「タトゥーでも入場OK」に踏み切った入浴施設の現実 「入れ墨=反社」の印象が消えないワケは

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2022年05月27日 11:30  AERA dot.

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写真入れ墨がタトゥーがあると入場できない入浴施設は多い。写真はイメージ
入れ墨がタトゥーがあると入場できない入浴施設は多い。写真はイメージ
26日朝、読売新聞が配信した<「タトゥー客お断り」の銭湯、地元J3選手は例外>という記事がSNSなどで話題となった。タトゥーがある人の入場を禁止している岐阜県内の入浴施設が「FC岐阜の選手は例外」という張り紙をしたことで、一部の利用客から「FC岐阜の選手だけ特別扱いをするのか」との声が上がり、張り紙を撤去したという内容だった。ネットでは賛否両論が沸いたが、数は少ないものの、入れ墨やタトゥーがある人でも入浴できると公表している施設はある。入れ墨=反社会的勢力との印象が強い日本で、なぜ受け入れを決めたのか。そもそも、入れ墨=反社のイメージはいつごろから根付いたのか。施設や識者を取材した。


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 岩手県一関市にあるサウナを備えた入浴施設「古戦場」は、2021年6月「当店はタトゥー・入れ墨のある方の入浴を許可しております」と入り口に貼り紙を掲示し、ツイッターでも公表した。


 同店は1951年に開業し、サウナを備えた入浴施設としては老舗である。浅野裕美社長は、


「昔から入れ墨があるお客さまはおみえになっていて、他のお客さまから『そういう人がいるならもう来ない』などとクレームを頂いたこともありました。私自身も入れ墨やタトゥーをしている人間ではありませんので、それを目にした時に何も思わないということではありません」


 と率直に思いを話す。


 公衆浴場法では、銭湯が拒否できる客や、客の禁止行為について、「営業者は伝染性の疾病にかかっている者と認められる者に対しては、その入浴を拒まなければならない」「入浴者は、公衆浴場において浴そう内を著しく不潔にし、その他公衆衛生に害を及ぼすおそれのある行為をしてはならない」と定めている。入れ墨についての明確な規定はない。


 安倍政権は17年2月、「入れ墨があることだけを理由に入浴を拒むことはできない」との答弁書を閣議決定した。ちなみに、スーパー銭湯や日帰り温泉施設は「公衆浴場」ではなく「その他公衆浴場」に分類されるが、この閣議決定は「その他公衆浴場」も対象にしたものだ。



 だが実態は、銭湯でも過去のトラブルを理由として入浴禁止とする施設があり、スーパー銭湯や日帰り温泉は禁止している施設が多い。タトゥーのある人が多い訪日客の増加や、日本の若者でもファッション感覚でタトゥーを彫る人が増える中、受け入れの是非はたびたび議論になってきた。


 古戦場のようなタトゥー容認施設は今のところ少数派だが、浅野社長は「OKですよ、とはっきりさせた方が、お客様側も当施設に来るか来ないかの判断がしやすいと考えました」と意図を説明する。


 古戦場では、「(サウナ後の)外気浴の場所での喫煙」「サウナの場所取り」などを禁じており、注意しても守らない場合は出入り禁止とするケースもある。


「これまで発生した(上記の)マナー違反やケンカなどのトラブルは、入れ墨のないお客さまによるものでした。一方、入れ墨があるお客さまはどちらかというと遠慮がちに、静かに過ごされている方ばかりでした。こうした実態を考えた結果、皆さまが安らぐ場所として入浴マナーを守ってくだされば、入れ墨の有無に関係なく、どなたでもいらしてくださいというルールにしました」(浅野社長)


 公表後、特に問題は起きておらず客入りにも影響はないという。なぜ入れ墨のある客がいるのかとクレームが入ることもまれにあるが、その際は施設の考えを説明するようにしている。


「入浴禁止の施設が大半ですからね。こんなふうにタトゥーを入れているんですと丁寧に説明してくださって、本当に入浴させてもらえるのかと問い合わせしてくるお客さまもたくさんいます」(浅野社長)


 そもそも、日本人の入れ墨文化はどのように発展してきたのか。昔から、“その筋”の人たちだけに限られたものだったのか。


 入れ墨の文化に詳しく「イレズミと日本人」などの著書がある都留文科大学の山本芳美教授は、「入れ墨=暴力団組員というイメージが根付いたのは、1960年から70年ごろの『ヤクザ映画ブーム』の影響があると思います。実際には、さまざまな職種の人たちに根付いてきた歴史があります」と話す。



 山本教授によると、入れ墨を彫る文化が確認できるのは縄文・弥生時代。土偶や埴輪を手がかりに、装飾目的や同じ集落に生きる人々のアイデンティティーを示す意味合いがあったと考えられているという。


 だが、そうした入れ墨文化は6世紀後半には途切れた。


「なぜ消えたかは謎なのですが、1000年以上の長い時を経て、17世紀の江戸時代に入ってから復活しました。上方(京都や大阪)の遊女が、客の名前を腕に小さく彫るようになったのです」(山本教授)


 固定客をつけるための「営業」であったとみられる。


 第8代将軍徳川吉宗の1720年。犯罪者に対し、中国で行われていた「黥刑(げいけい)」と呼ばれる、顔や身体に文字や印などの小さな入れ墨を彫る付加罰が科されるようになった。前科をさらすものだが、その入れ墨を隠すために、その上からさらに大きな入れ墨を彫る前科者たちも出始めた。


 その後、1766年ごろには侠客(きょうかく)たちに般若やろくろ首の大きな入れ墨を彫る人たちが現れた。さらに火消しや職人たちの間でも入れ墨が流行ったという。


「火消しであれば『水を呼ぶ』というおまじない的なものだったり、寺社に仏像などの彫刻物があるように、神仏に近づくために体に彫るという意味合いがあったようです。ただ、武士は絶対に入れませんでしたし、町人もごくわずか。社会全体から見ればごく少数の『はねっかえり』の人たちで、当時は憧れの視線で見られる一方で、敬遠される側面はあったのだと思います」(山本教授)


 明治時代に入ると、入れ墨は法により規制されるようになった。


 といっても、現在の軽犯罪法のようなもので科料程度ですんだため、職人らが彫る習慣は続いた。日本に来た外国人の間で彫師の技術が評判となり、記念に入れ墨を彫って帰国する外国人もいたそうだ。


 戦後の1948年に定められた軽犯罪法では、入れ墨に関する規制はなくなった。


「戦後しばらくはお風呂のない家が多く、銭湯で職人さんたちの入れ墨を目にする機会が日常にありました。しかしその後、家でお風呂に入る人がどんどん増え、他人の裸を見る機会が減っていきました。さらにヤクザ映画などの影響もあり、入れ墨=反社会的勢力という印象が強くなっていったのだと考えられます」(山本教授)


 政府は6月中にも訪日外国人観光客の受け入れを再開する方針だ。インバウンドが回復すれば、近い将来、入浴施設のタトゥー問題について再び議論が起きるかもしれない。(AERA dot.編集部・國府田英之)


このニュースに関するつぶやき

  • 刺青やタトゥーなんぞ海外ならまだしも日本じゃ「ワイはカタギやないぞ!ナメたらしばくで!」の目印やからな。仕方ないんやで
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