巨人・中島宏之は通算2000本安打を達成できるか。偉業達成寸前で涙を呑んだ7人の好打者たち

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2022年05月26日 11:11  webスポルティーバ

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 巨人・中島宏之が4月27日のDeNA戦で満塁ホームランを放ち、5月17日の広島戦ではサヨナラ安打と、39歳となった今も健在ぶりを発揮している。今シーズン、2000本安打まで残り101本でスタートした中島は、ここまで(5月25日現在)14安打。偉業達成まであと87本となった。「名球会」入りの条件である2000本安打に届くか否かは、印象度においても雲泥の差だ。そこで偉業寸前で涙を呑んだ7人の選手を紹介したい。




谷佳知(オリックス、巨人)/通算1928安打

 谷は大商大から三菱自動車岡崎を経て、1996年ドラフト2位(逆指名)でオリックスに入団した。プロ5年目の2001年にシーズン52二塁打の日本記録を樹立し、2003年にはシーズン189安打を放ち、打率.350の好成績を挙げるなど、オリックスの中心選手として活躍した。

 2006年オフ、トレードで巨人へ移籍。この時点で通算1406安打だった谷は、移籍1年目の2007年に自己最多の141試合に出場し、172安打、打率.318と2000本安打に向けて順調なスタートを切った。

 その後も103安打、95安打と安打を積み重ねていったが、松本哲也、長野久義が台頭し、徐々に出番を減らしていく。結局、2010年から4年間で145安打しか積み上げられず、2013年オフに巨人から戦力外通告を受ける。

 2000安打まで残り79安打となった谷は、オリックスへ復帰。古巣での偉業達成が期待されたが、2014年は2安打、2015年は5安打しか放つことができず、通算1928安打(2000安打まで残り72本)で現役引退となった。

井端弘和(中日、巨人)/通算1912安打

 1997年に亜細亜大からドラフト5位で中日に入団した井端弘和は、プロ3年目の2000年から頭角を現す。落合博満監督になった04年からは不動のレギュラーとして活躍。なかでも荒木雅博との「アライバ」二遊間コンビは、リーグ優勝4回、日本一1回を達成した「落合・中日」のシンボルだった。

 井端は2001年から9年連続シーズン100安打以上を達成し、うち4回は170安打以上を放つなどリーグ屈指の好打者として活躍。だが13年オフ、契約で球団と折り合いがつかずに中日を退団。この時点で、2000本安打まであと193本に迫っていた。

 その後、移籍した巨人では、内野のユーティリティープレーヤーとして持ち味を発揮。2014年に42安打、15年に63安打と順調に安打を積み重ねたが、オフに同じ年の高橋由伸が巨人の新監督に就任することになると、「由伸より長くやることはないと思っていた」と、2000本まで残り88本としながら、あっさりと現役引退を決意した。

松永浩美(阪急、オリックス、阪神、ダイエー)/通算1904安打

 スイッチヒッターの先駆けは柴田勲(巨人)。その後、70年代から80年代にかけて高橋慶彦、山崎隆造、正田耕三(いずれも広島)、松本匡史(巨人)といったスイッチヒッターが活躍した。

 なかでも松永浩美(阪急など)は、"1試合左右両打席本塁打"を日本人最多の6度記録し、「史上最高のスイッチヒッター」と称されている。

 福岡・小倉工業高を中退した松永は、1978年に練習生として阪急に入団。翌年、支配下選手として登録されると同時に、コーチの勧めにより左打ちの練習を始めるようになる。81年に初めて一軍の試合に出場すると、翌年からレギュラーとして活躍。

 1983年から10年連続100安打以上を放ち、うち3割以上は6回と、リーグ屈指のヒットメーカーとして相手チームに恐れられた。

 1993年に野田浩司とのトレードで阪神に移籍。中日との開幕戦で5打数5安打、8月のヤクルト戦では伊東昭光、石井一久、荒木大輔から3試合連続先頭打者アーチの快挙を達成。しかし、この年はケガもあって80試合の出場にとどまり、安打数は89に終わった。

 するとこのオフ、導入されたばかりのFA権を行使してダイエーへ。移籍1年目の1994年に150安打を放つも、以降3年間は76安打、45安打、3安打と急激に低下し、2000本安打まであと96本としながら自ら自由契約を申し入れた。

