ノッティンガム・フォレストが24季ぶりに1部復帰! プレミア最終年に在籍したスターたちは今?

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2022年06月03日 17:02  サッカーキング

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N・フォレストの1部復帰を喜ぶサポーターたち [写真]=Getty Images
ノッティンガム・フォレストがプレミアリーグに帰ってくる。5月29日に行われたチャンピオンシップ(イングランド2部)の昇格プレーオフ決勝でハダースフィールドに1−0で勝利し、1部リーグ昇格を決めた。1979年、1980年にはヨーロピアン・カップを連覇した古豪がプレミアリーグの舞台で戦うのは、24シーズンぶりとなる。

 N・フォレストが最後にプレミアリーグに在籍したのは1998−99シーズン。デイヴ・バセット氏の指揮の下で開幕3試合を2勝1敗と好スタートを切ったが、そこから19試合連続で未勝利。1月中旬には元マンチェスター・U指揮官のロン・アトキンソン氏を監督として招へいしたが、悪い流れを変えることはできずに最下位でシーズンを終えた。その後、トップリーグへ戻って来るのに四半世紀近い時を要した。

 スティーヴ・クーパー監督の下、新シーズンはプレミアリーグに残留、あるいはそれ以上の結果を残せるのか。注目が集まるN・フォレストだが、24年前はいったいどのような顔ぶれでトップリーグを戦っていたのだろうか。イギリスメディア『デイリー・スター』は1998−99シーズンに同クラブでプレーをしていた主な選手たちのその後のキャリアを紹介している。

※カッコ内は現在の年齢
[写真]=Getty Images

■GKデイヴ・ビーサント(63歳)


 N・フォレストに加入した当時、デイヴ・ビーサントは既に38歳の大ベテランだった。キャリアで最も輝いた瞬間は、ウィンブルドンに所属していた1987−88シーズンのFAカップ決勝リヴァプール戦。1点リードで迎えた60分に、ジョン・オルダリッジのPKをセーブすることに成功した。勝利の立役者となったビーサントは、キャプテンとしてトロフィーを掲げた。

 30歳の時にイングランド代表から初招集を受け、4位に終わったFIFAワールドカップイタリア1990ではピーター・シルトンのバックアップメンバーを務めた。ニューカッスルやチェルシー、サウサンプトンを経由し、1997年に当時2部のN・フォレストと契約。1年でプレミアリーグ昇格を果たしたが、1998−99シーズンを最下位で終えて2部に舞い戻ることに。降格後もN・フォレストに2年留まったビーサントは、1999−00シーズンのクラブ年間最優秀選手に選出された。

 2001年にポーツマスへ移籍して以降は短期間でクラブを転々とし、現役生活の最後を過ごしたフルアムでGKコーチとして始動。スティーヴニッジ(4部)で同職に就いていた2014−15シーズンには、実の息子で同クラブの控えGKだったサム・ビーサントの負傷離脱を受け、55歳にして選手としてベンチに入ったこともあった! 2015年から3年半に渡ってレディングでコーチを務めて以降は、現場からは遠ざかっている。

■MFナイジェル・クアシー(43歳)


 N・フォレストが24年ぶりのプレミアリーグ復帰を決めた直後、ナイジェル・クアシーは古巣に対し、愛情に溢れた祝福コメントをツイートした。「私は一流のクラブと人たちに恵まれて幸運だった。サッカーと人生において、どんなに長い時間がかかろうとも、忍耐強く待っていれば良いことは訪れる。サポーターに相応しい結果だ!」

 元スコットランド代表MFは1998年に、QPRからプレミアリーグ復帰を果たしたばかりのN・フォレストに移籍。しかし、当時20歳のクアシーにチームを降格の危機から救う力はなかった。翌年もチームに残ったものの、N・フォレストは2部でも14位という散々たる結果に。シーズン終了後、複数のクラブからオファーが届いていたというクアシーは、同じ2部リーグのポーツマスへ移籍した。

 3年目にポーツマスのプレミアリーグ昇格に一役買ったクアシーは、サウサンプトン、ウェスト・ブロムウィッチ、ウェストハムでもトップリーグのプレーヤーとして活躍。キャリアの終盤はコーチ兼任の形でアイスランドの2部リーグのクラブでもプレーをした。2016年に現役を退いた後は、『IPDA Football Academy』というアカデミーを運営し、自らも子供たちへの指導に携わっている。

■GKマーク・クロスリー(52歳)


 13年に渡ってN・フォレストに所属した元ウェールズ代表GKは現在、メンタルヘルスケアの啓蒙活動に勤しんでいる。1998−99シーズンは終盤にビーサントから正GKの座を奪ったが、2部リーグに降格した翌年は反対にシーズン後半からビーサントにポジションを譲ることに。クロスリーはシーズン終了後に当時プレミアリーグ所属のミドルスブラへ移籍し、2003年から3シーズン、フルアムでもプレミアリーグの舞台を踏んだ。

 引退前からコーチ業に携わり、バーンズリーとノッツ・カウンティ、さらに現役最後のクラブとなったチェスターフィールドで計3度に渡ってGKコーチを務めた。2020年1月にチェスターフィールドから3度目の退任を強いられると、ある朝ベッドから出ることができなくなっていたという。33年間も継続したサッカーとの関わりが突然途絶えたのと同じ月に、父親がガンと診断されたことも精神的に大きなダメージを与えたようだ。

