冠名「メジロ」の最強馬は? ウマ娘でも最大勢力、記憶に残る名門の名馬を振り返る

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2022年05月24日 18:00  AERA dot.

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写真メジロで最も有名かつ活躍したのはメジロマックイーン
メジロで最も有名かつ活躍したのはメジロマックイーン
 長い競馬の歴史ではさまざまな流行り廃りがあるが、最近はほとんど見られなくなったもののひとつに「冠名」がある。


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 冠名とは馬主が所有馬の名前に共通して入れる文言のこと。三冠馬シンボリルドルフを例にとると、「シンボリ」の部分がそれにあたる。かつては何十頭も個人で所有するオーナーや一口馬主のクラブなどがよく用いていたが、近年はそうした大馬主が減ってきたことや冠名を用いないクラブも増えてきたことが冠名の衰退につながっている。


 だが昭和や平成から競馬を見てきたファンにとって冠名がなじみ深いのもまた事実。そこで今回は「メジロ」を冠名とする馬たちを振り返ってみようと思う。


 メジロとは、日本屈指のオーナーブリーダーとして知られたメジロ牧場が用いていた冠名(オーナーの北野家やメジロ商事名義の所有馬も含む)。メジロの名を冠した活躍馬は数多く、人気ゲーム「ウマ娘」でも「メジロ家」として22年5月時点で6頭が登場し、最大勢力を築いている。


 そんなメジロで最も有名かつ活躍したのはメジロマックイーンで異論はないだろう。1990年に菊花賞を制し、91年と92年には天皇賞(春)を連覇。93年の宝塚記念を含めてG1を4勝した名馬だ。


 一方でメジロマックイーンは負けたレースも印象的なものが多い。91年の天皇賞(秋)では6馬身差をつけて1位入線するも、進路妨害でまさかの18着降着。同年の有馬記念では「なんとびっくり!」で知られる伏兵ダイユウサクの2着に敗れた。


 そして3連覇がかかっていた93年の天皇賞(春)では前年の菊花賞馬ライスシャワーの2着。いずれのレースも負けたことでファンを驚かせたが、裏を返せばそれだけマックイーンが勝つと信じたファンが多かった証でもあるだろう。


 余談だがマックイーンはメジロ牧場の生産馬ではない。母のメジロオーロラが預託されていた吉田堅牧場の生産馬として登録されていた。マックイーンの半兄で有馬記念を制したメジロデュレンも同様だ。



 マックイーンを語るうえで外せないのは、親子三代による天皇賞制覇。メジロ牧場は天皇賞を勝つことを至上命題として数々のステイヤーを輩出した。初代にあたるメジロアサマは当時3200メートルだった1970年の天皇賞(秋)を勝利。その数少ない産駒の中から82年の天皇賞(秋)をレコード勝ちしたメジロティターンが出た。その息子が三代目のメジロマックイーンで、マックイーンはまさにメジロ牧場の意思が具現化したような存在だった。


 マックイーンが菊花賞を勝った90年クラシック組は、メジロの歴史の中でも最高の当たり年。この世代で最も早く出世したのは弥生賞を勝ってクラシック候補に躍り出たメジロライアンだった。


 だがライアンは皐月賞でハクタイセイの3着、ダービーでもアイネスフウジンの2着に敗れ、秋の菊花賞では遅れてきた同期生のマックイーンの3着に終わってクラシック無冠に。暮れの有馬記念でも奇跡の復活を遂げたオグリキャップの2着に甘んじた。それでも翌91年の宝塚記念ではマックイーンを2着に下して悲願のG1初制覇を達成している。


 クラシックで輝いた2頭に比べて条件戦からコツコツと叩きあげて大成したのがメジロパーマーだ。クラシックには出走すらかなわず、G1初挑戦だった91年の天皇賞(春)は16番人気で13着。その年の夏に札幌記念で重賞初制覇するも、秋には障害レースに転向させられるなど雌伏の時が長かった。


 再び平地のレースに戻った92年は5月に新潟大賞典を7番人気で勝って重賞2勝目を挙げるも、続く宝塚記念は9番人気。しかしパーマーはマックイーンもライアンも不在だったこのレースを見事に逃げ切り、ファンをあっと言わせた。さらに年末の有馬記念では15番人気でまたしても逃げ切りに成功。首の高い独特のフォームで大穴を開ける個性派の逃げ馬として人気が高い馬だった。


 この3頭のうち、最も種牡馬として成功したのはメジロライアンだ。96年にデビューした初年度産駒からいきなり阪神3歳牝馬ステークスでG1制覇のメジロドーベルが登場。ドーベルは翌97年もオークス、秋華賞を勝利し、98年からはエリザベス女王杯を連覇してG1を通算5勝。最優秀3歳牝馬、最優秀4歳牝馬、そして最優秀5歳以上牝馬を2回と、4年連続でJRA賞に選出されるなど長く活躍した。



 ドーベルと同期で3歳時(旧馬齢表記)にG3ラジオたんぱ杯3歳ステークスを勝ったメジロブライトは、クラシックこそ皐月賞4着、ダービー3着、菊花賞3着と父同様の無冠に終わったものの、98年にメジロではマックイーン以来となる天皇賞(春)制覇を果たした。


 ブライトの半弟にあたるメジロベイリーもG1勝ち馬。自家生産の種牡馬を重視していたメジロ牧場としては珍しく社台ファームの名種牡馬サンデーサイレンスの産駒で、2000年にG1朝日杯3歳ステークスを勝って最優秀3歳牡馬に選ばれた。ちなみにこの年はラジオたんぱ杯3歳Sにアグネスタキオン、ジャングルポケット、クロフネが出走。最強世代談義では高確率で話題に上る01年クラシック世代だったが、ベイリーは皐月賞前に故障離脱している。


 長距離戦の天皇賞を目標としての生産ゆえにメジロは牝馬の活躍馬が少なかったが、ドーベルが出るまでメジロ史上最高の名牝と謳われていたのがメジロラモーヌ。86年に桜花賞、オークス、エリザベス女王杯をすべて勝ち、いわゆる牝馬クラシック三冠を達成した(当時は秋華賞はまだなかった)。


 この年限りで早々に引退して繁殖入りすると、シンボリルドルフとの産駒で「十冠ベイビー」として注目されたメジロリベーラ、サンデーサイレンス産駒のメジロディザイヤーなどを送り出したが、活躍馬は残念ながら出なかった。


 ラモーヌの半弟、メジロアルダンはキャリア3戦で挑んだ88年のダービーでサクラチヨノオーから0.1秒差の2着に惜敗。脚元の弱さで大成しきれなかったが、古馬となってから天皇賞(秋)で3着、2着などオグリキャップ世代の名脇役として存在感を発揮していた。


 そのほかにも、三冠馬ミスターシービーを相手に皐月賞とダービーで2着と善戦したメジロモンスニー、障害レースで活躍したメジログッテンやメジロファラオ、短距離を主戦場とする異色のメジロとして活躍した持ち込み馬のメジロダーリングなどを出してきたメジロだが、2011年5月にメジロ牧場の解散が決定。すでにメジロの名を冠して走る競走馬はなく、今では血統表の中にその名を残すのみとなっている。(文・杉山貴宏)


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