 その後、MLBでの現役続行を目標にオークランド・アスレチックスの入団テストに参加するも、成績が振るわず現役引退を決めた。

真弓明信(太平洋、クラウンライター、阪神)/通算1888安打

 柳川高校(福岡)から電電九州を経て、1972年にドラフト3位で太平洋クラブライオンズ(77年からクラウンライターライオンズ、79年から西武ライオンズ)に入団。1978年には初の規定打席に到達し、117安打を記録。ベストナインにも選出された。

 同年オフに田淵幸一、古沢憲司との「世紀のトレード」で若菜嘉晴、竹之内雅史、竹田和史とともに阪神へ移籍。阪神では1979年から10年連続100安打以上を記録し、83年からは5年連続20本塁打以上をマークするなど、「長打の打てる1番打者」として活躍した。

 1983年は158安打、打率.353で首位打者を獲得。85年には打率.322、34本塁打、84打点の活躍で優勝に貢献した。だが89年以降は出番も減少し、92年からは代打の切り札となるも、思うように安打を積み重ねることができず、95年に現役を引退。通算安打数は1888本だった。

木俣達彦(中日)/通算1876安打

 1964年にプロ入りした木俣は、8年連続ベストナイン捕手の森昌彦(巨人)の牙城を崩し、69年から3年連続を含む5度ベストナインを受賞。69年にはセ・リーグの捕手として初めて30本を超える33本塁打をマークした。

 左足を高く上げ、バットを斧のように振り下ろす打ち方は「マサカリ打法」と呼ばれ、"打てる捕手"として確固たる地位を確立した。

 だが1981年にヒザの故障もあって64安打に終わると、翌年は同じチームの中尾孝義がセ・リーグの捕手として初のMVPを獲得するなど台頭。この年、木俣は48試合の出場で9安打しか放つことができず、潔く引退を決意した。

 木俣の通算1876安打は、野村克也(南海ほか)、阿部慎之助(巨人)、谷繁元信(横浜ほか)、古田敦也(ヤクルト)に続く、捕手として史上5位の安打数である。

村田修一(横浜、巨人)/通算1865安打

 東福岡高校時代の3年春のセンバツで、当時エースだった村田は横浜高校の松坂大輔と対戦。その時、松坂のピッチングを見て投手としての限界を感じ、日本大学進学後に打者に転向した。

 大学球界屈指の長距離砲となった村田は、2002年に自由獲得枠で横浜(現・横浜DeNA)に入団。1年目から25本塁打を放つなど、自慢の長打力を生かしたバッティングでレギュラーに定着すると、07年36本塁打、08年46本塁打で本塁打王のタイトルを獲得。

 2012年にFAで巨人に移籍すると、本塁打数こそ減少したが、逆にしぶとい打撃が目立つようになった。13年には自己最多となるシーズン164安打を記録するなど、巨人でも順調に安打数を積み重ねていった。

 2017年終了時点で2000本安打まで残り135本としたが、巨人は若返りを図り、村田と契約を結ばなかった。18年にBCリーグ(独立リーグ)の栃木ゴールデンブレーブスに移るが、NPB球団からのオファーはなく、この年限りで引退を決意した。

石毛宏典(西武、ダイエー)/通算1833安打

 入団1年目の1981年、石毛は127安打、打率.311、21本塁打の成績を挙げ新人王に輝く。ちなみに、新人の「打率3割、20本塁打」は、58年の長嶋茂雄(巨人)、石毛、86年の清原和博(西武)、2021年の牧秀悟(DeAN)の4人しかいない。

 石毛はその後も西武黄金期の主力として長く活躍。ルーキーイヤーから1994年まで14年連続100安打以上を放ち、通算1806安打を積み重なる。だが94年オフ、森祇晶監督の後任監督の打診を受けたが、石毛は「今でなくても監督はできるだろうし、2000本安打も頭にあった」と固辞。そして石毛はFA権を行使して、ダイエーに移籍。

 移籍1年目の1995年、故障で出遅れ24安打に終わると、翌年は出場機会も激減してわずか3安打に終わり、オフに来季の構想外を告げられ引退を決意した。

このニュースに関するつぶやき

  • もう2000本名球会とか昭和の変な風習止めたらええねん 令和やねんから 投手で200勝なんかほぼ不可能で しつこくやってる打者だけのもんになってもたんやから
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