またも"嫌なムード"が若干漂っていた1998年の日本ダービー。それでも圧倒的1番人気となったスペシャルウィークと武騎手は、スタートから中団を進む。そして直線、馬群の間を割って抜け出すと、ここからが早かった。一瞬の加速で瞬く間に後続を突き放したのだ。

 ゴールまで勢いは衰えることなく、終わってみれば5馬身差の圧勝。勝つ時はこれほどあっさり決まるものか、と思った記憶がある。

 しかし、実際は相当な重圧を感じていたのだろう。直線で抜け出した時、武騎手はムチを落としてしまったのだ。さらにゴール後、彼は生涯でも一、二を争うほどの大きなガッツポーズを見せていた。

 天才ジョッキーが重圧を背負うなか、そのプレッシャーを跳ね除けて力強く抜け出したスペシャルウィーク。あの時の頼もしさが印象に残っている。幼い頃から波乱の境遇で育った馬にとって、また、ダービーに手が届かなかった若き名手にとって、最高の人馬の出会いだっただろう。

 このコンビの快進撃は、翌1999年も続いた。なかでも印象的なレースは、1999年11月28日に行なわれたG汽献礇僖鵐ップ(東京・芝2400m)である。

 4歳となった1999年春、スペシャルウィークは武騎手とともに2つ目のG汽織ぅ肇襪魍容澄6デ漏Δ魄っ張る1頭になっていた。秋も、格下相手の前哨戦でまさかの7着大敗を喫しながら、続くG掬傾直沺秋(東京・芝2000m)を後方一気の追い込みで勝つなど、実力は健在だった。

 そんな復活劇の直後、11月のジャパンカップで大仕事が舞い込む。当時「世界最強」と言われ、ヨーロッパ伝統のG騎旋門賞(フランス・芝2400m)を制したモンジューが参戦することになったのだ。

 そしてこの一戦は、単に世界最強馬を迎え撃つだけの話ではなかった。モンジューに対しては、特別な因縁があったのだ。

1999年、スペシャルウィークと同世代のエルコンドルパサーが、異例の海外挑戦を表明した。それは、4月から約半年にわたってヨーロッパに長期滞在し、10月の凱旋門賞を大目標に現地でレースをこなすプラン。個人的には、1995年にメジャーリーグに挑んだ野茂英雄、1998年からセリエAに移籍した中田英寿と並べたくなるほど、大きな海外挑戦だった。

 この遠征は成功し、春にはフランスのG気鮴覇。そして目標の凱旋門賞でも主力として出走した。しかし、エルコンドルパサーは終始先頭をキープするも、最後の最後にモンジューに差されてしまった。

 その宿敵モンジューが日本にやってくる。当時は今以上にヨーロッパの馬の強さが際立っていた時代。それでも、なんとか仇を取って欲しかった。まして今回はこちらのホーム。そこで、日本馬総大将となったのがスペシャルウィークだった。

 レースでは後方に待機し、その後ろにモンジューが付ける形。馬群が3コーナーをすぎた時、スペシャルウィークと武騎手がスルスルっと上がっていく。ここでモンジューはやや離されてしまった。

 そして直線。スペシャルウィークが早々と抜け出すと、海外勢に先頭を譲らずゴールへ。モンジューは外から懸命に追い上げるも4着が精一杯だった。

 エルコンドルパサーの借りを返した、というのは勝手な幻想かもしれないが、このレースは力が入った。多くのファンがそんな思いを抱いていたはずだ。その中で、きっちりと仕留めたスペシャルウィーク。ダービーにせよジャパンカップにせよ、つくづく重圧のなかで"頼りになる馬"だった。

 続く12月のG詰馬記念(中山・芝2500m)を最後に、スペシャルウィークは引退した。その舞台では、やはり同世代のライバル・グラスワンダーにわずか4cmの差で惜敗(2着)。だが、実はレース後、武騎手は勝利を確信してウイニングランをしてしまった。

 珍事といえば珍事だが、今となってはこの人馬の微笑ましいエピソードに思える。振り返ると、スペシャルウィークはレースのたびにさまざまなポジションから、さまざまな戦略をとった。先行して早々先頭に立つこともあれば、最後方から直線一気の追い込みを見せたこともある。ジャパンカップの3コーナーもそのひとつ。武騎手と息を合わせ、人馬一体でレースを作っていたように見えてならない。

 もしかするとそれは、幼い頃から人に育てられ、よく懐いたことも影響しているのかもしれない。生まれた直後に母を亡くしたスペシャルウィーク。その1頭が、やがて名手・武豊と出会い、最高のコンビとなっていく。この馬の生涯を振り返った時、そんな人との"縁"に想いを馳せてならない。

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  • 産まれてすぐにお母さんが亡くなっていたのですね!
    • イイネ!14
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