 PFA(プロ選手協会)の支援でクリニックにも通ったクロスリーだったが、一番効果があったのは“散歩”だったという。友人から誘われて初めて約10キロの散歩をした後、鬱症状の改善を実感したというクロスリーは、その後も週に80キロほどのウォーキングを欠かさないのだとか。チャリティ活動に加え、トークショーにも精を出し、鉄板ネタは、N・フォレストの他、ダービーやリーズも率いたブライアン・クラフ氏とのエピソードだという。強烈な個性の持ち主として知られたクラフ氏の下で初のプロ契約を交わし、6年に渡ってプレーをした。自身の経験を糧に、現在は芝生から離れた人生も充実させている様子だ。

■FWドギー・フリードマン(48歳)


 ドギー・フリードマンの現役時代を知らなくても、同氏の名前を聞いたことがあるプレミアリーグのファンは少なくないだろう。2021−22シーズンのFAカップでベスト4入りの躍進を見せたクリスタル・パレスにて、2017年からスポーツ・ディレクター(SD)を務める人物がフリードマンだ。

 1998−99シーズンにウルヴァーハンプトンからN・フォレストに加入した元スコットランド代表FW。プレミアリーグで31試合に出場し9得点を記録したものの、チームを残留に導くことはできず。2000年に古巣であるクリスタル・パレスに復帰し、2005年からはコーチ業も兼任した。サウスエンドでのプレーを最後に2010年で現役を退いた後は、クリスタル・パレスのトップチームでアシスタントコーチに就任。翌年、同クラブの監督に昇格した。

 ボルトンでも監督を務めたフリードマンは、2015年2月にスチュワート・ピアース氏の後任監督として、N・フォレストに復帰。しかしチャンピオンシップの下位に低迷するチームを立て直すことはできず、約1年で解任を告げられた。

 2017年夏にSDとしてクリスタル・パレスに戻ったドギーマンは、同職で才能を開花。昨年夏にはパトリック・ヴィエラ監督を招へいすると、チェルシーから逸材のMFコナー・ギャラガーをローンで、DFマーク・グエーイは完全移籍で獲得することに成功。ヴィエラ監督の下で著しい成長を見せた両選手は、クリスタル・パレスの選手としてイングランド代表デビューも果たし、今月のUEFAネーションズリーグにも招集されている。

■FWマーロン・ヘアウッド(42歳)


 N・フォレストのアカデミーで育ったマーロン・ヘアウッドは、サッカーとは全く別の世界でビジネスを成功させている。1998−99シーズンの残留争いの真最中に、イプスウィッチへ短期のローン移籍に出されたヘアウッド。復帰後はレギュラーとしてピッチに立ったが、当時19歳のFWにチームを降格から救う力はなかった。2003年にN・フォレストを離れた後は、ウェストハム、アストン・ヴィラ、ブラックプール等で実績を積んだ。2012年1月には広州富力から短期契約でN・フォレストに復帰した。

 6部リーグのナニートンでのプレーを最後に現役生活に幕を閉じたのは2016年のことだったが、ヘアウッドのセカンドキャリアは既に始まっていた。2009年に友人と共に、高級車のカスタマイズを行う『AC13 Premier Lifestyle』という会社を立ち上げたヘアウッド。サッカー界で培った人脈も駆使してビジネスは大成功。ハリー・ケイン、ウェイン・ルーニー、カイル・ウォーカー等、多くの有名選手を顧客に抱えている。同社は2016年にレスターの一部選手からの依頼で、プレミアリーグ優勝記念としてヴィチャイ・スリヴァッダナプラバ当時会長から贈られたクラブカラーのBMWの色を張り替えたことで話題にもなった。

 なお、古巣の一つであるウェストハムのアンバサダーも務めるヘアウッドは、現在もスタジアムにも頻繁に足を運んでいる姿が目撃されている。こうした地道な活動が本業でもプラスに作用していることは間違いないだろう。

■FWピエール・ファン・ホーイドンク(52歳)


 キャリア全盛期はフェイエノールトで小野伸二とともにプレーをしていた2001−02シーズンだろう。25歳でオランダを離れ、セルティックと契約を交わした元オランダ代表FW。1996−97シーズン途中に、プレミアリーグで残留争いの渦中にあったN・フォレストに移籍。チームを降格から救うことはできなかったが、翌シーズンは29ゴールを決めて2部リーグの得点王に。チームを昇格に導いた活躍が評価され、リーグのベストイレブンとクラブ年間最優秀選手に選出された。

 しかし1998−99シーズンは最下位に終わり、ノッティンガムでの在籍期間2年半で2度目の降格を味わったファン・ホーイドンクは、オランダに戻ってフィテッセと契約。ベンフィカでプレーをした後、2001年にフェイエノールトに加入した。

 すぐにエースの座を確立し、初年度にチームをUEFAカップ王者に導くと、エールディヴィジでも24得点を決めて得点王に。オランダ年間最優秀選手に選ばれ、同代表でも欠かせない選手となった。その後はフェネルバフチェとNACブレダを経由し、キャリアの晩年はフェイエノールトで過ごした。引退後はトルコ代表やU−21オランダ代表のアシスタントコーチの他、フェイエノールトの下部組織を短期間率いたが、2015年以降は現場からは遠ざかっている。現在はオランダ放送協会『NOS』のサッカー解説者として活躍中だ。

(記事/Footmedia)

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